魔法使いの約束 | ナノ

荷物持ちの報酬


※【花束なんかでは許されない】の過去編




若い頃の俺は愛だの恋だのなんて青臭い感情を知るより前に、良い女を抱くのは良い男としてのステータスだという先入観に浸っていた時期があった。そういった店に入れば美人でスタイルの良い女がゴロゴロいて、名の知れた盗賊だった俺達はその中でも特に良い女を見繕うことが出来た。俺だって例に漏れず、胸がデカくて派手目な美人とばかり遊んでいた。
そんなある日、ボス…つまりはブラッドに『今日は特別なところに連れてってやる』と言われた。連れて行かれた先は入り組んだ路地の片隅にある小料理屋で、初老の男と若い女が2人で切り盛りしていた。
女は今まで遊んだ女とは違い、薄く施した化粧に動きやすさ重視の服を身に纏っていて、俺は新鮮に感じた。

「貴方、ブラッドのお気に入りなんだね」
「ん…ははっ、そうなれてればいいけどな」

女は“ナマエ”と名乗った。魔女だった。ナマエは必要以上に俺を褒めたりはせず、どちらかといえば口下手な俺から話をさせるのが上手だった。あとはキッシュが美味い。普段は作る側として、まあまあの腕を誇る俺が、キッシュに関しては完全に敗北した。

「ネロも料理が得意なの?」
「まぁ…あんた程じゃないさ」
「私はキッシュ以外全然だよ。他のお料理は店長が作ってる」
「へぇ」

ナマエは気配り上手で、もう少し酒が飲みたいと思えば、飲みたい酒を注いでくれた。ツマミの量もちょうど良かったし、派手な女を両脇に抱えて飲む酒よりも、ナマエと飲む酒の方が何倍も美味く感じた。
俺は若いなりに、こういう女が“良い女”というのだと、その日やっと学ぶことが出来た。

「あー…」
「どうしたの?」

派手すぎないメイクが好きだ。前までは赤いリップが似合う女を好んでいたけど、色が薄付きの唇もそれはそれで色気がある。機能性重視で束ねられた髪も、スッキリとしてて、何というかその、首筋に目が行った。

「良い女だなお前〜!」

俺はというと、完全に酔っていた。急激にテンションが上がり出した俺に、ナマエは苦笑いしながら水を出して来た。そんな顔も好ましく思えた。つまりは、何というか、惚れた。

「なのに胸はちっせぇな〜!」

ナマエが良い女なのは申し分の無いほどに事実なのだが、1つだけ譲れない部分があった。

胸だ。

胸ばっかりは、小さいより大きい方が良いに決まってる。悲しいことに、エプロンの下から伺えるナマエの胸は、真っさらとは言わずとも主張が慎ましやか過ぎた。貧乳だった。

「帰れ…!」

フライパンでブン殴られたところまでは覚えてる。起きたらアジトで『殺されなかっただけ運が良かったと思っとけ』とボスに言われた。ナマエに対して貧乳は禁句だったらしい。
これが俺の、最初のナマエに対するやらかしだった。


「何しに来たのネロ。貴方、貧乳の作った料理は食べれないんでしょ」
「俺そこまで言ってたか!?」

後日、ボスにまたナマエの店に連れて来てもらえば、当然だけどナマエが俺に微笑みかけてくれることは無かった。

「そこまで言ってねぇよ。まぁ落ち着けナマエ」

下手したら包丁をぶん投げだしかねない勢いでキレてるナマエを見兼ねて、ボスが間に入ってくれた。

「ブラッド、店に連れて来る部下の教育くらいちゃんとしておいて」
「コイツはまだガキなんだよ」

ボスに対して物怖じする事なく物申すナマエに痺れた。まあまあ、なんてナマエの肩を抱いたボスを見て、俺もあの肩を抱きたいと思った。

「なぁ…飲み比べして俺が勝ったら付き合ってくれねぇ?」
「ここはそういう店じゃないの。女を抱きたいならそういう店に行って」
「ナマエがいいんだよ」

手法を変えて、それこそ“そういう店”で磨いたテクを披露すれば、明から様に嫌悪感を丸出しにされた。テクと言っても本心なんだけどな。常日頃遊んでるのがモロバレだからやめた方がいいと、一刀両断されてしまった。
真っ当な女を口説くのは難しい。そして『私を誘いたいなら売上に貢献してよね』という言葉を間に受けた俺は、またも酒に溺れ、泥酔したのだった。

「頼む!とりあえず一晩!一晩でいいから付き合ってくれ!」
「最っ低…」
「俺は胸が小さくてもお前が好きなんだよ…!」
「帰れ」

振られて当然である。
ボスは爆笑していた。ナマエは笑っていなかった。

その後も何度かナマエの店に連れてってもらったが、ナマエが俺の好意に応えてくれることは無かった。当然だと思う。もっとスマートに口説けないものかと自分でも頭を抱えたくらいだ。でも、俺なんかに簡単に落ちないナマエが好きだった。好きだけどキスくらいはさせて欲しかった。そう言ったらもっと嫌われた。



ある日、買い出しに寄った街は貧困層が目につくところだった。治安も良くなさそうだから、余計なトラブルに巻き込まれないよう注意していたつもりだったんだけど…

「この餓鬼…!」

見るからに飢えた子どもを折檻する大人の姿が目に入った。子どもはパンを抱えていて、男はそのパンを作ったパン屋の店主なんだろう。こういった街ではよく見かける光景だった。パンの1つや2つ恵んでやればいいものを…と思ったが、そんな心の余裕も無いんだろ。世知辛い世の中に溜息が出た。
変なところで見て見ぬ振りを出来ない自分に対しては、もっと深いため息が出た。

「ちょっとやめて!お金なら私が払うから…!」

俺が割って入るより早く、知った声が騒ぎの中心から聞こえたものだから耳を疑った。ナマエの声だった。買い物袋を抱えたナマエが子どもと男の間に割って入っていたのだ。

「君、これを持って逃げなさい」

ナマエは袋に入った林檎を1つ子どもに渡し、更には走って逃げるようにコッソリと魔法をかけていた。
男にとって折檻は日頃の憂さ晴らしの意味合いもあったんだろう。その子どもが逃がされて、男は激昂していた。

「この女、勝手なことしやがって!」
「パンはいくら?お金なら払うからそれでいいでしょう!」

そう言われた男はナマエの身体を舐め回すように見つめ、下品に笑った。そして凡そ常識では考えられない高額な値段を口にした。

「パンの1つでそんなにする訳ないじゃない!」
「俺の好きな値段で売って何が悪いんだ?嫌なら身体で払ってもらうさ。あんた胸が小さいからな、そのくらいの額がちょうどいいだろ?」

胸が小さい、と言われてキレたの、は言われた本人のナマエだけじゃなかった。

「分かった分かった店長さん。そのパン代、俺が払うよ」
「ネロ…!?」

俺だ。
自分の発言を棚に上げて、内心『ナマエの胸をバカにしやがって殺す』と怒りに狂いながらも、表向きは冷静に介入する事が出来たと思う。

「野郎に用は無いな。帰りな」
「そうも言ってられなくてね。こいつは俺の女なんだよ」

当たり前のようにナマエの肩を抱いたが、バレない程度に手は震えていたと思う。ナマエは何か言いたげな顔をしていたけど、俺の手を振り払ったりはしなかった。

「これだけあれば足りるだろ?これであんたにお似合いな女でも買ってくれよ」

俺は男がナマエに提示していた額の倍を男に握らせた。ナマエは何かを言おうと口を開きかけていたけど、目で何も言うなと訴えたら通じたようだった。

「行こうナマエ」
「………」

ナマエは終始納得いかないようだったが、大事にもしたくなかったんだろう。渋々俺について来てくれた。




「あんな男にあんな大金支払う必要ある!?」

2人きりになれば、案の定ナマエは不満を爆発させていた。

「無いな」

ボスのオーケーさえ出れば、ナマエの事をバカにしやがってと逆に金を支払わせたいくらいの気持ちだった。

「じゃあ…」
「俺を誰だと思ってるんだよ」

だから払ってない。ああやって下手に出るフリさえしてれば、あっちも下手に疑って来ないだろうと思ってやり過ごしただけ。

「あれはあの店主の店の売上金からちょろまかした金だよ。今頃ブチギレてるんじゃねぇかな」

数々の錠前を開けて来た俺にとって、あんなショボい店のショボい金庫から金を抜き取るなんて朝飯前だった。先にぼったくって来たのはあっちだ。他人に迷惑をかけた訳でもないし、こんくらい許されるだろ。

「嘘?全然気がつかなかった」
「ま、これでも盗賊なんでね」
「やるじゃないネロ!」

久しぶりにナマエに晴れやかな笑みを向けてもらって、ちょっと調子に乗ってしまった。

「…ちなみに俺がナマエを買うならあの10倍は払う」
「………」

何も言わなければいいものを、やっぱり俺の口から出たのはしょうもない口説き文句で。ナマエが露骨に嫌な顔をしたのを見て、100倍にしておけば良かったとか、見当違いな後悔をした。

「そういうことがしたいならそういうお店に行けって言ってるでしょ」
「ナマエが良いんだって言ってるだろ」

つまりは大金払ってでもナマエと色々出来るならしたいんだ俺は!男なんてそんなものだろ…!

「…お金なんて要らないから荷物持ちに付き合ってよ」
「それくらい全然付き合うけど…お礼にキスくらいはしてもらえる感じ?」

ボスがこのやり取りを聞いたら、だからてめぇはダメなんだよと笑ったと思う。がっつくんじゃねぇと言われても、あんただってご馳走を目の前にしたら我先に食べ始めるだろうが。俺にとってナマエはそういうものなんだよ。

「先払いでもいい?」
「えっ」

荷物を押し付けられて、両手が空いたナマエの手が俺の頬を包んだ。少し乱暴に顔を引っ張られ、俺とナマエの唇が重なった。

「…………」
「…………」

ナマエとのキスは今までしたどのキスよりも卑猥に感じた。
上唇に吸い付かれた後、2、3度唇全体に吸い付かれて、最後に軽く舐められてキスは終わった。

「お酒を沢山仕入れたいの。重たいからネロが持って」

ナマエは何事も無かったかのように要求を口にしたけど、俺はとてもじゃないけど買い出しに行ける心理状態では無くなっていた。

「…何でも言うこと聞くから先払いにしてくれよ」




結果として買い出しから帰るまで遅れに遅れた俺は、腹の空かせたボスにめちゃくちゃキレられた。

後日、ナマエの方からも店を開ける時間に影響したと怒られたのだけど、そんなんお前がエロいからだろと言ったらマジで殺されそうになったから、口は災いの元とはよく言ったものだと俺は学んだ。
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