短編 | ナノ







昔の人間ってわかんない。
ソフィア号で過ごしていくにつれて、そう思うことが増えてきた。

「うーん、風邪ってとこかな」
「すみません、こんなときに」
「ふふ、大丈夫だから。ゆっくり休もうね」

なまえさんは、艦長たちの昔の仲間だ。
ハイランカーというトップレベルの強さの持ち主でありながら、俺のデッキをみてくれる。ソフィア号の中では1番年齢が高いけれど、無邪気に子供のように笑う。裏表のない、純粋な人。
俺の額に乗せた手はすこしひやりとしている。やわらかくて小さくて、額全体を覆えないほどだ。こんな手でいつも色々な雑務をしているのか。

「ひと眠りしたらごはんをたべよっか」
「そんな…迷惑ばかりかけるのは…」
「もう、気にしなくっていいの!どうせ今は暇だしね」

こつん、と本当に軽く頭を小突いて、なまえさんはイタズラっぽくはにかんでみせる。こういう微笑みを見るのは、決して多くはない。ああ、レアだな、なんて。
艦長が手料理が食べたいからと、そんなくだらない理由で来た彼女はすこし異質だった。
彼女が来た時の朗らかな笑顔に面食らったのを今でも良く覚えている。俺が冷たく当たってもなに食わぬ顔で近づくし、そして確かに、美味しい食事を作ってくれる。
優しい人なのだと思う。彼女は誰に対してもこうだから。
そんな彼女だから俺はいつの間にか心を許していたし、そして……好きになっていた。

「……ユースくんが眠るまで、ちょっとお話しようか」
「え?」
「風邪ってね、私たちの時代でもすっごくポピュラーな病気なの」
「えっ…と?」
「なのに、風邪の特効薬ってこの時代でもできてないんだって」

わけがわからない、なんて顔をした俺になまえさんは話を続ける。彼女の纏う穏やかな雰囲気が好きだ。同じように、穏やかな人間になれたような気がして。たおやかな視線を注いでもらえる自分が、とても特別な人間なのではと考えてしまうから。

「こんなに時が経ってるのに、変わらないものもあるんだなって。まあ、風邪で認識したって言うのも変な話なのだけれど……」
「変わらないもの…」

俺はどちらかというと、変わったと思う。
前ならこんなに人に弱みを見せようとしなかった。何でもひとりで出来ると思って突っぱねていた。変わったのは艦長たちが、なまえさんが来てからだ。
思えば俺だけじゃない。みんな変わった。それは良くも悪くもあるけれど、それでいいと思える。ああ、でもそうだ。ひとつだけ変わらないものがあるとしたら、それは、

「なまえさん」
「ん?」
「俺にとって変わらないものは、きっとなまえさんです」

ぽうっと染まっていく頬につられて俺まで熱くなる。恥ずかしいことを言っているのはわかってる。けれど今は熱のせいにして、すべて素直に言える気がして。

「ここに来た時からずっと、なまえさんは優しくて」
「そんなの世話焼きなだけよ」
「跳ねっ返りな俺の面倒を見てくれて」
「ただのお節介でしょう?」
「どんな時でも笑って、美味しいご飯に柔らかいタオルとか、いつもより綺麗になった鏡とか、そういう事をしてくれて」
「私に出来ることなんてそれくらいしかないから」
「いつも変わらずそう言ってくれるなまえさんが、俺はすごく、好きです」

恥ずかしくて、つい目を閉じる。俺の方を見つめたままどんどんと赤くなっていた彼女に、少しだけ優越感を抱きながら、どくんどくんと主張する心臓をなだめるように深い呼吸を繰り返す。
どんな顔をしているんだろう?きっと俺のことをそんなふうに思ったことなんてないんだろうな。ちょっと生意気な男の子くらいにしか考えてないんだろうな。でも、それでもいい。今から俺を意識してくれればいい。格好つかない俺だけど、なまえさんを好きだってことは何度でも言える。

「……私ね、結構変わったんだよ」
「え?」
「君は気づかなかったみたいだけどね、実はよく言われてたの。特に前の私を知ってる人たちからはね」
「それって艦長とか弾とか……」
「うん。私って年下の子とかね、もう苦手で仕方なかったの」
「でもなまえさんは」
「ちゃんとお姉さんらしくなってた?ふふ、私ね?ここに来て変わろうと思ったんだ。もっとちゃんとした大人になりたいって。そこでユースくんに会ったの」

目を開けると、いつものようにたおやかな瞳をした彼女がそこにいる。俺の知っている彼女は、綺麗で優しくて穏やかな「大人の女性」という顔しか知らない。だからなまえさんの言う昔の姿がイマイチ想像出来ない。

「プリムはすぐに懐いてくれたのに、ユースくんてば私にすごく反抗したでしょ?」
「あ、えと、すみません……」
「ううん、そのお陰で今の私がいるから」
「なッどうしてですか!?」
「どうやったら私の話を聞いてくれるかな?とか何に興味を持ってくれるかな?とか、ずっと考えてた。
私ね、そういう風に人に関心を持ったことがなかったから、それがすごく新鮮でそして……嬉しかったの。ユースくんが心を開いてくれた時は本当に、ちょっと涙が出ちゃいそうなくらいね」

本当に涙ぐんでいて、思わずドキリとする。なまえさんを泣かしたなんで言ったらきっと艦中の奴らから滅多打ちにされるんだろう。彼女はすごく、愛されているから。

「ありがとう、ユースくん。すごく感謝してる……本当だよ?」
「そんなの、俺だって」
「うん、伝わってるよ」

そっと額にあった手が目を覆うようにおりて、視界を隠される。「なまえさん?」俺の声に彼女は答えてくれない。もう一度名前を呼ぼうと口を開く、けれどそれは一瞬だけ何かで覆われて……そしてキュッと息の詰まった俺はそれどころじゃあなくなった。
今の感触って、もしかして。離れた後顔にかかった吐息とか、少し震えた手とか、俺のいいように考えていいんだろうか。

「私を変えてくれた君が、変わらないと言ってくれた君が、私は大好きだよ」

まぶたを閉じるようにスライドされた手はそのまま離れていく。ゆっくりと目を開くと、やっぱりいつもと同じ顔のなまえさんがいて、嬉しいような少し悔しいような、そんな感覚が俺を占めていく。
ちょっとくらい照れてくれてもいいのに、そんなあっさりと言うだな、って。ああやっぱり彼女は大人なんだろう。立ち上がり部屋を出ようとするなまえさんは、本当なら俺の手の届かないようなところにいる、そんな人。

「待ってください」

けれど彼女が手を差し伸べてくれるのなら、俺は遠慮なくそれを掴む。しっかりと、その形がわかるくらいに握って。そして彼女の名前を呼ぶんだ。

「俺の側に、いてください」

なまえさんはちょっと照れくさそうにはにかんで、ユースくんと俺を呼ぶともう一度近くに腰掛けてそうっと囁いた。

「いつまでも、ずっと変わらず、隣にいるよ」







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