偽アイヌ
樺戸までの道のりの最中、アイヌの村を見つけた。
樺戸まではもう少しだったが、アシリパがハツの疲れ具合を見て休もうと提案する。
村へ入ると一人の男が日本語で話しかけてきた。
どうも和人相手に荷揚げの仕事をしていたことがあるらしく、男の案内で村長の家へと向かった。
杉元がアシリパの案内で何度もアイヌの村を訪れているようで、作法を心得ているそうだ。
杉元が村長の家の前で咳払いをし、中で掃除が終わるまでの間ただひたすら待つ。
やがて中の男が入るよう促すと、ハツは尾形とアシリパの二人と手を繋ぎ、屈んで家の中に入っていく。
村長の仕草を真似していると、アシリパが突然村長を指差した。
「ムシオンカミ」
全員がポカンとするなか、アイヌの女だけが口に入れた刺青を歪めて吹き出し笑いをする。
更に男が家族の紹介をしている最中、アシリパは「オソマ行ってくる!」と席を立ってしまった。
「すみませんね、普段は礼儀正しいんだけど……」
と、脱帽している杉元が謝罪する。
だが、村長らはアイヌの言葉が分からなかったり、アシリパの無作法にも注意をしなかったりと不審な点が多かった為に、尾形から懐疑的な目を向けられることになった。
「こいつら本当にアイヌか?」
すると、家の外から女が中を顔を見せるとこう叫ぶ。
「ウンカ オピウキ ヤン!」
だがすぐに、外にいる別の者に抑えられてしまった。
「今のご婦人はなんと?」
牛山が尋ねると、男はもぞもぞと座りなおして「知らない方がいい」と返す。
和人をよく思わない者もいるから、と。
すると今度は、男の妻と思しき女が同じように声を震わせながら言った。
男が怒りを抑えた声で「出ていけ」と言うと、また杉元は「なにか気に障ったかな」と謝罪した。
「やっぱりどうも様子がおかしいぞ」
尾形の疑念は深まるばかりである。
そこで杉元は見つけたキサラリで真偽を確かめることにした。
本当のアイヌならば、このキサラリが何に使うか分かる筈だと。
この布を巻かれた木の使い方は何かと、牛山、村長と続ける中、尾形が恐ろしいほど笑顔になり杉元から渡されたキサラリの柄を持つと、その瞬間尾形は村長の裸足の小指めがけてキサラリを打ち込んだ。
「痛たあっ!!」
飛び出た日本語に、全員が目をむく。
「この使い方が正しかったようだな」
尾形は前髪を撫でつけながらしれっと言い放つ。
「ジイさん日本語話せたのか!?」
「日本語を話せるアイヌなんて珍しくもなんともないッ」
「ほんとにアイヌなら痛いとき、とっさに日本語が出るもんかね」
それまで状況を見守っていたハツがすっくと立ち上がり懐から拳銃を取り出した。
「あっ!? ちょっとアンタ何出してっ……!!」
「日清戦争の時だったでしょうか」
ハツは弾込めしながらつらつらと語りだす。
「清国からの密偵が僅か日本に潜伏していたそうです。我々と見た目の大差ない彼らをどう見分けるか……」
弾込めを終えると、ハツはカチンとリボルバーを嵌める。
「階段の中腹から突き飛ばしたそうです。不測の事態が起きた時……、彼らは『アイヤ』と声を上げた」
杉元は拳銃を村長に向けるハツの手を押さえた。
「なんでお前ら揃って発想が物騒なんだよ!!
そもそもこの人達がアイヌのふりをして何の得があるって言うんだ!?」
「そうだな、俺もぜひそこが知りたいね。ちょうど戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」
一人で戻ってきた男に、杉元は尋ねる。「あれ、アシリパさんは?」と。
「弟が言うには、あの娘は近所の女性に刺繍を教わって夢中になってるそうだ」
その言葉を聞いた途端、杉元が男に襲いかかった。
「アシリパさんが『刺繍に夢中』だぁ?
てめぇ……あの子をどこへやった」
先程の場を諌めようとする表情とは一変。
悪鬼羅刹の如く、杉元は男を見下ろした。
「あ? なんだその足」
牛山が殴られた男の足元を指差して言う。
そこには、色鮮やかな刺青が彫られていた。
そして尾形が楽しそうに言うのだ。
「ヤクザがアイヌのふりか」
その瞬間、キサラリを手にした杉元が、雄たけびにしてはやけに濁点の多い声で叫び上げる。
「アシリパさんをどこへやった!!」
杉元の怒声は家を揺らし、外の木に泊まる鳥までが驚いて逃げてしまう程だった。
正体を現した男に、杉元は首を捻り折り尾形は銃で狙撃する。
また外から見られていたのか、窓から他の男たちが斧や弓を以って攻撃しようとしたところに牛山が男の足首を掴んで投げた。
杉元は家の外に飛び出した。それを追うように牛山も表へ出る。
窓の淵に銃をかけて狙撃している尾形が、はは、と短く笑った。
「見ろよ、杉元のやつ近づいてくる偽アイヌを皆殺しだ」
出鼻をくじかれたハツがゆっくり窓の外を覗き込むと、杉元が複数人を相手に一人で無双状態になっていた。
「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」
「ハッ」
ハツの妙な言葉選びに尾形が息を漏らすと、そのついでに杉元の背後に忍び寄っていた偽アイヌの頭を打ち抜いた。
「命中です」
「どんなもんだい」
そうして二人は、騒ぎが収まるまで他の家から出てきた女たちがこぞって偽アイヌを撲殺しているのを見物していたのだった。
動乱が続いて暫く、村に静けさが戻ると尾形とハツは家から出て辺りを見回した。
死屍累々の有様と血の匂いにハツが気を遠のかせていると、尾形がアシリパを見つけた。
彼女は無事らしい。
鬼神の如く殺し続けた杉元は、体温ある人の顔に戻ってアシリパの心配をしている。
アシリパはその変わり様に背筋に冷たいものを感じたのだった。
ハツは牛山の腕の傷を手当てした。
クマ相手にできた傷ではないが、クマと対峙してこの腕の傷のみだったと思うと流石は不敗の牛山である。
女たちは話し合い、殺した偽アイヌたちを土に還すことにした。
村のはずれに牛山や杉元が率先して穴を掘り、女たちが遺体を担いで運び出す。
全てが終わると、村の奥の家に集められていたのか、子供達がわらわらと出てきた。
そして女たちは偽アイヌから解放してくれた杉元たちにお礼としてもてなしたいとアシリパを通じて申し出てくれた。
大量に人を殺めて土に埋めた直後なのに、普通にしていられる彼らはもう感覚が鈍っているのかもしれない。
とはいえどんな状況でも腹は減るので、一行はありがたくご相伴にあずかることにする。
まずは臼と杵を川の傍まで運び出し、オオウバユリを杵で砕いていく。
ある程度形がなくなると、アイヌの女たちの歌声に合わせて拍子よく杵で搗(つ)いていった。
ハツはオオウバユリの杵搗きを手伝いながら、アシリパの話に耳を傾ける。
「狩の途中で見つけた時は、そのまま焼いて食べるんだ。ホクホクしてうまいぞ」
水を足して二度越すと、一番粉と二番粉が取れ、かすが残った。
それぞれをまた家の中に持ち運び、一番粉でヨブスマソウの茎に入れて蒸し焼きにした団子が出される。
植物が焼かれて炭になる独特のにおいをかぎながら口に入れると、想像していた弾力のある団子というよりかは、とろりとして柔らかくそしてほんのりと甘みがあった。
牛山が「くずきりみたいだな」と言うのにハツはこくこくと頷いた。
それから二番粉をフキの葉で包んで焼いたものが出てきた。
アイヌの女たちに赤いたれがかけられたものを差し出され、ハツは頻繁に瞬きをしながら一口食べた。
「!」
ハツの頭に電流が走った様な感覚がした。
当時電気を主導力にしたものは珍しく、ましてや通電を体感したがない為ハツにはその衝撃が何だったのかは分からなかったが、とにかく、とてもおいしかったのだ。
ハツが驚きの顔でもう一口食べて、それから器を額の上に掲げるのを見たアイヌの女たちが、にっこり笑った。
「ハツ、ヒンナか?」
「とてもヒンナです」
アシリパはハツが食べきるのを見計らって、村の女たちにアイヌ語で『とても気に入ったと言っています』と伝えた。
アイヌの女たちは嬉しそうに、ハツの手から器を取ると、おかわりをよそってあげた。
隣の尾形は、ハツの頬が丸みを帯びて動くのをそっと見つめていた。
それからアシリパが杉元の味噌に飛びついたり、味噌がうんこと疑われたり、オオウバユリの神様の話を聞いて和やかに食事は終わった。
淹れてもらったお茶で一服していると、村の女がハツを見ながら、でもアシリパに尋ねた。
アシリパはぷくく、とちょっと笑ってこう言った。
「この三人の中で誰がハツの夫なんだ、と尋ねているぞ」
杉元はちょっと恥ずかしそうに、えぇ…? と笑って、牛山も確かにそう思うよな、と腕を組んだ。尾形は、我関せずといった様子である。
「お嬢もそういう年ごろだろう。イイ人くらい、いたんじゃないのか?」
牛山が尋ねると、ハツはちょっと考えてから、口を開いた。
「私は親元から離れて京都の看護学校で学びました。男女間の交流はなく、女の中で過ごしました」
「なんだ、もったいねぇ」
「前に(日露戦争から帰ってきた時)、祖父母から葉書を貰いました。戦争の前に、縁談の話があったそうです」
言葉の端々が抜けていたが、理解できないほどではなかったのでハツに話を続けさせた。
「私は知りませんでした。知らないで露西亜へ行きました。その後の話は知りません」
「……ん? つまり家族が縁談を進めてたけど、アンタは知らないで戦争に行って、戻ってきてから実は縁談があったって話を知ったけど、その後、縁談の話が生きてるかは分からないって意味?」
杉元はアシリパが難しそうな顔をしているので、話をまとめてあげた。
ハツは、こくんと頷いた。
アシリパは『この人はこの三人の妻ではない』と女たちに言うと、女たちはちょっと色めき立った。
みな、牛山を狙っていたのである。
それから詐欺師の鈴川聖弘が他の刺青囚人の情報を持っているというので、疑わしかったが生きたまま樺戸へ連れていくことにした。
一行は(牛山以外)笑顔で手を振りながら村を後にしたのだった。
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