過去の断片


わたしはやっぱり気弱で、嫌なものは嫌だとは言えなくて。でも三年の二学期にはもう、諦めてた。自分の意志もなくて、面倒事だけ押し付けられて、我慢ばっかりの生活。


「弥栄さん、この買い出し頼んでいいかなぁ?」


クラスメートの女の子がわたしにプリントを差し出した。確か、高橋さん。たまに喋ったりしてたけど、結局クラスメート以上にはなれなかった人の中の一人。彼女もたぶんそれを望んでいなくて、わたしには雑用を押し付けてくるだけ。べつに行ってもいいんだけど、この時期にはもう両親の関係はひどくて、離婚寸前だったからすぐに帰りたかった。高橋さんの有無を言わさぬ笑顔が、嫌だった。プリントを受け取ろうと、膝の上においてあった手を机から出そうとした時。


「弥栄サンさぁ、嫌なら嫌って言わなきゃだよ。」


隣の席は菊丸くんだった。わたしは彼の言ったことがあまり信じられなくて、出した手が空中で止まった。


「高橋さんもさ、その買い出しは高橋さんが行くってこないだ決まったんだから、押し付けるのはよくないよー。」


高橋さんが、何かぶつぶつ言い訳をしながら帰って行った。目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとして、わたしの視界はぼやけて、菊丸くんの顔もよく見えなかった。お礼を、言いたかったのに。


「あーほら、泣かないの。泣いてもいいことないよ?」
「ごめ…っ、ごめ、なさ…」
「ほらほら、泣き止んで?」


菊丸くんが自分の席から立ち上がってわたしの前に立ち、ティッシュを目に押し付けてきた。結構ぐりぐりされて痛かったけど。わたしが泣き止めば、菊丸くんは輝くような笑顔を見せてくれた。


「弥栄さん、ずっと我慢してきたもんにゃ〜」
「ししし知ってたの?」
「吃りすぎ…。うんにゃ。まぁ、知ってて何も言わなかった俺も悪いんだけど」


思いっきり首を横に振れば、菊丸くんはまたもや笑った。誰かが笑いかけてくれるなんて、中学に入ってからは初めてで。また泣きそうだった。


「わわたし、昔からこんな感じで…人見知り激しいし、意志も弱いから友達もできなくって…。このままずっと…」
「う〜ん。俺はそうは思わないけどにゃ〜、うん。だってほら、弥栄さん今俺と普通に喋ってるじゃん?変われると思うけど。」
「……え?」
「それに、ほら、友達なら俺がなったげるし!ね!俺、菊丸英二!よろしくね〜」


神さまみたいな人だなぁって。菊丸くんは自分の席について、横を向いた。わたしも自然とそちらに身体を向けると、菊丸くんはまた笑顔をくれた。


「ほらほら、友達の基本は最初は自己紹介!」
「あ、わわたし、弥栄舞…です。」
「うんにゃ。まぁ知ってるけどね」


駄目だ。もう泣かないって思ったのに、また涙が込み上げてきて。


「弥栄さんさ、泣く時は嬉し涙にしようよ。」
「うれ、し、なみだ?」
「そう。泣くなら嬉しいとき。そっちのがいいでしょ!」
「泣くなら、嬉しいとき…」
「そっ」
「…菊、丸く…、わたし、今すっごく、すっごくうれしい…」


途切れ途切れに言うと、菊丸くんは優しくわたしの頭を撫でてくれた。人の体温があたたかくて、すごく感動したのを覚えてる。


そんな彼にわたしが恋をするのも時間の問題だった。


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2012.01.25


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