アフォガード
どうしよう。困った。
これは…うん、困った。
「賢者様はさ、付き合ってない男の人とキス…とかしたことある?」
「う〜〜〜ん……」
これはオーエンの事を言っているんだよね…?
ナマエが魔法舎に遊びに来た。生憎ファウストは不在で、残念そうにする彼女を見ていてもたってもいられず。お茶に誘えば喜んで了承してくれた。初めこそたわいない雑談に花を咲かせていたのだけど、ふと会話が途切れたタイミングでナマエが「賢者様に相談したい事があるんだけど…」と言い出した時には、この話題ではありませんように…と密かに願ってしまった。願いは虚しく、案の定この話題だったのだけど。
ファウストの義娘であるナマエは、あのオーエンに想いを寄せられている。どうやらオーエンの一方的な好意ではあるようだけど、キスはした事あるらしい。それも複数回。ナマエはその事で悩んでいたようだ。悩んで当然だと思う。
まぁ、そういう子もいるにはいる。別に否定はしないけど…良いか悪いかで聞かれれば、良くはないとは思う。ナマエはファウストに大切に育ててもらったようだし、ホイホイ男の人とキスするタイプでも無さそうだから、完璧にオーエンに流されてしまっているんだろうなと。ただ私がここで『良くはないと思う』とナマエに言えば、ナマエはオーエンを拒否するかもしれないと考えると、軽率に否定も出来なかった。
ナマエには自分を大切にして欲しいけど…オーエンは本当にナマエの事が好きみたいだし、でもファウスト……う〜ん……
「…ナマエはオーエンの事をどう思ってるんですか?」
まずはここを確かめなければ。
この前なんてオーエンの部屋に泊まっていたらしいから、嫌いではないのだろうけど。
「好きって聞かれたら分からない…」
「そうですよね…」
そんな気はしてました。
ナマエはファウストと閉鎖的に暮らしていたらしいから、初恋もまだなんだろうな。
「普通はキスって好きな人同士でするものなんでしょ?おかしいよね」
「まぁ…」
そもそもどういう感じでキスしてるんだろう。気になる。すごい気になるけど聞けない。
はっ…まさか無理矢理!?
「い、嫌ならちゃんと拒否した方がいいと思います…!」
考えた末に出て来たのは無難な答えだった。第一に大切なのはナマエの気持ちだ。こんな事言って、ナマエがオーエンを拒否して、原因が私だとバレたら大変な事になりそうだけど…その時はファウストに全力で助けてもらおう。
「い、嫌って訳じゃない、と思うけど」
「そうなんですか!?」
良かった。オーエン良かったですね。嫌ではないらしいです。歯切れの悪い答えではあるけど。ということは無理矢理してる訳ではないのだろうか。ますます謎である。
「でも好きって聞かれれば分からないし、オーエンも私のこと好きなのかもよく分からないし……よく分からない」
「オっ…」
オーエンは多分めちゃくちゃナマエのこと好きっぽいですよ!と声を大にして言いたいところだけど、それこそケロベロスの餌になりそうだから自重した。オーエン告白はしてないんだなぁ。恋バナの時も『好き』とは明言してなかったし。オーエンに直接聞いてみたらどうかと進言しようとも思ったけど、それはそれでファウストに余計なことをするなと怒られそうだし。
「もし…本当にもし、オーエンに告白されたらどうします?」
お節介かもしれないけど、少し踏み込んでみよう。答えによってはファウストと相談した後オーエンにも報告しなきゃいけない。
「ええ!?ど、どうしよう…」
ナマエはあわあわとしていたけど、少し頬が赤くなっている。これは…満更でも無いんじゃないか?現状ナマエもオーエンを好きとは言い難いけど、オーエンがちゃんと告白して意識してもらえればそれなりにいい感じになる…ような気がする。
え、どうしましょうファウスト。
「…ナマエ?こっちに来てたの?」
「あ」
タイミングよく現れたのは、噂のオーエンだった。ナマエの気配的なものを嗅ぎ付けて来たのだろうか。相変わらず神出鬼没だけど、何もこのタイミングで現れなくても…
「お、オーエン…!」
まさに話の主役だったオーエンが急に現れたものだから、ナマエはとても動揺していた。私の揺さぶりのせいもあるんだろうから申し訳ない。
「顔赤くない?何、調子悪いの?」
そう言ってナマエの頬に触れたオーエンは、知らない人が見たらナマエの恋人に見えるくらい自然に触れていた。ちなみに私の存在は華麗なまでにスルーされている。ナマエの方はといえば、会話が会話だったこともあり、オーエンに触れられた瞬間にビクリと肩を震わせて立ち上がった。
…そして私の後ろまで避難して来たのだった。
「へ、平気!ちょっと賢者様とお話ししてただけだから…」
「へぇ…何の話してたの?」
「何でもない!ねっ、賢者様…!」
とんでもない事に巻き込まれてしまった。前もこんなことがあったような!?
オーエンの目が「へぇ、賢者様ってばそんなにナマエと仲良くなったんだ」って不満気に訴えて来てる。な、仲良くなるのは別にいいじゃないですか。
「何でもないですよオーエン」
まさか貴方のキスの事で相談乗っていたとも言えず、かといって適当な嘘をつくことも出来ず、何でもないと誤魔化すことしか出来なかった。返事を聞かなくても分かる。オーエンは全く納得していない。
「じゃあ…」
「私そろそろ帰ろうかな!賢者様、お茶に誘ってくれてありがとう」
オーエンが何か言いかけたところを、ナマエが勢いよく遮っていった。急にそそくさと身支度を整えるナマエはどう見ても怪しい。
「何?僕なんかした?」
その態度は心外だと言わんばかりに零したオーエンだったけど、“なんか”は確実にしてる。
具体的に言えばキスです。
「えっと…その、」
「何?」
「き、キスとか…この前、何もしないって……と、泊めてくれたのは助かったけど……」
ナマエー!?正直に言っちゃうんですね!?
えええ、どうしよう。ナマエはオーエンに腕を掴まれてしまって、側から見たら完全に修羅場みたいになってる。ナマエは完全におろおろとしていて、まともにオーエンと目も合わせられず、見ていて可哀想だ。
「…今更じゃない?」
今更って言うほどキスしてたのか…と、一瞬、脳が宇宙を漂ってしまった。それだけキスしてても気持ちが分からないなら、悩んでしまうのも無理はない。オーエン女心が全く分からなそうだし。
「お、オーエンそんな言い方はっ…」
とにかくナマエを助けてあげないと、と何とか割って入ろうとしたのも束の間、オーエンの顔が俯くナマエの顔に近づいていって………
キス、した。
多分、すごく優しい、触れるだけのキスを2、3回。
ナマエは驚いて喉から悲鳴ようなか細い声を出していたし、私も変に出そうになった声を押し殺そうとして謎の呻き声を出してしまった気がする。
な、なるほど…いつもこういう感じでキスしてたんだ。
「…別に、この前だって嫌がってなかっただろ。何?賢者様に唆されでもしたの?」
そっと唇を離したオーエンは、子どもに言い聞かせるようにナマエに問いかけていた。私にとんでもない冤罪を投げかけながら。
「い、嫌だから…」
「ナマエ?」
「もう、オーエンとは、キスしない…」
顔を上げたナマエは半泣きだった。悲しさからなのか、恥ずかしさからなのか、怒りからなのか、どういった感情で顔を赤くしているのか察することが出来なかった。ただオーエンを拒否した時の震えた声は聞くに耐えなくて、何とかしてあげなければと私を奮い立たせた。
「オーエン、とにかくナマエを放してあげて下さい!」
ナマエを掴んでいた腕はあっさりと放してくれて…というより、元から力が抜けきっていたようで、解放されたナマエはこちらを振り向くことなく小走りで立ち去ってしまった。
「あ!待って下さいナマエっ…!」
今ちゃんと話し合わないとまずい気がする。私の制止も虚しく、ナマエは一心不乱に外に飛び出した後、箒に乗っていってしまった。
「………」
「………」
オーエンはナマエを追いかけなかった。
オーエンと2人でいて居心地の悪い想いは何度かした事があるけれど、こういった気まずさは初めてかもしれない。とてもじゃないけどオーエンの顔が見れなかった。
「はは」
この場の空気にそぐわない楽しそうな笑い声に、不安になりながらオーエンの様子を伺う。オーエンは悪戯が成功した時のように笑っていた。
「ナマエってば可哀想。僕にキスされるなんて、なんて不幸なんだろうね」
まるでヒースクリフに対して不安を煽る時のような物言いで、楽しそうにオーエンは言葉を続けた。
「嫌だって言い出せず、ずっとずっと我慢してたんだね。」
「…オーエン」
「ふふふ…ファウストが知ったらきっと怒るだろうね。賢者様、ファウストに言ってみてよ。ナマエが僕に…」
「オーエンっ」
確かに相手にキチンと同意を取らずにキスしたオーエンは悪いけど、そんな風に言わないで欲しい。オーエンがこんな事言ってたって知ったら、ナマエはもっと傷ついてしまう。
「何?」
「大丈夫ですか?」
それに、オーエンだって絶対傷ついてるのに、自分で傷口を抉るような事を言うのはやめてほしい。見ていられない。
「別に、」
別に、の後にオーエンは何か言葉を続けようとしていて、やめた。
「あっ…オーエン!」
最後に見たオーエンの顔は、真顔にも見えたし、傷ついているようにも見えたし、怒っているようにも見えた。魔法が使えない私はオーエンをこの場に引き止めることも出来ず、オーエンもまた煙のように姿を消してしまった。