韃靼人は泣く


桜の花はまだ咲かない。冬を前に、木は葉を落とそうとしていた。桜を見るのは毎年の恒例行事だ。毎年竜士と見て、これから先もずっと、と約束もした。その約束が破られることは、名前にはもう分かっていた。


「早よ、咲かんかな。」


名前の言葉は胸に染み込む。まだ冬前だ。咲くはずがないのに。来年はもう一緒に見れない。名前は絶対に気付いている。いつまで自分は気付かない振りをするのだ、と竜士は自分を責めた。もう頃合いだ。


「…名前、俺な、祓魔師になりたいんや。そんで、サタン倒す。」
「……うん、知っとる。」


名前の手を握る竜士の手に力が入った。ぎゅっと握りしめる。離れたくないと、彼の手が言っている。


「………東京行こ、思てる。」


名前は何も言わない。竜士の言葉を待っていた。


「名前も、一緒に行かへんか?」


ずっと心に留めておいた言葉をようやく竜士は口にした。名前は怒り出すかもしれない。だが、東京に行くなら名前も一緒がいい、と竜士は思っていた。しかし、名前は力強く唇を噛んでいた。こんなに悲痛な表情を竜士は見たことがない。


「名前?」
「……東京には、行かへん。」


すーと竜士の肩の力が抜けた。少しも悩む素振りは見せなかった。分かってはいたことだが、妙に切なくなった。名前はまだ下唇を噛んでいた。


「私、舞妓さんになりたい。」
「…え?」
「舞妓さんになりたいんや。せやから高校には行かへん。…ごめ」


謝ろうとした名前の口を、竜士は手の平で止めた。目の前に突き出された手を、不思議そうに見た。


「お前は、舞妓になりたいんやろ?謝るなや。誇り持って、胸張って堂々としい。それが一番、名前らしい。」


突き出した手を、名前の頭の上に置いた。至近距離で竜士は微笑む。いつも微笑むのは決まって名前の方だが、今日は泣いている。だから今度は自分が、と竜士は精一杯微笑む。大粒の涙を流す名前。竜士も本当は泣きたくて仕方ないのだ。名前と離れたくない。ただそれだけだ。だが、涙は決して見せない。青い夜の後、自分の無力さに泣く毎日だった。それを桜の木の下で出会った少女は変えてくれた。祟られているのに、少女は微笑んでくれた。それがどれだけ勝呂の胸に響いたか。今はその少女が泣いている。だから今度は竜士が微笑みかける番だ。竜士の涙を止めたのが名前であったように、名前の涙を止めるのは竜士だ。


―――


2011.08.28


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