「子猫丸、お前は三輪家当主やぞ。あんな女に現を抜かす暇はあらへんやろ。」
「現抜かした覚えはないですよ。」


購買から教室に向かう途中の廊下を歩きながら、勝呂は子猫丸に言い聞かせた。いつもは志摩の宥め役となる子猫丸だが、今では逆の立場になっている。そして勝呂に口答えする子猫丸も珍しい。志摩が困ったようにフォローを入れようとした時。廊下に小さな悲鳴が響き渡った。何事かと、人が集まる方に三人は向かった。


渡り廊下では、名前の前に一人の女の子が倒れていた。片手で頬を覆い、ぶたれたことを示唆していた。


「ついにやりよったな、あいつ…!」


隣で声を上げる勝呂。子猫丸は何も言わずに、両腕のパンを抱え込んだ。名前の悲しそうな瞳が、確実に子猫丸に向いている。子猫丸はごくりと唾を飲み込んだ。


「何があったんだー?」
「ああ、奥村君。苗字さんがついに暴力振るいよったみたいやで。」


隣に寄ってきた奥村燐に、志摩は受け答える。燐もふーん、と軽く流して、すぐに姿を消した。すると、黙って子猫丸を見ていた名前も、ふっと視線をそらし、踵を返した。彼女の後ろ姿を見ながら、勝呂は子猫丸に声をかけた。


「ほれ見ろ。苗字は普通の女とちごてるやろ。」
「……。」


子猫丸はパンを持つ方とは逆の手に、拳を握っていた。そして名前の後を追おうと駆け出そうとした時だ。勝呂の手が子猫丸の手首を掴んだ。そしていつもより強い怒鳴り声を上げる。


「どこ行くん、子猫丸!」
「どこて、苗字さん追うに決まっとります!手ぇ離してください!」


子猫丸が怒鳴るのは珍しい。勝呂に口答えするのは更に珍しい。むしろ、こんなに怒ったような子猫丸を見るのは、初めてかもしれない。二人は子猫丸の様子に、意表を突かれた。


「子猫丸!ええ加減にせんと、許さへんぞ!」
「ええですよ!ここで苗字さんを追えんようなら、坊は勝手に怒ってはればええですっ!」


子猫丸は勝呂の手を振りほどき、彼女の後を追った。勝呂に反抗して、そんなことを言うなんて本当に初めてだった。しかし雨の中を走る子猫丸の目には先程の名前の切ない表情が焼き付いていて、それ以外考えられなかった。


―――


暴風雨でマンションが揺れる…

2011.09.21


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