「お疲れさん。授業前半放置してもうてすまんかったな」
「全然大丈夫だよ、なんかバタバタしてたみたいだし。新しい先生、綺麗な人だね〜」
終業の時間を回り早々と教室を出ていった霧隠先生を尻目に、俺は苗字に声をかけた。
にこやかに微笑む彼女に祓魔塾の授業はどうだったかと聞くより早く、傍から「なあ」と声をかけられた。奥村と杜山さんだ。
「なんで
「なんでて……昨日の実習でいろいろあったんや」
「フーン。あの男の子以外にもいたんだな」
そう言って奥村は興味深そうに苗字を見つめた。まじまじと視線を浴びる苗字は実に居心地が悪そうに苦笑いを零している。
そういえば、昨日の実習の本来の目的であった
「えっと、はじめまして。わたし苗字名前!昨日から竜士くんの使い魔をすることになったの」
「へー、使い魔?なんか……ちょっとやらしいな」
「やかましわ奥村……!」
まったくこいつは何を言うかと思えば。やらしいだとかそういった話を女子の目の前でするのはいくらなんでも勘弁してほしい。
しかし苗字が聞こえるか聞こえないかくらいの僅かな声量で「わたしも思ってた」と呟いたのが聞こえたものだから、こいつら、と呆れて溜息が溢れる。
「俺は奥村燐!よろしくな!」
「あ、わ……私、杜山しえみ!よろしくね、名前ちゃん」
「えへへ。よろしく!」
嬉しそうにゆるゆると笑う苗字につられるように、少しだけ自分の口角が上がるのを感じた。昨日今日だが、彼女といると気がつけば絆されている自分がいるような気がする。
そもそも彼女は突然こんな状況に放り込まれたというのに悲しむ様子も見せず、寧ろ順応していくあたり、タフというかなんというか。彼女のこういった面は素直に尊敬できるところである。
そんなことを考えていればふと教室の扉が開く音がした。反射的にそちらへ視線をやると、やってきたのは奥村先生だった。
どうやら資料か何かを取りに来たらしく教卓の引き出しからいくつか物を取り出したのだが、俺たちが集まっているのに気がついたのだろう、すたすたとこちらへ近寄ってきた。
「皆さんこんにちは。……苗字さん、授業はどうでしたか?」
「あっ雪男くん。楽しかったよ、全然知らない世界〜って感じで!」
眼鏡の奥で目を細めるその様子は俺の目から見ても随分と大人びていて、たまに同い年だということを忘れてしまいそうになる。
奥村先生とは同じ特進クラスなため、先程の学校の授業が終わった際、苗字のことを説明しようと声をかけたのだ。しかし既に祓魔塾の講師陣にはフェレス卿から話が行っていたらしく、一目見てああ、と理解してくれたのはさすがと言う他ない。
「さっき会った時から大人っぽいなあとは思ってたけど、そうやって
「あはは、ありがとうございます」
苗字と言葉を交わした奥村先生は一呼吸置いたと思えば「それより」と生徒全員──主に奥村兄──に向き直った。
「月曜から学校の期末試験がありますが、皆さんそっちの勉強は大丈夫ですか?」
「え?!」
「ヒッ」
さっぱりとした奥村先生の声色に小さく声をあげたのは言うまでもない、奥村と志摩だ。
俺や子猫丸、見たところ神木ももちろん試験については問題なさそうだが(宝は相変わらず未知である)、この様子ではどうやらこの2人はそうではないのだろう。まったく、情けない。
「嫌やわ奥村センセ、そないなこと思い出させんといてくださいな」
「て、てててててすと?!来週の月曜……だっけ……?!」
若干顔を青ざめながらヘラヘラと笑う志摩は知っていながら逃避していたのだろうが、奥村は試験の日程すら忘れていたようだ。本当に奥村先生の双子の兄なのかと、心底疑問に思ってしまう。
「アホか……来週の金曜が終業式なんやから、次の月曜逃したらもうテストやる日ィないやろ」
「ていうか今回の試験の補習、金曜の放課後からとちゃいました?志摩さんも奥村くんも大丈夫なん?」
「ま……まあ、補習なんて受けちまえば終わるしよ……」
子猫丸の鋭い指摘に矢でも刺されたように胃のあたりを握りしめる奥村は白目を剥きながらそう答えるが、まさかこいつ、忘れているのではないだろうか。
子猫や奥村先生も同じように考えたらしく、揃って小さくため息を洩らす。
「ハア……奥村くん。あと志摩くんも。終業式の後は祓魔塾の林間合宿がありますが、まさか忘れていませんよね?」
妙に圧のかかった奥村先生の声色に若干2名がヒッと小さく声を洩らす横で、やけに嬉しそうに「合宿?!」と声を上げたのは苗字だった。
「合宿があるの?!」
「おォ……来週末、ちょうど1週間後やな」
「へえ〜そうなんだ〜!いいね、楽しそう!」
「授業の一環やぞ」
苗字の声で一気に和んでしまった空気を正すために、不意に奥村先生がゴホンと咳払いをした。
「……今回の林間合宿は実戦任務に参加する資格を取得するためのテストも兼ねているので、欠席されては今後に大きく影響します。どうにか対策を取ってくださいね。申し訳ないですが他の皆さんもサポートをお願いします」
そう言った先生が颯爽と去っていくや否や、教室は耳鳴りがしそうなほどシンと静まり返っていた。いつも騒がしい奥村や志摩が黙っていると、こんなにも森閑とするものなのか。
どことなく重苦しい雰囲気が漂う中で苗字だけは1人、合宿を想ってか目を輝かせていた。