パウンドケーキ
「ナマエちゃんナマエちゃん」
「11月1日はオーエンのお誕生日なんじゃ」
「その日魔法舎に遊びに来てくれたら嬉しいのう」
「手作りのお菓子とか持って来てくれたらもっと嬉しいのう」
「えー…」
双子先生、そうは言われても。
オーエンとは色々あったけれども、結局のところの真意は分からず終いである。そんな中で誕生日に手作りのお菓子を持って魔法舎に行くのは勇気がいる。相手がオーエンとはいえ、自意識過剰と思われたら恥ずかしいし凹んでしまう。当日までどうするか悩みに悩んで、とりあえずお菓子の用意はした。キャラメルアップルクランブルのパウンドケーキ。まあまあな自信作である。後はこれをどうするかだ。
「オーエンかぁ…」
普通はキスされたら『私のこと好きなのかな?』って思うところだけど、オーエンに関しては『オーエンって恋愛感情とかあるのかな?』というところから始まってしまう。そして私の結論は『無さそう』だから、あの日のキスをどう処理すればいいのか分からないでいた。ただ、あの後も顔を合わせると何かに付けて話しかけてくるし、何というかこう…触って来ようとするのだ。その度にファウストが血相を変えて駆けつけてくれるから事なきを得てるけど…心労をかけてしまって申し訳ない。だからという訳じゃ無いけど、そういう理由でも会いに行くのは勇気がいる。
パウンドケーキを持て余して何時間経っただろうか。気がつけば空が赤くなり始めていた。えっ…もうそんな時間?もう行かなくていいかな?と、結論が出かけていたところで、窓がコンコンとノックされた。
「…ナマエ!」
「カイン?」
ノックしたのは箒に乗ったカインだった。何やらとても慌てているようである。
「いつまで経っても来ないから心配したんだぞ!何かあったのか?」
「いや…行こうかどうしようか悩んでて」
「悩んでた?何で悩んでたんだ!早く来てくれ!」
カインの慌てようにむしろ私の方が心配になってしまった。一体全体どうしたんだ。
「魔法舎で何かあったの?」
「ナマエがいつまで経っても来ないからオーエンの機嫌がすこぶる悪いんだよ。スノウ様とホワイト様に今日来るように頼まれたんじゃなかったのか?」
頼まれた。うーん、頼まれたのだろうかあれは。来てくれたら嬉しいな〜とは言われたけど、キチンと明言はしてない気がする。
「何でもいいから早く来てくれ!」
「わっ!?」
うにゃうにゃといつまでもハッキリしない私に痺れを切らしたカインは、とうとう私の腕を強引に引っ張った。慌てて箒を出してカインに続く。嵐の谷を出たところでまさかのミスラが待っていて、彼がやれやれやっと来たのかとため息を吐きながら『アルシム』と呪文を唱えれば一瞬で魔法舎に到着したのだった。
展開が急過ぎる。
「ほら、早く行ってください」
「えぇー…」
ミスラにまで急かされてしまったらもうどうしようもない。怖いから逆らえない。行くしかない。
「お、お邪魔しまーす…」
中はどういう感じなんだろうか。恐る恐る魔法舎の扉を開けば、中にいた誰かに腕をガッと掴まれた。
オーエンだった。
「何しに来たの?」
「えっと、」
「何しに来たんだよ」
ほら!すごく不機嫌だし私が来ても全然嬉しそうじゃない。この空気でお誕生日をお祝いしに来たとか言えないよ。西の魔法使いじゃあるまいし。
「オーエンの誕生日を祝いに来てくれたんだよ。なっ、ナマエ」
カイン…!陽の気が強過ぎるよ。そんなパスをされてしまったら違うとも言えない。
「う、うん…!遅くなっちゃったけど」
「…………」
え…無言?気まずい。そもそも私は人見知りだから、そんなに話した事のない相手に対してカインみたいにグイグイいけないし、ましてやその相手が不機嫌なら尚更だ。
「そう拗ねるなオーエン。スノウ様とホワイト様の話だと、お菓子も持って来てくれてる予定らしいから…」
「あっ」
焼いたパウンドケーキ、家に忘れて来た。
出発が急だったから…
「お菓子?持って来たの?」
「ごめん、パウンドケーキ焼いたんだけどバタバタしてたから忘れちゃった…」
「ナマエが作ったの?」
「うん…」
「ふぅん」
そのリアクションは一体どういう…?私の手作りよりも既製品の方が良かったってことかな。ここには料理上手なネロもいるから、素人の手作りなんて興味ないよね。ファウストやヒースが美味しい美味しいと言ってくれるから、舞い上がっていたかもしれない。
「あの、私やっぱりかえ…」
「取りに行くよ」
「…る、えっ?」
「ほら早く」
心が折れてもう帰りたくなってしまったんだけど、オーエンに腕を引っ張られてしまった。行くってどこに?とわたわたしていたのも束の間、オーエンの出した箒に跨ると、私に前に乗れと促してきた。何で2人乗り…!?
「私は自分の箒に乗るから大丈夫だよ!?」
「僕と2人乗りが不満な訳?」
「不満って訳じゃないけど…」
何で?とは思うよ。不満といえば不満だけど、そんなこと言えないし。
「早く乗って」
「う、うん」
オーエン、人を乗せて飛んだことあるのかな?無さそうだな。怖いな。
「おいおい…ナマエを落とすなよ」
「そんなことする訳ないだろ」
良かった。乗って上昇して突き落とされたらどうしようという不安が若干あったけど、そんなことする訳ないらしい。信じてるからね。
「魔法で空間繋ぎますよ」
「これで行くからいい」
ミスラの魔法ならひとっ飛びだから頼めばいいのに、オーエンは聞く耳持たずに浮かび上がった。
「うわっ」
急なことで身体がぐらついて冷やっとする。オーエンが人を乗せたこと無さそうなのもそうだけど、私も人の箒なんてほとんど乗ったことない。まだ10歳にも満たない頃にファウストの箒に乗った時以来だし、あの頃はファウストにしがみ付いていたけど今回はそうも行かない。
「もっとこっち来て。飛びにくい」
「えっと…」
こっち来てと言われても、決して大きくはない箒の上である。あんまりそっちに行けば密着してしまう…と躊躇っていれば、オーエンに肩を抱かせれて引き寄せられた。
「ああああ、あの!近くないかなぁ!?」
「何?嫌なの?」
密着してしまった。この前キスをしてしまったというのに、何を慌てふためいているんだと思われるかもしれないけど、個人的にあのキスはノーカンだし恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ミ、ミスラに頼んで連れてって貰えば良かったんじゃないかなって…ひっ」
オーエンの方を向いて訴えようとすれば、予想以上に顔が近くてビックリした。オーエン、性格はあれだけど綺麗な顔をしているから緊張してしまう。
「………」
「………」
目が合った。目が合ったというか、オーエンはずっと私を見ていて私が振り向いたから目が合ったのかなって。そのまま自然な流れで…キスされたから、何かの間違いかと思ったけどキスは間違いでは無いようだ。
「…箒に乗りたい気分だっただけだよ」
恋人なんて出来たことないから分からないけど、恋人同士のような自然な流れで唇を奪われた後、何事も無かったかのように話は再開された。
「お、オーエンもキスとかするんだね…」
意図が掴めなさすぎて、突っ込まずにはいられなかった。これで『別に、気まぐれ』と返って来たならそれでいい。深い意味なんて無い方がいい。
「ナマエが嫌がらないならもっとするけど」
「ちょっ…ちょっと待って!?」
むしろ嫌がらせにキスをしていた可能性を信じていたのだけれども。嫌がらないならするって…
「今すぐじゃないよ。箒乗りながらだとしにくいから、着いたらする」
「そうじゃなくて…!」
キスするという行為自体の可否を待ってほしい。
「今日は僕の誕生日らしいから、みんな僕の好きなものをくれるんだ。誕生日なんてどうでもいいけど、貰えるものは貰っておこうと思って」
その“好きなもの”の中に私が入っているということなの…などと考えてしまうのは自意識過剰なのだろうか。後頭部に感じた何かが触れる感覚も、オーエンの唇では無いと信じたい。むしろ一緒に箒に乗っているこの人はオーエンなんだろうか。違うと言って欲しい。
どうしよう。このまま嵐の谷に到着して箒から降りたら、またオーエンとキスをするのだろうか。想像出来ない。待って待って。
色んな意味でハラハラドキドキしていたのだけど、数刻の飛行の末に辿り着いた我が家の前に佇む人物を見て心底安心した。ファウストだった。
「ファウスト…」
オーエンが忌々しげに呟いた。私達よりも早くここにいるという事は、ミスラに魔法で連れて来て貰ったのだろうか。
「ナマエ、無事か!?」
「えっ!?う、うん…」
キスしかされてないから、無事といえば無事だ。何もされていないかと聞かれれば別だけど。
箒から降りてファウストに駆け寄ろうとすれば、オーエンの腕がお腹に回って来て阻まれてしまった。
「…おい、ナマエを離せ。お前の目的はコレだろう。やるからさっさと立ち去れ」
私が焼いたパウンドケーキを片手に、オーエンを睨みつけるファウスト。前にもこんな事があったような気がする。
「ケーキとナマエどっちか選べっていうならナマエを貰って帰るけど」
「はぁ!?」
ファウストが私の気持ちを代弁したリアクションをしてくれた。どうしてそうなるの。
「ふざけるな。ケーキはやる。ナマエを置いて立ち去れ。」
「じゃあケーキもナマエも貰って帰る…“クーレ・メミニ”」
「オーエン!?」
突然の魔法に驚いたけど、攻撃魔法では無いようだった。ファウストの手からケーキが消えていて、代わりにオーエンの片手に収まっていた。
「ミスラ」
「はいはい…まぁ誕生日なので特別貸しとか無しにしておきます」
「やった」
続いてやっぱりミスラが現れて、呪文を唱えれば一瞬でファウストがいなくなった。ファウストがいなくなったと言うには語弊があって、私達が別の場所に飛ばされたようだった。
…ここはどこだ。
雲の上に来てしまったから、箒の上で、星と、月と、オーエンと私しかいないどこか…ということしか分からない。
「明日になれば返すから」
しん…という音が聴こえて来そうな静寂の中で、オーエンがポツリと呟いた。
「返す…?」
「強引過ぎても嫌われるって言われた。…はぁ、面倒」
ため息を吐きながら私の作ったパウンドケーキに食らいついたオーエンは、一口食べて口角を上げていた。お口に合ったってことかな。
「…一応、念の為に聞いておきたいんだけど」
「何?」
「わ、私の事が嫌いで、嫌がらせに困らせてるとかじゃないよね?」
私の問いにキョトンとしたオーエンは幾分幼く見えた。パウンドケーキが口元に付いてるから余計に。
「何で嫌いな奴と一緒に箒に乗って、そいつの手作りケーキを食べなきゃいけないのさ」
「そう…だよね」
じゃあ私の事好きなの?とは聞けなかった。聞く勇気も無いし、何となく『好きじゃない』って言われちゃう気がするし、万が一にも『好き』って言われてしまったらそれはそれでどうしたらいいのか分からないし。
「ナマエは僕のこと嫌いなの?」
「私は…」
ファウストにはオーエンに近づくなって言われてるし、側から見たらよく怖い事を言ってるから前までは正直すごい苦手だったけど。私の食べるパウンドケーキを嬉しそうに食べてくれてる姿を見てしまうと、心が揺れない訳ではない。
「ケーキ作って良かったなって思ったよ」
「は?どういう意味?」
「ふふふ」
オーエンは私の答えに不服そうだったけど、私だってよく分からない感情に振り回されてるのだからこれくらいいいじゃないか、と思ったりして。
「オーエン、お誕生日おめでとう」
「…うん」
肩に感じるオーエンの体温が少し恥ずかしいけれど、寒くなって来たから温かくて丁度いいのかもしれない。