天竺牡丹の囁き(3/3)


「わぁ、きれいな稲穂の海だねぇ……」
「ほんと、すっごい黄金が揺れてる……」

 半ば息を切らしながら見渡す限りの田んぼを見つめるしえみちゃんに、こちらも息を切らして同調する。非常に綺麗な光景ではあるけれど、今のわたし達にとってはこんなやり取りも現実逃避でしかなかった。
 無事に稲生空港に到着したはいいものの、観光客でバスやタクシーが全て出払ってしまっているため、歩いた方が早いと空港の職員さんが教えてくれたのだ。それで稲生大社に向けて皆で歩いているのだけど──。
 先に見える看板をちらと見やる。わたしの目が正しければ『稲生大社まで4km』と書かれている。ああ、何かの間違いであってほしい。

「ふふ、しんどい……なんかもはや笑えてきた」
「あはは……今が涼しい季節でよかったねぇ」
「ほんとに……あっ!クロちゃん、田んぼには入っちゃだめだよ」

 少し前を歩く燐くんの後ろで、クロちゃんが蜻蛉と戯れて飛び跳ねている。すごくかわいい。燐くんが飛行機の中にクロちゃんを持ち込んできたときはどうしたものかと思ったけれど、このハードなウォーキングでの唯一の癒しだ……かわいい。
 わたしが声を掛けたからか蜻蛉を追うのをやめたクロちゃんは、わたしに向かって何やらにゃあにゃあと話しかけ始めた。しかし残念なことに、今のわたしではクロちゃんが何を喋っているのか理解することができないのだ。
ゴーストから人間に戻って良かったけれど、クロちゃんと話せなくなってしまったのはかなり惜しいことだ。蹲み込んでクロちゃんにごめんねと謝ると、何を謝っているのかとでも言いたげにきょとんと首を傾げられた。
 すると不意に視界の端にいたはずの燐くんが消えたかと思えば、その前を歩いていた竜士くんの背中に向かってあろうことか突然飛び蹴りをかましたのだ。

「くっれーぞ勝呂ォおオオオ!!」
「え……?!燐くん?!」
「元気出せ元気!そんなんじゃ誰も助けらんねーぞ!?」

 不意を突かれた竜士くんは抵抗する間も無くそのまま地面へ雪崩れ込み、勢いよく転がった。

「ぼ……坊!」
「燐!!」

 竜士くんは見たこともないくらい眉間に皺という皺を寄せまくりながら、ゆっくりと立ち上がった。
 2人の険悪な雰囲気を見て咄嗟に雪男くんは、と思ったけれど、そういえばさっきこの近くの人に道を聞いてくると言って少し外れていたのだった。
 燐くんは一体何を考えているのか。

「うるさい……俺は、お前らとは違う!!」

 ものすごい剣幕でそう声を荒げた竜士くんは怒鳴っているはずなのに、どこか追い詰められたみたいに苦しそうだ。
 それに対して燐くんは突然竜士くんを蹴り飛ばしたとは思えないくらい冷静に話を続けた。

「お前って……いっつもすぐ怒るよな」

 その言葉を聞いてはっと目を見開いた竜士くんは俯きながら握りしめた拳を細かく震わせた。
 圧倒されるようなその空気に、わたしや子猫丸くん、しえみちゃんは黙って見ているだけしかできない。

「俺にとってあいつは……家族なんや。の時は……!あいつを殺して……俺も死ぬ!」

 真剣そのもののその声色にわたしは思わず眉を顰めたけれど、間髪入れずに燐くんが吹き出して爆笑し始めるものだから、肩透かしを食ってしまった。
 燐くんの思わぬ行動にさすがの竜士くんも「俺は真剣やぞ」と慌てふためいている。

「──さすが勝呂だ」
「あ……!?」
「俺の時もそうだったもんな。あの時は嫌われたんだと思って悲しかった……でも今思ってみりゃ、結局みんな俺のこと諦めないで食らいついてきてくれたんだ」

 燐くんの穏やかな声に竜士くんは驚いたみたいに目を見張った。

「怒ってくれる人間がいるってありがてぇよ。志摩にだって多分、そーゆー奴が必要だ。だからお前はそうでなくちゃ」
「……ッ、お前にはほんまに……」
「お?お?泣くのか?俺の名言が心に響いちゃった?照れんなー」
「んなワケあるかボケェ!志摩め八つ裂きにしたるぁ!!」

 いいことを言ったと思っていたのに、燐くんはどうしてそう茶化してしまうのだろうか。竜士くんに掌を思い切り殴られたのを笑顔で受け止めながら彼は楽しそうに口を開いた。

「おおー、勝呂やっとチョーシ出てきたな!まあ志摩がありがたいと思うかは別だけどな」
「知ったことか!!」

 がなる竜士くんは未だ般若の形相だけれど、あれはいつもの"廉造くんに喝を入れる時"の竜士くんだ。
 ほっと息をつく。燐くんの行動にいろいろとびっくりしたけれど、竜士くんの元気が出たみたいでよかった。
 男の子同士の友達はやっぱり違うなと感心しつつ、自分の無力さを痛感した。わたしでは竜士くんの支えになるにはまだまだ力不足だなあ。

「大丈夫ですか?道が判りました。先を急ぎましょう!」

 戻ってきた雪男くんの指示に従って、わたし達はまた稲生大社に向けて歩き始めた。
 稲穂が風に揺れる。そこでふと、しえみちゃんにこそっと話しかけた。

「そういえば、さっき燐くんが話してた"俺の時"って?」
「そっか、名前ちゃんはまだ知らなかったんだね。あんまり驚かないでほしいんだけど……実は燐、魔神サタンの息子なの」
「へ〜……そうなんだ」
「あれ?!驚かないんだね……?」

 驚かないでと言ったのはしえみちゃんの方なのに、どうやらわたしは驚かなさすぎたらしい。とはいえ、悪魔祓いエクソシズムに触れるようになってまだ日が浅いわたしは燐くんが魔神サタンの息子であることがどれほどのビッグニュースなのかいまいちわからないのである。

「ウーン……。わたしの場合ものすごく遠縁だけど、広義で考えたら悪魔の血を継いでるっていうのは同じだし、何が違うのかな〜と思って」
「えっとね、悪魔のハーフ自体はそんなに珍しくもないんだけど、親が魔神サタンっていうのが結構問題で……そのことで夏休みに燐が死刑になりかけたりしたんだけど、炎をちゃんと扱えるようになったからそれは免れたみたい」
「そ……そっかぁ、いろいろ大変だったんだね……」

 さらっと死刑とかいう単語が出てきたことに驚いたけれど、それのおかげで事の大きさがわかりやすく伝わった。どうやら燐くんは相当レアな存在らしい。まあ、かと言ってわたしの燐くんに対する印象が特に変わったわけではないけれど。

 サァと風が吹き抜けた。行く先を目を凝らして見つめるけれど、変わらず田圃道が並ぶばかりだ。
 ちらと前を歩く竜士くんを見た。燐くんのおかげでせっかく元気を取り戻してくれたのに、どうも話しかけるタイミングを逃してしまった。後でちゃんと話せるだろうか。
 なんとなく気まずい空気を残したまま、わたしはとにかく前へ前へと足を動かした。



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