茨戸より帰還
土方達が茨戸から戻ったのは、日が山間に隠れて間もなくのことだった。
永倉が貸しているという親戚のものだった民家には明かりが灯り、人の気配がある。
一行を迎えたのは束髪に手ぬぐいを巻いた、丸顔の女だった。
夕餉の支度をしていたのか、着物をたすき掛けにして手に少し水滴が付いていた。
「おかえりなさい」
女は土方を見上げて口を開いた。
笑っている訳ではないが、口が小さいので微笑んでいるように見える。
「あぁ。こちらは変わりないか」
「はい」
土方と言葉を交わす女は年若く、後ろに続く男たちは土方か永倉の孫かと思った。
「アンタの女かい」
などと、尾形が軽口を叩けば永倉が「知り合いの孫だ。手ぇ出したら叩き斬るぞ」としぼんで垂れた瞼の向こうから睨みを利かせる。
女は、二人が出かけていった時と違う顔ぶれを連れているのことに何も言わず、また支度途中の土間に戻っていった。
米を炊いている匂いがして、夏太郎と亀蔵は思わず顔を見合わせた。腹が減っているのだ。
居間に上がると、部屋がほんのり暖かかった。
昼間の名残か、火鉢のお陰か、春先の北の大地は夕暮れから冷えるのでありがたかった。
早速尾形は火鉢の傍に座っている。
程なくして、お茶を淹れてた女が居間に上がってきた。
お盆に乗せた湯気の立つ湯呑みを、土方、永倉、と配ると他にも配っていた。
夏太郎も亀蔵も、ここにき来ててまさかこんな待遇になるとは思っておらず、少し戸惑った様子で礼を言う。
「ハツ、こいつが左肩をケガしている。見てやってくれ」
女はハツ、というらしい。
ハツは土方に言われて尾形を見る。そして短く返事をすると、お盆を抱えてすぐに居間から消えた。
尾形は「別に大したことない」と左上腕を擦ったが、永倉が熱いお茶を啜った後に「自分で手当てしたんだろ」と尋ねた。
「ハツは看護婦だ。ちゃんと見てもらえ」
土間で草履を擦る音が聞こえていたが、やがてハツが手当の道具を持って居間に戻ってきた。
すとんと尾形の隣に座ると、無言で軍服を脱ぐよう促した。
ハツは雑に巻いた包帯代わりの布を解いて容赦なく消毒液をかけた。
「……おい、随分と雑な看護婦だな」
尾形が痛みを訴えるように嫌味を言ったが、ハツにはまるで通じていないようだった。
銃傷だが骨を掠めた訳でも動脈を貫通したわけでもないので、弾が抜けていることもあり化膿止めを塗ってあとはガーゼを押しあてて包帯を巻いた。
ハツは最初から最後まで何も言わないまま、手当を終えるとさっさと片付けてまた土間の方に行ってしまう。
その背を目で追っていた夏太郎が「あの」と永倉に話しかけた。
「あの人も金塊探し、するんですか。事情とか知ってるんですか」
永倉は長い長い溜め息を吐いて、一つ頷いた。
土方が、縁側の長椅子に寝そべりながら「衛生兵はいた方が良い」と笑うように言った。
「そうだ、今日もハツを連れて行けば良かったかもな。そしたら尾形を早めに仕留められた」
「土方さんアンタねぇ……」
冗談なのか本気なのか分からない声色に、永倉は思わず咎めるように言った。
尾形はその会話を、軍服を着直しながら聞き流す。
気が付けば外は完全に真っ暗になり、夜風が窓を揺らしていた。
食事の支度ができたのか、ハツが次々にお盆に椀を乗せて運んでくる。
おひつに入れた、粟や稗を混ぜた米を茶碗によそって食卓に並べると、今度は急須を持ってきてお茶のおかわりを注ぐ。
土方の声かけで食事を始めても、うろちょろと動き回るハツを尾形は視界の隅で捉えていた。
薄明かりの中で見るその姿が、子供の頃見た母親の姿と重なったのである。
顔つきや背格好はまるで違うが、束髪に手ぬぐいを巻いて着物の袖をたすき掛けで止めているだけでそう見えるのだ。まあまあの重症である。
「アンタ、こんなとこで給仕してまで金塊が欲しいなんて、一体どんな理由だよ」
尾形はハツが傍にきて湯呑みに勝手にお茶を注いでいる間に、そう尋ねた。
しかし、ハツは尾形の声など聞こえていないようで、急須が空になるとまた土間へ行ってしまった。
睨むようにその背を見つめる尾形に、永倉が口を出す。
「やめとけ。こんなこと言いたかないが、あの娘は日露戦争帰りで頭がちょっとアレなんだ」
「……篤志(看護婦)か」
土方以外が、食事をする手を止める。
「帰ってきてから札幌で病院勤めをしていたらしいが、日ごとに様子が変わっていったそうだ。
終ぞあの調子じゃ役立たずでな。私も本州にいる知人に頼まれて身元を引き受けたが」
家に置いておくにも、家の女たちでは手が追えず、こうして一緒に小樽まで連れて来たのだ。
永倉も元々は土方に協力こそすれ、金塊争奪戦など参加する気はなかったのだが、どうしてか昔の血が騒いで今に至り、そしてハツさえも金塊を求めてここに留まっているのである。
「耳慣れない声が聞こえても反応は鈍いし、しばらくは話の通じない相手と思った方がいい」
と、このように酷い言われようだが、最初から話の通じる土方にとっては関係のない話のようで、話の最中ずっとポリポリと漬物を噛みしめる音をさせていたのだった。
尾形は夜、就寝前に水を飲みため土間へ降りた。
ハツが先程まで朝食の下ごしらえをしていたようで、浴衣一枚で冷える尾形の足をかまどに残った熱が暖めた。
尾形はやかんの中に湯ざましがあるのを知っていたので、適当な湯呑みを掴んで注ぐ。
暗闇の向こうに月明かりが射して、壁に掛けられたざるの下に銃が置いてあるのが見えた。
尾形は湯呑みを台に置いて、もっとよく見ようと銃の前に屈む。
褌が丸見えだがそんなこと気にする男でもなく、手に取ると尾形の所持する三十年式歩兵銃と同じくらいの重さだ。小ぶりの割には重たい銃なので、見た目以上に重たく感じたが、尾形は途端に手に馴染んだその銃に覚えがあった。
子供の頃、鳥を打つのに祖父から勝手に拝借した、スペンサー銃である。
尾形は暗闇の中に、夕焼けに染まる故郷で鳥を撃ち落とした日々を見た。
冷たい引き金と、発砲音と共に訪れる銃の反動。
仕留めた鴨のぬくもりと、畦道を通って帰る道のりで硬くなっていく、羽の下にある肉の感触。
思い出したくない懐かしさに浸っていると、ふと背後で人の気配がした。
尾形が振り返ると、そこに鉈を振り上げたハツがいた。
尾形は咄嗟に横に転がり、振り下ろされた鉈が空を切る音を真横に聞きながら体を起こす。
考えるよりも先に身体が動いて銃を構えた。
だが引き金を引こうとした瞬間、頭に周囲、というよりこの建物の周りのことが過ぎった。
ここは隠れ家である。
周囲にも民家があり、今発泡をするのは今後に支障があるのではないかと。
尾形は舌打ちをしながら銃床でハツを殴ろうとするが、寸でのところで交わされてしまう。
ハツが鉈で斬りつけてこようとするのと同時に、尾形は銃床でハツを突こうと腕を引く。
その瞬間「わあ!? 何してんだアンタら!!」と亀蔵が土間に飛び込んできた。
遅れて夏太郎も土間を覗くと、手に持った明かりがハツの持つ鉈にきらりと反射して、慌ててハツを取り押さえた。
暴れるハツを二人がかりで抑えていると、騒ぎに気付いた土方と永倉もやっと様子を見にきたのである。
「おい近所迷惑だろうが」
永倉が言うと、尾形が「この女に殺されかけたんだよ」と乱れた髪を後ろに撫でつけながら言った。
亀蔵も取り上げた鉈を証拠だと言わんばかりに土方に見せる。
「ハツ、どうして尾形を襲った」
土方がそう尋ねると、ハツは夏太郎に腕を後ろに掴まれたまま答えた。
ここは警察が遠いですから、泥棒は捕まえて木に吊るさないと逃げられます。
それを聞いて、その場にいた全員が意味を理解できず、黙った。
少しの間、誰もが窓に吹く風の音しか聞こえていなかった。
だが土方が、尾形の手にスペンサー銃があるのに気づくと、すぐに理解した。
ハツは尾形を泥棒と思ったのだ。
「ハツ、そいつは尾形だ。夕方傷の手当てしただろう」
「……」
ハツはじっと尾形の顔を見たが、思い出せないようでまた土方の顔を見た。
「尾形、ハツに銃を返してやれ」
土方が言うと尾形は、これお前のかよ、と言わんばかりにハツの胸に銃をドンと押しつけた。
ハツは夏太郎に腕を掴まれたままだったので受け取れず、銃が土間の上に落ちる。
夏太郎がその手を緩めると、ハツはすぐさま銃を拾い上げて異常がないか確かめた。
永倉が「全く……」とぼやきながら布団に戻っていくのを皮切りに、土方も尾形も、宛がわれた部屋に戻って行った。
亀蔵と夏太郎も部屋に戻りながら「何で土方さんはあんなイカレ女を…」等と愚痴を零した。
ハツは最後に、残った土間で静かに銃を構えた。
銃口は暗闇に向けているが、ハツの目には確実に何かが映っている。
それは一体何なのか。
「ばーん」
ハツは構えを解くと、銃を抱えたままでんへ引っ込んでいった。
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