過去との決別


変わったものはたくさん会った。たった三、四ヶ月で、いろんなことを経験した。住む家も変わり、テニス部にも入って、取り巻く環境が180度変わった。でもすべての始まりは、確かに彼だった。


「弥栄さんっ!」


テニスコートのフェンスの外で、不二くんが菊丸くんを連れて来てくれるのを待った。久しぶりに見た菊丸くんは、少しだけ大人びている。


「え、ちょっ、なに、不二、どういうこと?」
「部長には俺から言っておくから、話しておいでよ。ね?」


そう言って菊丸くんの背中を押す不二くんに、ありがとうと言った。でも菊丸くんは何が何やら分からないみたいで、わたしは少し笑ってしまった。


「お、お久しぶり…だね」
「ほんとに弥栄さん、だよね?」
「…うん、そうだよ。」


フェンスの外にいるのに、テニスコートからの視線が半端じゃない。乾くんなんて、ノート片手に眼鏡を光らせていた。でも仕方ない。わたしは、菊丸くんに話すために来たんだから。


「ごめんね」
「えっ?なんで?」
「…弟に聞きに来てくれたんでしょ?」
「だって弥栄さんが突然いなくなっちゃうから!」
「ちっ、違うの、嬉しかったから…」


緊張はしているものの、想像していたよりもぽんぽんと言葉が出てくる。普通に、会話が出来てる。わたし、今までどんな風に会話してたっけ?


「元気そうで、何よりだにゃ〜」


ふにゃり、と笑う菊丸くんに違和感。そっと自分の胸に手を添えた。おかしい。どんどん緊張が治まっていく。全身から熱が逃げていくような感じ。わたし、この笑顔を見たらいつだって、硬直してしまうくらいドキドキしていたのに。


「弥栄さん、どこの高校行ったの?」
「……」
「弥栄さん?」
「あ、はい?高校?えっと…大阪に引っ越して」
「大阪っ!?とおっ!」
「うん…今、夏休みで」
「ふぇ〜、そうなんだ〜」


違和感を胸に抱きながら、わたしは会話を続けるんだけど。でもそんなの、一瞬でどうでもよくなった。


「高校、どう?楽しい?」
「うん!とっても!友達もね、たくさん出来たんだっ!」


早苗ちゃんでしょ。小春ちゃんでしょ。白石くんだって『友達の恋人』。忍足くんとだって最近は仲良い。遠山くんと財前くんは同じ学校でもないのに、会ったら結構話せる。それから一氏くんだって…。


「ん?どしたの?」


胸に突っ掛かった言葉は、出ては来なかった。一氏くんに、会いたい。今すっごく、会いたい。でも、ちょっと待って。一氏くんは、わたしのことが嫌いなんだよ?これ以上ないほどに嫌いなんだよ?違う。そんなの関係ない。今までだって、関係なかった。


「…菊丸くん」
「ん?」
「わたし…、菊丸くんのこと大好きでした」
「えっ?」


それは恐ろしいほど冷静で。過去形だった。菊丸くんのこと、大好きだった。これはもう、過去なんだ。確かに、過去のわたしは菊丸くんでいっぱいだった。でも、いまのわたしは、やっぱり一氏くんでいっぱいなんだ。


「わたしのこと、助けてくれてありがとう。変わるきっかけをくれてありがとう。」


目の前で目を丸くする菊丸くん。大好きだった。大切だった。初めてだった。本当に、本当。


「弥栄さん…」
「今日は、それを言いに来たの」


頭を下げた。言葉にしようのない謝意を表したかった。


「俺の方こそ、ありがとう」


ばっと顔を上げると、菊丸くんはやっぱりふにゃりと笑っていた。悲しくもないのに胸が痛んだ。それは過去との決別だったから。もう一度だけ、頭を下げて、わたしは青学を去った。


わたしの恋は、いつの間にか終わっていて、そしていつの間にか、始まっていた。嫌われていても、好きになってしまった。わたしにとっては特別な、一氏くん。


大阪に帰ろう。26日までなんてもう待てない。みんなに会いたい。一氏くんに、会いたい…


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弟どこ行ったw

2012.04.12


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