密やかに恋に落ちる

わたしは大学のレポートを作成する為、都内でもっとも大きな図書館に向かっていた。卒業や就活にも関わる、大事な作業でもある。大学生活で学んだ集大成だ。
鞄の中から、携帯の着信音が聞こえてきた。多分、図書館で待ち合わをしている友人だろう。携帯を取り出そうと、鞄の中に手を突っ込んだ時だった。

『………っ!?』

突然、背後から物凄い勢いで腕を掴まれた。肩が外れそうなくらい強く掴まれ、痛みに顔が歪む。痛みに堪えながら振り返ると、そこにいたのは目つきの鋭い男だった。
勿論、見知らぬ人物だ。

『あ、あの……人違いじゃ…っ』

わたしは慌てて手を振り解こうとするけれど、男の手はビクともしない。それどころか、更に強く引っ張られたかと思うと、無理矢理に抱き上げられた。

『きゃあっ!』

背後から抱えられるようにして抱き締められ、身動きが取れなくなる。足が浮く。何が起こったかのか理解できない。
太い腕が見える。わたしは、顔から血の気が引いていくのを感じた。絶対真っ青だ。

『は、離してっ!』

なんとか逃げようと、足をばたつかせる。咄嗟のことで何が起こっているのかわからないが、このままではいけないということはわかる。自由になる手足で抗っていると、

「騒ぐな!じっとしてろ!」

耳の側で野太い声が響き、更にナイフをちらつかされる。
な、何?何?
わたしは恐怖で、身体が硬直してしまう。それがわかったのか男は、そのままズルズルとわたしを引きずるようにして、路地裏に入っていこうとする。わたしは恐怖のあまり手足を動かすことも、叫ぶこともできなくなっていた。助けを呼ばなきゃと思うのに、声がでない。
誰か……誰か……助けて…っ。
ぎゅっと目を閉じ、恐怖に身を震わせながら必死で念じた時だった。わたしを捕まえていた男が大きな声を上げて、体勢を崩す。

『あ……っ』

地面に投げ出され痛みに顔をしかめたけど、自由の身になったことに気づき逃げようとした時だった。

「うわあぁぁっ!」

再び男の悲鳴が聞こえたかと思うと、砂塵が舞い地が揺れたように感じた。驚いて目を丸くしていると、ナイフを持ったままの男がどさりと崩れ落ちたのが見えた。
その傍らには、すらりと背の高い男性が立っていて。
この人が助けてくれたのかな?
呆気にとられてしまう。今日は、何が起こったのかわからない事だらけだ。とりあえず、助かったみたいだった。立ち上がろうとするけど腰を抜かしてしまったのか、思うように身体が動かない。一連の状況に野次馬が集まり始めた中、

「警察だ。大丈夫か?」

凛とした声が、真っ直ぐ耳に飛び込んできた。

「立てるか?」

目の前に手が差し出される。

『大丈夫です。ありがとうございます』

お礼の言葉を言いながら頷くと、男性はしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。彼の容姿がとても整っていることに気づいて、心臓がどきんと跳ねた。
明るい茶色の髪に青い瞳。瞳に力があるせいか華やかな印象で、すっと通った鼻筋と引き締まった口元。おまけに、褐色肌でハーフ顔。まるでモデルのようだ。
目を合わせているだけで、何とも言えない安心感を感じる不思議な人。

『わたし……』

「近くで傷害事件があってね。君は、逃走中の犯人に巻き込まれたんだ。すまない、民間人を巻き込んで。こちらのミスだ」

『そんな事……。怖かったけれどこうして助けてくれたんですから、感謝しています。ありがとうございました。あの、あなたのお名前は?』

「降谷透だ。君は?」

『わたしは、雨宮名前と言います』

差し出されている手のひらを掴かみ立ち上がろうとするが、足首に痛みを感じ再び地に腰を下ろしてしまう。

「名前さんっ?」

『ごめんなさい。足に痛みを感じて』

「やはり怪我を……。見せてくれ」

確かめるように、わたしの足にそっと触れてくる。わたしは驚いて身を引きかけたけど、足首の辺りに触れられた途端、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

『いた……っ!』

じん、と痺れのような痛みを感じて、顔を歪めた。

「捻ったのかもしれないな」

そう言った瞬間、わたしの身体は降谷さんに抱き上げられていた。

『あ、あのっ……』

「病院に行った方がいい」

『だ、大丈夫です!単なる捻挫だと思うんで』

慌てて、頭を左右に振る。痛みはあるけれど、それ以上に周りの視線が痛い。こんな往来で、お姫様抱っこされてるのだから。
その上、モデルのようにかっこいいハーフの男性だ。目立ってしまって、恥ずかしくて堪らない。
『本当に大したことないですから!』

大袈裟にしてほしくなかったけど、降谷さんは耳を貸してくれない。わたしは知り合いに見られないよう、腕の中で小さく縮こまった。

「痛がってたじゃないか。捻挫ぐらいだと甘くみない方がいい。癖になるっていうしな」

こんな風に何を言っても、論理的に返されてしまう。言い返せなくなって黙ってしまうと、降谷さんはクスリと小さく笑った。

「そうやって、素直にしてる方がいい。名前さんは、可愛い顔なんだし」

その笑顔には、ドキドキしてしまうほどで。恥ずかしさに、ふいと顔逸らす。すると降谷さんは、またクスリと小さく笑う。

「可愛い人だ」

『………っ』

恥ずかしさに、頬が熱い。優しい笑みを向けられてしまうと、何も言えなくて。けれど、降谷さんの腕の中は温かくて心地よく、恥ずかしいけれどずっとここにいてもいいなという気になってしまう。

「顔が真っ赤だな」

『当たり前です!』

やがてドアを開けているタクシーの前まで来ると、降谷さんは静かにわたしを下ろしてくれた。そして、運転手さんに病院名を告げた。
パタン
タクシーの戸が閉まる。近寄ってきた警察官と話をしている降谷さんの姿を、窓越しに見つめた。バランスの取れた身長に、彫りの深い華やかな顔。やっぱり格好よくて。立っているだけなのに雰囲気があって、目が離せなくなる。

“そうやって、素直にしてる方がいい。名前さんは、可愛い顔なんだし”

『…――降谷さん、か』

意識してしまったら、ますます心臓がドキドキと早鐘を打ち始めてしまった。

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