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なんだか消えてしまいたい、と頭に過ぎったのは、太陽が西に傾いた放課後。外のテニスコートにはブン太の姿があった。隣にはマネージャーもいる。胸に針が刺さったように、ちくちく痛んだ。その時教室のドアが開いた。


「名前。」
「あれ、凜子。残ってたんだ。」


凜子も私と同じ、帰宅部だ。いつもは放課後なんて残らずに、すぐに帰ってしまう。だから珍しい姿に私は少し驚いた。凜子はドアの所から窓際に立っている私に言った。


「今日ジャッカル待ってるから。」
「…そっか。」


凜子は当然のように言うけど、私は凄く羨ましいんだ。両想いな彼女たちを羨ましいと思わないはずがない。


「テニスコート行かない?」
「えっ!?」
「だってあんた、いつもそこから見てるじゃない。」


仕方ないよ。私は幼なじみなんだから。違う。本当はテニスコートをぐるりと囲むファンの子たちとは違うんだ、って思いたくて。ブン太に一番近いのは自分だって思い込みたくて、あえて教室から見ていた。朝練の時は女の子はそんなにいないから近くで見るけど、放課後は別。それに今あそこに行ったら、ブン太とマネージャーが仲よさ気なシーンを目の前で見なきゃいけなくなる。それに気付いたのか、凜子はふっと軽く笑った。


「堂々としなさいよ。今はもう、丸井の彼女はあんたなんだから。」


その言葉は鋭く胸に突き刺さる。凜子もまりな達と一緒に、祝福してくれた。でも私は罪悪感が募るばかり。もう言えない。凜子にさえも、もう自分の本心を語れない。


「ね、行こう?」


私は頷くしかなかった。


テニスコートは毎日変わることもなく、今日も例外なく女の子に囲まれていた。嫌だ。所々でブン太を呼ぶ声が聞こえる。嫌だ。こいつらと私は同じなんだ。嫌だ。だって私はブン太の彼女ではあるけど、ブン太の気持ちは私には向いてない。こいつらにだって向いてない。長年一緒にいた私は、所詮フェンスにしがみついて黄色い声を上げる女と、同じ。気持ち悪い。突然、なぜか吐き気がした。私、やっぱりここにいたくない。


「凜子、ごめ、ちょっと気持ち悪い…。水飲んでくる。」
「えっ?大丈夫?」
「ん。ごめん」


凜子をおいて、外用手洗い場にきて水を流した。少しだけ飲むと、血の巡りがよくなった気がした。その時、視界を影が覆った。何だろうと少し振り向くと、その瞬間身体に衝撃が襲った。


「どうも。」


右の手首を掴まれ、手洗い場のひんやりとしたタイルに押さえ付けられた。そしてその逆側の手を私の身体を挟むようにタイルにつける。年下とは言え男子に迫られるなんて初めてだったから、動揺が隠せない。


「ちょ、近いよ、ワカメ。」
「ワカメって言わないでくださいよ。キスしますよ?」
「するな。」


だいたい私はあの日からこの人に怒っているはずだ。教室で大声でブン太とのことを話され、そのうえ別れた方がいい?ふざけるな。


「じゃあ赤也って呼んでください。」
「……私、彼氏いるから。」


左手が痛い。掴んでいる手に力が篭った。微かに顔を歪めると、ワカメは口元を緩ませた。そして何がおかしいのか、大声で笑ってから更に顔を近付けてきた。思わぬ距離に咄嗟に顔を背ける。相手はブン太じゃないのに、不慣れのせいでドクンドクンと心臓が高鳴っている。ねえ、ブン太は?


「彼氏?」


ワカメは私の耳元で、馬鹿にしたように言った。声が、近い。吐息が、近い。そして微かに耳が噛まれた気がした。ゾクリと何かが身体中を駆け巡る。嫌だ。嫌だよ。助けてよ、ブン太!


「っ!」
「感じてます?」


笑ってる。さぞ面白そうに笑っている。悔しい。悔しいけど、ブン太は来てくれない。来てくれないんだよ。ワカメは耳を噛みながら更に続けた。


「名前さん。自分を本当に想ってくれない人を、彼氏って呼べるんスか?」


涙が、止まらない。


―――


あれ、なんか大変なことになってる…

2012.01.03


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