狼とクローバー | ナノ

オペラ


別に何があった、という訳ではない。

賢者の魔法使いが魔法舎で共同生活をすることになって、義理の父のファウストもそうする事になった。なるべく魔法舎には来るなとは言われていたけど、寂しさに負けて顔を出せば、レノックスさんと話すファウストを見かけた。結論から言えば、2人が話しているのを見た時、急激な孤独感に襲われたのだ。今までは2人だけで慎ましやかに、でも幸せに暮らしていた。私は一生このままでも良いと思っていたけど、ファウストは違かったのかもしれない。そもそもファウストの過去に何があったのかも最近まで全然知らなくて、建国の英雄とか、アレク王とか、それこそレノックスさんとか、フィガロさんとか。私にとってファウストはただ1人の父だったけど、ファウストにとって私は、多数いる人達の中での1人だったんだ。そう気がついて、言いようの無い虚しさに襲われた。せっかく魔法舎まで来たにも関わらず、誰にも声をかけられないまま夜を迎えて、私は1人で泣いていた。

「ぐすっ……」

空からムルの笑い声が聞こえた。どこからともなく漂ってきたお腹の空く良い香りは、明日の仕込みをしているキッチンからだろうか。ここの人達は基本的にとても優しいから、こんなところを見られたら心配させてしまう。だから隠れてコソコソ泣いていれば余計に虚しくなった。

「ピピっ」
「……小鳥?」

樹の下に隠れて泣いていれば、小鳥が肩に乗ってきた。側に仲間は見当たらない。この子も独りぼっちなのだろうかと手を伸ばせば、ピョンと指に乗ってきた。

「ふふっ、人懐っこいね」

私を慰めるようにチュピチュピの鳴く可愛らしい姿に、少しだけ癒された。

「もし君に家族がいないなら、私と一緒に嵐の谷に来る?あそこは良いところだよ。でも、1人だと少し寂しいって、最近気がついたんだ」

メソメソしながら語りかければ、小鳥は何かを考えるようにぴょんぴょんと跳ねた後、ピィピィと喉を鳴らして飛んで行ってしまった。

「あっ…」

当たり前だ。
ずっと一緒にいてくれる訳がない。
あっちからすれば気紛れに近づいた人間、もとい、魔法使いでしかなくて、また気紛れに去って行くのだ。
いつか別れが来るのなら、始めから近づいて来て欲しくなんてなかった。捨てられていた時点で見捨てて欲しかったし、家から飛び出した10歳のあの日に迎えに来なければ良かったのに。でも、ファウストが誰かを見捨てられるような人じゃないってことも分かってる。私の事も、私から突き放さない限りは寄り添ってくれるはずだ。それが有り難くて、でもファウストの人生を縛ってる気がして心が痛んだ。

「何…泣いてるの?」

遠慮がちにかけられた声にそちらを向けばオーエンがいた。オーエンの右手の上で、先程まで私と一緒にいた小鳥がピィピィと鳴いていた。

「鳥…」
「この鳥が、ナマエがここで泣いてるって知らせに来たから」

そんなまさか。そんな素敵な物語みたいな話がある訳ない。

「鳥の言葉が分かるみたいなことを言うんだね」
「分かるよ。僕は動物と話が出来る。ケダモノとは親しいんだ」
「…そうなの?」

それは魔法使いの大多数が使える力なのかと驚いたけど、賢者の魔法使いの中でもオーエンだけが持ってる特技のようなものらしい。なんというか、あまりにメルヘンチック特技に、少しだけ似合わないなと思ってしまった。

「嵐の谷に帰るの?」
「その子から聞いたの?」
「せっかく来たなら泊まっていけばいいじゃないか。ファウストのところに」
「………」

ファウストの名前が出されて、少しだけ肩が震えてしまった。オーエンの登場で紛れていた気持ちがまた蘇って来て、流れ出た涙をオーエンに見られないようにそっぽを向いて拭った。

「あれ?」

その一瞬でオーエンは姿を消してしまっていた。ミスラのアルシムとはまた違う空間移動魔法だろうか。気紛れである。便利でいいな、と思いながら、また1人になってしまった寂しさに目頭が熱くなった。

「ニャア」
「えっ…」
「ニャアニャア」
「猫?」

小鳥とオーエンの後は子猫が現れた。それも3匹も。まだ小さい。お腹が空いているのか、何かくれと言わんばかりに甘えて来た。

「…は?喜ばないの?」
「オーエン!?」

子猫ととも舞い戻って来たんだろうオーエンの足元には、親猫らしき少し大きな猫が鎮座していた。

「猫だよ。小さな猫」
「う、うん…見たら分かるけど……」
「…………」
「…………」

何故オーエンは猫を引き連れて戻って来たのだろうか。私の反応を見て、どこが不満げにしていた。オーエンの肩に乗っている小鳥が、フォローするかのようにピィピィと鳴いている。

「賢者様は小さい猫を見せると馬鹿みたいに喜ぶのに。ファウストだってコッソリ餌をやってるみたいだし…」

なるほど。なのに何でお前は喜ばないんだ、と言いたいのだろうか。

「可愛いとは思うよ?ただ…」

賢者様がどのくらい猫好きなのかは知らないけど、私は猫が大好き、という訳では無かった。

「…ファウストには黙ってたけどね、どちらかと言えば犬派なんだ」

猫も勿論可愛いけれど、気紛れに寄り添ってくる猫よりも、ずっと一緒に居てくれる犬の方が私は好きだった。まさかの展開だったんだろう。オーエンは驚いたような顔をしていて、オーエンでも驚いたりするんだなって思った。
なかなか構ってやらない私に痺れを切らした子猫が膝に乗って来る。馬鹿みたいに喜んだりは出来ないけど、可愛いとは思う。少なくとも、オーエンが泣いてる私を喜ばせようとこの子達を連れて来たのは間違い無いようで、その気持ちだけでも嬉しかった。

「ありがとう、オーエン」
「犬派なんだろ?」
「うん。でも、ありがとう」

猫を抱きかかえてあげれば、ミィミィとはしゃいでいた。この姿に愛くるしさを感じるのは、極一部の人種を除いて万人共通の感覚だと思う。

「今日はとりあえず嵐の谷に帰るね」

遅くなってしまったけど、とりあえず吹っ切れはした。今なら1人で谷に帰っても大丈夫。次にここに来た時は笑ってファウストに会うことが出来る。でも、ここに一晩いたとバレたら無駄な心配をかけてしまうだろうから、今日は帰ることにする。

「泊まっていけば?」
「そろそろファウストも寝てるだろうし、やめておくよ」
「ファウストの部屋じゃなくて、僕の部屋」
「えっ」

…えっ?




「大きいな。魔法でサイズを…クロエなら出来そうだけど、頼みに行く?」
「こ、このままでも私は平気だけど」
「じゃあ別にいいか」

何で私はオーエンの部屋に泊まることになったんだろうか。帰ろうとしたけど、だったら送る・もしくは来ていたことをファウストにチクる、と言われてしまって、訳も分からぬうちにオーエンの部屋に招かれ、シャワーを浴びる事となった。シャワーを浴びればオーエンが寝間着を貸してくれた。至り尽くせりである。オーエンは細身だから、寝間着が入らなかったらどうしようかと内心冷や冷やしてたけど、普通に着れてよかった。むしろ少し大きいくらいだ。
ここまで来て、だったら賢者様のお部屋に泊めて貰えば良かったのでは?と思い始めたりして。

「寒い?暑い?」
「普通…」

思ったけれども、びっくりするくらいテキパキと私の寝る支度をしてくれてるオーエンを前に何も言えなくなった。ちなみにオーエンの部屋は普通で…本当に普通に、普通の部屋で驚いた。もっと骸骨とか転がってそうだなって思ってた。部屋だけで見て、ファウストとオーエン、どちらがまともそうかと聞かれれば、オーエンの方だ。

「…待って、一緒のベッドで寝るの?」
「僕にソファで寝ろって?」
「私がソファで寝るよ」
「何でそうなるんだよ」

何でそうなるんだよ?
む、むしろ何でそうなるの…?

「ファウストに怒られちゃうよ…!」
「僕にノコノコついて来た時点で怒られるだろうから手遅れでしょ」
「うっ…」
「あんまりうるさくしてると隣の部屋のオズにバレるよ」
「隣、オズ様だったんだ…」
「最悪だろ?」

至極不愉快そうにそう言ったオーエンが年相応…というか、見た目相応の青年に見えて面白かった。

「ぎゃっ」
「早くベッド入って」

隠れてクスクスと笑っていたら、ベッドに放り投げられた。後からオーエンもベッドに上がってきて、壁側にいる私は逃げるに逃げられない状態となった。
え、本当に一緒に寝るの…?

「そんな顔しなくても何もしないから」

呆れたようにため息を吐きながらオーエンが言った。否応無く明かりを消されて、暗い部屋の中に薄っすらと厄災の光だけが差し込んでいる。オーエンの顔がギリギリ見える程度の明るさだ。

「何も…?」
「何?何かしていいの?」

何かとは。キスのことだろうか…と思い出して、冷静に考えて、キスして来た相手と一緒に寝るのってどうなんだろうって思ったりして。
頭の中がぐるぐるしたけど、暗い部屋の中でオーエンの息をする音と、時計の音だけが響いていて、段々と懐かしい記憶が蘇って来た。

「…久しぶりに誰かと一緒に寝るなぁ。大きくなってから、ファウストは一緒に寝てくれなくなっちゃったから」

小さい頃はよくファウストにくっ付いて寝ていた。そんなにくっ付かれたら眠れないよ、と困りながら微笑んでいたファウストの優しい顔が頭に浮かんだ。

「また泣くの?」

オーエンが私の目尻に触れて、その優しい触れ方に、愛を感じたような気がして、違う意味で泣きそうになった。少なくとも今の私は孤独では無いのだ。

「ううん。泣かない」
「泣きそうだけど」
「そうだね…」

結局オーエンは何を考えてるのか分からない。私のことが好き、みたいな言動をするけど、私だって惚れた腫れたについてよく分からないのに、オーエンのそれが何なのか分かる訳がない。

「ちょっとだけ泣きそうだから、寝入るまで手を繋いでくれる?」
「…いいよ」

遠慮がちに握られたオーエンの手は震えてる気がした。いつか気紛れに、この手に払い除けられるかもしれない。それでも今日、オーエンが寄り添ってくれた事を忘れないようにしよう。それでいいんだ。ファウストの事だってそう。いつか離れ離れになったとしても、彼から愛情を注いで貰った日々が消えて無くなる訳ではないのだから。
覚えていよう。長く生きるであろう人生の中の、幸せだった瞬間の出来事を。

「昔はよくこうやってファウストと一緒に寝てたんだ」
「僕は誰かと一緒に寝るのも、手を繋ぐのも初めてだよ」
「そっか」

オーエンも家族がいないの?…なんて軽々しく聞けなかった。願わくば、私なんかでも今だけはオーエンの孤独を和らげる事が出来ていますようにと。

「オーエン、おやすみ」
「おやすみ」

目を瞑ってそう告げれば、言い慣れていなさそうな『おやすみ』が返ってきて笑ってしまった。その後オーエンが近づいてくる気配がして、目尻に何が触れた。びっくりして目を開ければ、近くにオーエンの顔があって、そのまま唇が重なった。

「………」
「…寝ないの?」
「ね、寝る…」

何もしないって言ってたのに、とは言えなかった。オーエンがあまりにあっさりしているから、あれ?気のせい?って思ったくらい。
何事も無かったように目を瞑ったオーエンの寝顔はとても綺麗で、何だか照れてしまってそっちを向けなくなった。壁側を向いて寝たけど、繋がれた手だけはそのままで。
ドキドキして寝付けるか心配だったけど、泣いた疲労感もあっていつの間にか寝落ちていた。



翌朝の事である。


「オーエンちゃん!」
「朝じゃぞ〜!」
「「起きて起きてっ」」

双子先生の見事なユニゾンで目が覚めた。外が明るい。寝すぎてしまったようだ。

「…さいあく」

舌ったらずな悪態が耳元で聞こえてきて、突然の擽ったさに身体が震えた。

「へ?」

何で耳元でオーエンの声がしたんだ…?と、まだ覚醒しない頭で必死に現状の把握に努めた。
うん…繋いだ手はそのまま、後ろから私を抱きしめる形でオーエンは寝ていたようだった。

「あれ?オーエンちゃん…?」
「誰かと一緒に寝てるの…?」
「ナマエが泊まりに来てるから、朝食もう1人分用意しろってネロに言っておいて」

言っておいて、じゃない。オーエンは私がここに泊まっていたことを隠す気は1ミリも無いようだ。話が違う気がする。

「ちっ…」

オーエンは舌打ちをして二度寝をしようとしていたけど、私は二度寝する出来る状態では無いし、何より双子先生がそれを許さなかった。

「オーエンちゃん、ナマエちゃんに何をしたの!?エッチ!」
「魔法舎の風紀が乱れておるぞ!」
「「ファウスト〜!」」

「待って待って待って!」

双子先生は大はしゃぎだったけど、私はそれどころじゃないし、騒ぎを聞いて駆けつけたファウストなんてもっとそれどころじゃなさそうだった。

「泊まるにしても何で僕の部屋に来なかったんだっ…!」
「うーん…えっと、ごめんなさい……」

真っ青な顔で私をベッドから回収したファウストは、オーエンの部屋着を着ている私を見て更に真っ青になっていた。あの、何もしてないよ。キス以外…キスも、もしかしたら気のせいだったかもしれないし。

「オーエン、いくらなんでも場所を選ぶのしゃ!」
「ここにはリケやミチルといった若い魔法使いも住んでるんじゃからな」
「うるさいな。キスしかしてないよ」

あっ、キスは気のせいじゃなかったみたい

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