韃靼人は覚悟する


清水の舞台から、名前は下を見ていた。それが竜士には飛び降りようとしているように見えたらしい。思わず力強く名前の腕を引っ張った。


「な、なん?竜士?」
「それはこっちの台詞やボケ!飛び降りなんかしてみい!一生許さへんぞ!」


一瞬きょとんとする名前。だがすぐにいつもの笑みを見せた。はやとちりな竜士を笑う。


「飛び降りなんかせえへんよ。ちょお覚悟決めよ思ただけや。」
「何の覚悟や。死ぬ覚悟か?悩んどんならなんで俺に言わへんのや!」
「竜士、違うで。私は死にたい思たことなんて一度たりともない。竜士と出会ってからは特にや。」


竜士は安心して名前の腕を掴む力を弱めた。しかし手は離さない。


「…覚悟て、なんや。」
「秘密。」
「はあ?言えや。」
「秘密やて。竜士かて私にぎょおさん秘密あるやろ。」


一瞬口をつぐむ。それが何より肯定の印だと何故分からないのだろう。


「…あらへんよ。俺が名前に秘密なんてする訳ないやろ。」


竜士は俯き、そう言った。その言葉は名前を傷付ける。竜士の言葉が嘘だなんて分かりきっていた。しかし名前は気付かない振りをして、微笑む。


「…竜士、おとついクラスの子に告白されたやろ?」
「え?」
「私は何でも知っとるんやで。」


名前の笑顔はいつからか切なさを篭めるようになった。それに気付いたのは中学に上がってからだ。名前が知っているのはそれだけではない。竜士も気付いていた。しかし知らない振りしか出来ないのだ。


「……断ったで。」
「そんなん、当たり前やろ。竜士は私の恋人なんやからな。」


名前の笑顔は切ない。大好きだったその微笑みに物悲しさを加えてしまったのは竜士の存在。祓魔師になりたいという願いが、名前を変えてしまった。胸が裂けるような思いを竜士は抱え、名前を抱きしめた。平日の清水の舞台は、修学旅行中の学生も観光客の外国人もいない。静かな寺だ。


「名前……」


力強く腕に抱き、愛しい恋人の名前を呼ぶ竜士の声。それは悲痛の色を見せた。名前は必死に溢れ出そうな涙を止めた。涙を流すのは、竜士が自分に本当のことを話してからだ、と強く決めていたのだ。


―――


2011.08.28


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