ミルフィーユ
あの日以来、ナマエは魔法舎に来なくなってしまった。オーエンを警戒して「魔法舎に来るな」と言っていたファウストも、突然訪れなくなったナマエを心配し始めていた。
「賢者、何か知ってるか」
「えっと…」
正直に知っていることを答えるのは気が引けた。ファウストとオーエンの仲が悪化するのもそうだけど、ナマエ的にもファウストには知られたくない話だと思ったから。
「なんというか、う〜ん…あれくらいの年頃の女の子は色々デリケートなんですよ」
「…そ、そうか」
こう言っておけば、ファウストもナマエに何があったか強く問い詰めたりしないだろう。それでも様子を見に一旦帰ると言ったファウストに『また遊びに来てくれるのを待ってると伝えて欲しい』とお願いした。私の世界ならスマホを使ってすぐに連絡が取れるけど、この世界はそうはいかない。遠い場所にいる相手に手紙を届けるのは時間がかかってしまう。ましてや嵐の谷の、ファウストの結界の中に住んでいるナマエに手紙を届けるには、魔法使いに頼むほか無い。ファウストに手紙を託そうか悩んだけど、会ってお話ししたかった。手紙で話し合うには余りにも複雑な問題だったから。
ナマエの方が現状何とも出来ない今、オーエンの方をどうにかしたかったけど、オーエンはオーエンで私の前に滅多に現れなくなっていた。人伝てに聞いた話、何度か魔法舎から出て行こうとして、スノウとホワイトに怒られているようだ。こっちも前途多難そうである。しかし、そうも言ってられない。ナマエが私の伝言を聞いて魔法舎に来てくれると信じて、それまでにオーエンと話をしなくては。
「スノウ、ホワイト。お願いがあります」
「賢者ちゃん!
「どうしたのじゃ?」
スノウとホワイトは言わずもがな、私の味方である。私がお願いすれば、可能な限りは応えてくれる。
「オーエンと話がしたいんです」
「オーエンか…」
「オーエンちゃんは今、何というか…やさぐれておってのう」
「もしかして賢者ちゃん、原因知ってる?」
2人はやれやれと肩をすくめていた。しばらくオーエンに会っていない私には『やさぐれ』の度合いが分からないけど、2人が吐き出した深い溜息から察するに、かなり手を焼いているようだ。
「ナマエとちょっとトラブルがありまして」
「え?そういうこと?」
「痴情の縺れってやつ?」
「絶対にオーエンを茶化さないで下さいね!相当堪えてると思うので!」
爛々と輝きだした2人の目を見て、先に釘を刺しておかねば更なる悲劇を生む可能性を察してしまった。今この話題でオーエンを茶化したら、もう何もかも終わる。
「ちゃんとオーエンの気持ちを聞きたいんです。この前は私もその場にいながらナマエを傷つけてしまったので」
「そうじゃったのか」
「ここは賢者ちゃんにお願いするとするかのう」
私に出来る事は少ないけれど、年頃の女の子の気持ちなら、多分、私が1番分かってあげられると思う。オーエンの気持ちを全て理解する事は出来ないかもしれないけど、いい方向に導いてあげられるのならそうしたい。
意を決して、3人でオーエンの自室へと足を運んだ。
「オーエン、ちょっといいですか?話がしたいんです」
まずは私がドアをノックしたけど、予想通り返事は無かった。
「オーエンちゃん!部屋から出てきなさい!」
「賢者ちゃんを無視しちゃいけません!」
スノウとホワイトが一緒に声をかけてくれたけど、返事は無い。不在なのかと思ったけど、2人が言うには、部屋にはいるらしい。
「お主も何をいつまでもうじうじしておるのじゃ!」
「無視するなら無理やり部屋から引き摺りだすぞ!」
「「────ノスコム…」」
「えっ?待って下さい!」
スノウとホワイトも、様子のおかしいオーエンに対して痺れを切らしていたところがあったろんだろう。力づくでことを進めようとしたした2人を、魔法を使ってまで引き摺り出すつもりは…と止めようとする前にドアが開いた。
「…うるさいな、僕に何の用?」
「オーエン!」
心底不愉快だという顔をしたオーエンが顔を出し、ドアの向こうから私達を睨んでいた。
「僕に賢者様と話すことなんて無いよ」
「待ってください!」
即突っぱねられてドアを閉めようとするのを慌てて止めた。
「私にはあるんです!今オーエンが部屋に戻ってしまうなら、ここで一方的に大声で語りかけますが、それでもいいですか!?」
「…………」
オーエンを脅してしまった。申し訳ない気持ちもあるけど、絶対に他人には聞かれたくない話のはずだから、これで中に入れてくれるだろう。
「入って。双子はどっか行って」
「オーエン、賢者を傷つけてはならんぞ」
「賢者、オーエンを頼んだぞ」
「2人とも、ありがとうございました!」
何とか部屋に入ることを許してもらえた。
乱暴にドアが閉められれば、私とオーエンの2人になった。
自分で話がしたいと言ったものの、明らかに機嫌の悪いオーエンを前に少し萎縮してしまう。
「僕に何の用?」
オーエンだって何で私が訪ねて来たのか分かっているから中に入れてくれたんだろうに。
「…ナマエの事ですが、」
今のオーエンの前でナマエの名前を出すのは勇気がいった。案の定、私の言葉でオーエンの端整な顔の眉間に皺がよった。
「知っているかもしれませんが、魔法舎に遊びに来なくなってしまいました」
「へぇ、そうなんだ。知らなかった。どうでもいいし」
「そんな訳ないですよね?」
オーエンが何を考えてるのか、私に理解出来る部分は少ない。それでも、オーエンにとってナマエが“どうでもいい”存在では無いのは分かる。
「…ナマエは、オーエンとキスするの『嫌じゃない』って言ってました」
ナマエにとっても、オーエンはある程度特別な存在だったはずなのだ。一言に“恋”というには不完全な感情だったかもしれないが、それでもキスを嫌だとは言っていなかった。ただ戸惑っていたのだ。嫌だったとするなら、あのタイミングでのオーエンの、不誠実な言動がそれだったのだ。
「嫌がってただろ。僕の顔を見て帰ろうとした」
オーエンから出た声は低かった。
違う。タイミングが悪かったと言ったらそれまでだけど、本当にそうなのだ。私が『告白されたら』なんて、たらればの話さえしなければ、あの場でああなる事は無かっただろう。
「…まぁいいけどね。ナマエが僕を嫌っていようがいなかろうが、僕には関係無いし」
感情的になった自覚があったんだろう。そんな自分を嘲笑うように、オーエンはまた心にも無い言葉を、笑いながら放っていた。
きっと、辛いとか苦しいとか悲しいとか、そういう感情が上手く処理出来ないんだろう。思い返せば、オーエンはあの時も笑っていた。
「じゃあ何でオーエンはナマエにキスなんてしたんですかっ…!」
今度は私の方が感情的になってしまった。本人がこの場にいないとしても、ナマエを傷つけるような言葉を、これ以上オーエンに言って欲しくはなかった。だってオーエンは、自覚のないままにずっと後悔している。
「別に…嫌がらせ」
先程までとはうって変わって、オーエンから返って来た言葉は弱々しかった。子どもが悪いことをして、それを誤魔化すような、自信の無い声だった。
そもそも、オーエンがはっきりしないから“ああ”なったのだ。オーエンが恋だの愛だの分からないのは知ってる。だからって、ナマエを振り回して良い訳では無い。
「嫌がらせっていうなら、今しに行けばいいんですよ!」
「…は?」
告白されたらどうしようと赤くなっていたナマエの顔と、オーエンにキスされて悲しそうなナマエの顔が頭に浮かんだ。
嫌がらせなんてあんまりだ。
「嫌じゃないって言ってましたけど、今のナマエはきっと嫌がりますよ。わざわざオーエンが嵐の谷までやって来て、キスして来れば、今度こそ本当に嫌われます!ナマエの事がどうでもいいんでしょう?じゃあいっそナマエに嫌われて来てください!じゃなきゃナマエが可哀想です!」
本当にそうしようとしたなら、更にナマエが傷つく事になるので止めなきゃいけないけど、オーエンはそうしないだろうという自信があった。
「………」
ほらやっぱり、何も言い返せない。
「オーエンはナマエのこと、どうでも良くないでしょう?」
いつものオーエンなら『何なの、じゃあして来ればいいんでしょ』とスタスタ言ってしまうだろう。でも行動にも移せず、何も言い返せず、私を睨むことしか出来ないオーエンは、怒っているようにも困っているようにも見えた。
「もう一回聞きます。オーエンは何で、ナマエにキスしたんですか?」
結局、その結論が出なければ何も変わらないのだ。別にキチンとナマエに告白しろなんて言わない。『好き』とか『愛してる』を言えなんて言わない。オーエンにとってそれが魔物を殺すことよりも難しいことなのは分かってる。
でも、自分の気持ちを正直に言って欲しい。
「…キスして、ナマエが僕のことを好きになったら面白いなって思って」
「面白い?」
そういえばオーエンは、前に賢者の魔法使い全員でお揃いの衣装を着た時も『面白い』と言っていた。口元をむずむずとさせて、眉を下げて、笑いながら言っていた。これは私の希望的観測になってしまうけど、オーエンは嬉しいや楽しいといった感情を、上手く処理する術を知らないだけなのかもしれない。
「でも、もう…ナマエが嫌がるならしないよ」
オーエンの声は震えてるように聞こえた。真実は分からない。気のせいかもしれない。
それでも、やっと心の内を明かしてくれたのは伝わって来た。キスして泣かせてしまって、オーエンだって傷ついていたのだ。
上手く気持ちを伝えられなくて、すれ違ってしまうこと事態は仕方ない。でもその後、心にも無いことを言って、自分もナマエも傷つけてしまうのは、とても良くない。
「オーエン、それが愛ですよ」
オーエンは私の言葉を聞いて、目を見開いていた。
でも、肯定も否定もしなかった。
それでいいんですよ。