ほら、また好きになる
今日は見回りの後、名前と映画を見に行く約束をしていた。恋愛ものには興味ないが、今若者の間で流行りらしい。が、んなこと俺にはどうでも良かった。大事なことは、名前からの誘いって事だ。
仕事を普段通り終えた後屯所へと帰宅し、汗を流そうと風呂場へ向かう。暮れかけた日差しが、ストライプの影を廊下の床に作っていた。待ち合わせ時間は18時だから、速攻で風呂に入れば間に合うだろう。
そう思った時、ズボンのポケットに入れてある携帯電話が、着信のメロディーを奏で始めた。何気なく液晶画面を見てみると、神山からだった。邪魔されるのはごめんだと思いながらも、受話器ボタンを押した。
「もしもし」
「………」
「もしも―し?」
いくら呼びかけても、なんの応答もない。ポケットに入れている携帯の電話ボタンに偶然触れてしまい、偶然掛かってしまったのかもしれない。大したことあるめェ、と通話を切ろうとしたした寸前、
「……お…沖田隊長…すみません…」
「どうしたっ?」
神山の、消え入りそうな声が聞こえてきた。
※※※※
「全治二週間……」
病院の廊下で医師の説明を受けていたら、診察室から看護士に付き添われた神山が頭や、右腕を包帯でぐるぐる巻かれた姿で出て来た。右目の下には紫の痣が広がっている。どう見てもミイラ男だろ。
「沖田隊長、すみません」
「ハロウィンにはまだ、早いんじゃね―か?」
「すみません……。見回り先で階段を下りている時、何者かに背中を押されました」
「顔は見たのか?」
「一瞬のことだったんで、性別もはっきりしません。すみません。沖田隊長に知らせたのは、今回の件警察沙汰にはしたくないからです。今回は、自分の不甲斐なさが招いた事件です。自分のことで近藤隊長や、沖田隊長に迷惑をかけるわけにはいきません。何より、警察としてのプライドが許せません」
「わかった。近藤さんには伏せておく。オメーの怪我は不注意による階段からの、転落事故という事にしておく。だが、さすがに無かった事には出来やせんぜ。独自で調べる事とする」
「イエッサー」
神山は沈痛な表情のまま、左手で敬礼をする。
俺達警察は恨まれ仕事だ。恨まれることを気にしていたら、全うすることはできねェ。誰に恨まれてるか何ざ、いちいち把握しきれねェ。
今回の件もおそらく、怨恨の類だろう。闇討ちなんざ当たり前だ。俺も何度出くわしたかわかりゃしねェ。因果な職業だ。人を助けて恨まれるなんざ。
「自分はもう大丈夫なんで、行ってください。もう20時を過ぎてます。確か名前さんとの約束の時間は、18時だったのでは?」
「え……あ!?」
瞬間、血の気がサァーッと引くのを感じた。俺の顔は今真っ青だろう。
「沖田隊長すみません、自分のせいで。そんな顔しなくても名前さんなら、ちゃんと説明すればわかってくれますって!」
神山は傷だらけの状態で俺への気遣いを見せるが、俺はとても落ち着いてはいられなかった。事実、名前はもう2時間以上も待っていることになる。
「最悪だろ……」
ボソリと呟く。2時間も待たされたら、俺だったらとっくに帰ってる。俺はぐらぐらする思いを堪えて、なんとかその場に立っていた。
「近藤さんには電話をしておく。おまえは早く帰れ」
そう言って、急いで病院を後にした。すっかり日の落ちた街は、ビルの灯りやネオンに賑やかに彩られている。タクシーから飛び降りた俺は、人混みをかき分けながら一心不乱に走り出した。
ったく、今日は走り回ってばかりでさァ。万歩計も驚く歩数だろうよ。
心でそう毒づきつつ、額に滲んだ汗を乱暴に拭う。もしかしたら名前がまだいるんじゃないか、と思うだけで自然と疲れが消えていくようだった。
待っていてほしい。だが、上映時間はとっくに終わっている。名前は夜兎だ。普通の女よりはるかに強い。万が一絡まれたとしても、負けることはないだろう。
いや、そうじゃない。腕っ節の強さなどどうでもいい。俺以外の男が、名前に触れようとするのが嫌だ。待っていてほしいのに、帰っていてほしいとか、自分でも説明のつかない衝動だった。ただ一つ、やむ得ない理由があったにせよ、約束を守れなかったのは事実。会ったらひたすら謝るのみだ。
「……名前」
人通りが少なくなった映画館の前に、名前がポツンと立っていた。
『総悟くんっ』
息を弾ませながら近づくと、名前は瞳いっぱいで嬉しそうに笑う。そして、彼女も俺の方に走り出す。2人の距離が徐々に狭まり、やがて体温が伝わるくらいまで近くに迫った。
『良かった、会えて』
「……わりぃ」
『映画、終わっちゃったね』
「………」
約束を守れなかったのは事実だ。言い訳のしようもなくて黙っていると、名前が俺の胸に頭を深く傾け、そっと額を寄せてきた。そして右手で、俺の上着をきゅっと掴む。
「名前?」
『来てくれ、ありがとう。お仕事で何かあったんでしょ?』
俯いたまま呟かれた言葉は、雨のように優しく俺の心へ染み通る。
「ごめん……名前」
他に言葉が見つからず、俺は何度も「ごめん」を繰り返す。それだけでは足りない気がして、彼女の背に両腕を回し強く抱きしめた。通行人の視線などどうでも良かった。
今はとにかく、名前の温もりを感じていたかった。
「……汗臭いだろ?」
風呂に入ろうとしてた時に、着信があったことを思い出した。
『平気。総悟くんが、急いで来てくれたってことだもの。鼓動がずっとドキドキいってる』
それは違う。今の鼓動の速さは、名前に触れているからだ。
「ひとりで見ても良かったんですぜ!俺ァ、名前が楽しかったらそれで……」
『総悟くんと一緒じゃなきゃ、つまらない』
ほんのり頬を赤くして、応える名前。
「そいつは奇遇だねィ。俺も同意見でさァ」
名前の瞼に、そっと唇を押し当てた。触れるだけのものだったが、鼓動はどんどん速まっていくばかりで。想えば想うほど、愛しさが積もる。
「メシでも食いに行きやすか」
ふわりと微笑を浮かべ、今度は赤く染まった頬にキスをした。