サヴァラン
魔法舎に遊びに行けなくなった。オーエンに会いたくないから。
そのせいで賢者様にもファウストにも会えなくなっちゃって、寂しくて、オーエンに対して怒りが湧いた。
だけど、思い返せば…少し前までの私は、心のどこかでオーエンにも会いたくて魔法舎に行っていた気がする。
一緒に寝てくれたオーエンの温度を思い出して、ファウストとは違った温もりに切なくなった。おやすみ、と歯痒そうに言ってくれたあの日、私は確かに幸せだったのだ。幸せだったから、自分の気持ちが分からなくなっちゃって。そんな私を嘲笑うように『今まで嫌がってなかったから』なんて言ってキスをしてきたオーエンが許せなくなってしまった。
他人に多くを求めてはいけないと、ファウストから言い聞かされてたはずなのにね。
コンコンとドアがノックされた。
「…誰?」
昨日はファウストが私の様子を見に帰ってきてくれた。連日帰ってくるとは考えにくいから、ファウスト以外の誰かだろう。もしかしたら賢者様かもしれない。『遊びに来てください』という伝言を無碍にしてしまった私に、わざわざ会いに来てくれたのかも。
「僕だよ。オーエン」
小窓から来訪者を覗こうした寸前で、返事が聞こえてきた。会いたくないと思っていたオーエンだった。
「なっ…」
何で、と声に出しかけて止めた。会話をしたくなくて、居留守を使おうと思ったけど、『誰』と聞いた時点で居るのはバレてしまってる。
「ねぇ、ナマエが魔法舎に来なくなったのは僕のせい?」
オーエンはいつも何を考えてるのか分かりにくくて、でも今日は声に元気無いようにも聞こる。
「また魔法舎においでよ。賢者様もナマエに会いたがってる」
「…………」
外でにゃあ、と猫が鳴く声が聞こえてきた。オーエンは動物に好かれるから、猫が集まって来ているのかもしれない。
「…ナマエが僕に会いたくないなら、僕はナマエが来てる間出掛けてるから」
オーエンの声が聞き取りづらいから、と自分に言い訳してドアの前まで来た。オーエンくらい強い魔法使いなら、ドア越しでも私が近づいて来たことくらいは察知出来ると思う。
「何で…?」
さっきは飲み込んだ質問を投げかけた。ドアの向こうにいるオーエンが、私の声を聞いて息を飲んだような気がした。
「だって、ずっとここに1人でいたら、ナマエは寂しいでしょ」
どうして今になってそんな優しいことを言い出すの?私が寂しい想いをしようがオーエンには関係ないじゃん…と言いかけて、あの日、一晩一緒に居てくれた優しさを思い出した。
「僕はもう、ナマエが嫌がることをしないよ…キスもしない」
賢者様から、オーエンとキスするのは嫌かと聞かれて、嫌ではないと返事をした。嫌ではないけど、もやもやするのだ。もしかしてオーエンは私のことが好きなのかも、なんて勘違いをしたくなくて…私を弄んでるだけならやめて欲しいと思ってしまった。
「もし、ナマエが少しでも僕のことを許して、気が向いたら…また僕とも会ってよ」
オーエンはごめんとは言わなかった。でも、私に対して悪いと思っていることも、仲直りしたいと思っていることも伝わって来た。
「賢者様がね、それが“愛”なんて言ってたよ。意味わからないよね」
衝動的にドアを開けた。ちゃんとオーエンの顔を見て、オーエンの言葉を受け止めたくなったのだ。
ドアを開ければ、驚いた顔をしたオーエンがそこにいた。
「また泣いてる。僕のせい?」
「…オーエンだって、泣きそうな顔をしてる」
「僕は泣いたりなんてしないよ」
分かってた。
泣き方も謝り方も愛し方も、オーエンは知らないんだって。私はファウストに大切に育てて貰えたから少しだけ分かるけど、オーエンは分からないんだ。
「オーエン、少し屈んで」
「いいけど何?」
指図するな、なんて言われちゃうかと不安に思ったけど、オーエンは素直に屈んでくれた。
私は腕が震えそうになるのを抑えながら、オーエンを抱きしめた。オーエンはビックリしたのか、身体が少し跳ねた気がした。
「いきなり女の子にキスなんてしちゃダメだよ」
「…ナマエにしかした事ないよ」
それを殺し文句と人は言うのだけど、オーエンに言ってもピンとは来ないだろう。
弱々しい力で、控え目に抱き締め返された。スン…と鼻をすするような音が耳元で聞こえたけど、泣いてはいないようだった。
「私も、恋とか愛とかよく分からないけどさ」
「うん」
「いつか分かったらいいね」
多分、オーエンと一緒にいれば分かる気がするんだ。私が分かった時、オーエンも少しだけでも分かればいいなって、そういう感情が愛だというのなら、私はオーエンを好きなんだと思う。
「僕、今なんでナマエと抱き合ってるのかもよく分からないけど…」
「ふふっ」
「ナマエがあったかくて柔らかいのは、よく分かるよ」
顔を上げたオーエンと目が合った。さっきよりも晴れ晴れとした顔をしているような気がする。
「………」
「………」
数秒感見つめ合って、前まではこうやって見つめ合うとキスされてたなって恥かしくなった。今はさっきの「キスもしない」発言のお陰か、何もしてこない。
魔が差したというか、今まで振り回された仕返しがしたくなったのかもしれない。出来心にも近い衝動で、私はそっとオーエンにキスした。
「ん…」
オーエンからキスされてる時はいっぱいいっぱいで気がつかなかったけど、オーエンの唇が見た目よりも柔らかいことに、私は今日初めて気がついた。
「…ね、いきなりキスされるとビックリするでしょ?」
オーエンの反応が怖いけど、自分からあれだけしておいて嫌だったとは言わないだろう。
しかし恥ずかし過ぎてオーエンの顔が見れなかった。した後に冷静になった、というやつだ。
「していいの、キス」
「お、オーエンからはダメだよ!」
どういう理論だか自分でもよく分からないけど、いいよと言ったら即されてしまう気がして慌てて否定した。
オーエンの頬がいつもよりも赤くて、照れてるというよりは興奮しているように見えて、変にドキドキした。
「ナマエからだったらいいの?」
「わ、かんない」
「何で?今したでしょ」
「そうだけど…」
「もっとして」
大変な事になってしまった。
これだったらオーエンからしてもらっていた方がマシだったと思ったけど、冷静になって考えるとキスをする一択になってるのも意味が分からない。
「賢者様に何でナマエにキスをするのか聞かれたけどさ」
「えっ」
オーエンが自発的にここに来る訳ないと思ってはいたけど、やっぱり賢者様がフォローしてくれてたみたいだ。賢者様の優しさが嬉しかったけど、その質問はめちゃくちゃ恥ずかしいから勘弁して。
「今分かった。多分、甘いものを食べたくなるのと一緒。我慢出来ないから仕方ないだろ」
だから我慢出来てるうちに早くしてくれと、息がかかる程の至近距離で急かされてしまい、もうどうにでもなれと、またキスをした。