月の裏側 | ナノ








▼ 紅い月2

「私は理人君には釣り合わないよ。いつも、綺麗な女の人達に囲まれてて華やかだし、地味な私じゃバランスが悪いから」

それは心から思っている事。
けれども、それだけじゃなくて想いを告げた彼の瞳が怖かった。
時折夜空に妖しく浮かぶ、あの紅い月を連想させる濃い色をしたそれにぞくりと背中を駆け抜けていく悪寒。
あの月が浮かぶ夜の空は何処か奇妙で気持ち悪くて妖しくて決まって心が妙に騒ぐ。
その時と同じ気持ちになってしまったから。

「さっき、晴陽ちゃんは僕を月に例えたよね?だったら、僕にとって君は太陽なんだよ。
確かに僕の周りに集まる女の子は真夏の太陽みたいにギラギラしてて派手だ。
 でも、僕が探してたのは、春の陽射しみたいに柔らかで居心地の良さをくれる人なんだよ。
そして、 いつも休憩で晴陽ちゃんと二人で話をしてると疲れが飛んで気持ちが軽くなるのが嬉しかった」

更に一歩一歩と近づいてくる彼に気圧される様に後退するしかない私。

「君みたいな子をずっと探してたんだ…僕に光を与えてくれるそんな女の子を」

壁際に追い込まれた私を見下ろして、三日月の様に目を細めている同僚。

「彼氏募集中なら、僕でもいいでしょ?」

それは私に頼んでいる様に見せかけて、行く手を阻んでいる彼の中では既に一つしか答えは用意されていない問いかけで。
しかし、いきなり見せつけられた強引さに戸惑った私は呆然とするばかりで答える事が出来ない。

「それにしても、土曜にそんなのに行ってたなんて気付かなかったな」

独り言を言いながらちっと舌打ちをする理人君。
いつもの彼からしたら信じられないその仕草に驚く。

「いつも、相手の男と話して丁重にお引き取り願っていたのに」

「え?」

「元々、君にいい印象を持ってたんだ。で、一緒の部署になって仕事して、一生懸命に働いている姿を見てて…
 それで好きになって欲しくてしかたなくなって…だから、君の前の彼氏ともお話しして身を引いて頂いたんだ」

何それ…
じゃあ、元彼は私の事が嫌いになって別れた訳じゃなくて、この人に脅されて別れざるを得なかったって事…?

「合コンもそうだよ?いい感じになった男性には諦めて頂く様に話し合いをしてきた。
僕も色々コネクションがあるから、社内の人間が君に持ちかけた合コンや紹介の話ならすぐに情報が来る」

もしかして、色んな女性社員に優しくしているのは、情報を把握するためなの?

仲のいい優秀で完璧な同期という自分の中の理人君の存在に影が差して形が変わっていく。

「今回は、社外の人の発案の合コンだったんだよね?」

だから、情報がすぐに入って来なかったんだと今度は溜息をついていた。
こうして、今まで私を悩ませてきた問題を裏で操っていた全ての絡繰りが解き明かされて、ふつふつと自分の中に憤りが沸き上がってきた。

「…最低」

自分でも驚くくらいの低い声で呟く。

「え?何か言った?」

聞き取れなかったらしい彼は、一切悪びれる事も無く私の顔を覗き込んでくる。

「最低だよ!なんでそんな酷い事するの!?」

その態度にも更にイライラは増していき、怒りに任せて大きな声で怒鳴った。

「酷い事なんてしてないよ。大切な晴陽ちゃんに悪い男が近寄らない様にしていただけだし。
 それにしても、どうしたの?急に。あれ、もしかしてPMS?でも、まだ少し早いんじゃないかな?」

けれども、彼は意に介さず首を傾げていつもの調子で話を続けるばかり。
しかも、内容が耳を疑うものだった。

「君はいつも生理周期は乱れないもんね。
 それに、精神が不安定にならない様にちゃんとその時期にはハーブティを飲ませてた訳だし」

「え…?」

独り善がりで話を続けている彼のその内容に頭が殴られた様な衝撃を受けた。
どういう事?
なんで、そんなプライベートな事を知っているの?

「”どうしてそんな事知ってるの?”って顔してるね。
 いつもゴミの日の前の夜にマンションの集積場にゴミ袋を出してるでしょ?」

くすくすといつもの軽い冗談を言うときみたいに口に手を当てて笑っている。

そこまで知っているなんて…
朝だと慌てて忘れる事があるから、なるべく前日の夜に行っているのは事実。
そこまで把握されていた事に戦慄が走った。

「恥ずかしいんだけどさ、僕、実は晴陽ちゃんの捨てたゴミを漁っては、生活状況の把握をしていたんだ」

加えて、少し照れ臭そうに髪の毛を触りながらそんなことを告げる同僚。

もはや、声なんて出なかった。
身体中の血の気がさぁっと音を立てて引いていき、冷や汗が頭頂部から滴り鳥肌が立っていく。
目の前のこの人間は完璧さで身を固めた異常者だったのだ。

「ねぇ、知ってる?ゴミってすごい情報の宝庫なんだ。
 食生活はもちろん、君の体調の事まで全て僕に教えてくれる」

あの夢見る乙女の様にうっとりとした表情で、遠い目をしながら恐ろしい事を告白した。

「もしかして、いつも私に飲み物やお菓子をくれてたのって…」

これまでに味わったことのないあまりの恐怖に質問をする唇が震え、まるで酷い風邪を引いて熱が上がる前兆の様に奥歯までがたがたと音を立てている。
それでも、確かめなければならないと思った。

「そう。君の体調の事を事前に知っておけば、適切な対応できるでしょ?
 仕事と一緒だよ。それで、 君の中で僕への信頼度がうなぎ上りになっていくのはわかってたよ」

この人の”好き”という概念はどうやら普通の人間とは全く違うもの。
その隠されていた恐ろしい本性が月の光で晒された。

逃げなければ―――――

恐怖で固まってしまっている身体を無理やり動かしてよろよろと彼の脇を突破しようとする。
けれども、大柄で腕も長い理人君はそんな私の腕を易々と掴んで引き寄せた。

「カッコ悪いよね。僕…」

いつも自信に溢れた完璧な美しい彼が、悲しそうに眉を下げる。

まさか、自分がそんな風に思われていたなんて思わなかった。
地球からは決して見ることが出来ないという月の裏側の事がふと頭を過った。
まるで、禁忌の場所を見てしまったそんな感覚。

「でもね…僕をそんな風にカッコ悪くさせてしまったのは君なんだよ?」

両手でそっと私の顔を上へと向ける理人君の顔は影に隠れてよく見えないけれど、瞳はあの緋色の輝きを帯びている様な気がした。

周りは何もない崖の様な一本の道。
落ちれば死んでしまうだけ。
知らぬ間に、そんな道を歩かされていた事を月の光で露わにされた。

「もう逃すつもりはないから…」

妖艶に微笑んだ理人君はそう呟くと、私の唇に甘く歯を立てた。


2016.11.29
天野屋 遥か



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