ずるい彼


重いカゴを両手で持って、グラウンドへ向かう。先程部長が15分休憩を言い渡していて、コートから出てきた白石くんが女の子に囲まれているのを見かけた。早苗ちゃんは待っとったでぇ〜!、と作っておいたドリンクを持ってコートから出てくる部員たちに次々に渡して、それから白石くんにつきっきり。うん、代わってあげてよかったなぁと考えながらグラウンドへの近道である校舎裏に向かう静かな砂利道。すると、前方で校舎の壁に寄り掛かって座り込む人影を見つけた。


「わっ」


目をこらして見てみたが、誰だか分からなくてそのまま小石につまづいてカゴをひっくり返した。どんくさいなぁ、わたし。悲しくなりながらも、タオルを全部拾ってカゴに積む。そしてそのまま人影に近付く。ぼやける視界がだんだんリアルになってきて。


「あっ、ひひひとうじくん!」


自分でもびっくりするくらい、声が裏返った。だって、本当に驚いた。休憩中にこんなところに来るなんて。そういえば、一氏くんはここの上にある踊り場の窓にいることが多い気がする。ここが好きなのかな。かわいいなぁ、と思ったところで一氏くんへの用事を思い出した。彼とこうして向き合って話すのは実に三日振り。金曜日のライブのときに喋って、土日は部活だったから会話はなかった。あ、ちょっと嬉しい。緊張するけど、うれしい。


「あ、あの、ね」
「用があんならはよ言い。うっといんじゃ」


言葉に詰まる。土日を挟んだって一氏くんがわたしを嫌っているのには変わりないし。それが少し、ズキッときたけど、気付かない振りをして。一氏くんはひたすらわたしを睨むけど、それでもちゃんと向き合いたい。真っすぐ、感じたことを、一氏くんに伝えたい。


「じゃ、じゃあ言うね!ありがとう!」


勢いよく頭を下げたら、そのままカゴも落ちて、さっき拾ったばっかりのタオルが散らばった。あー!なんてことを。一氏くんの目の前で。本当に、わたしってダメ。全体的に、どんくさいし、人見知り激しいし。やっぱり向いてないのかな、マネージャー。じわりと瞳に膜が張る。でも、絶対それは落とさない。泣かない。そんなときに一氏くんが、なにが?と尋ねてきて、声が震えないように答えた。


「…認めて、くれて…、ありがと。」


駄目でした。思いっきり泣きそうな声。マネージャーになること、認めてくれてありがとうって言いたかったのに、それ以上言葉は出てこなかった。ひたすら下を向き、前髪で表情を見えないように隠した。一氏くんに迷惑かからないように、落ちたタオルをかき集めた。


「…おまえ見とると、イライラする。」


実際、分かっているつもりだった。わたしを睨みつける一氏くんは、早苗ちゃんやテニス部のみんなの前ではいつも笑顔で楽しげで。わたしを見るときはいつもイライラしたような、不快そうにしている。だって彼はわたしが嫌いだから。そうやって自分に言い聞かせることで、本当は一氏くんとの間に防御壁を作っていた。でも実際そう言われると、そんな防御壁は一瞬で崩れ落ちる。それなのに、


「……けど、なんやろな。」


一氏くんはずるい。さんざん嫌いって言ってくるくせに、どうしてそうやって優しいの?さっきまで冷たく見ていただけなのに、わたしが落としたタオルを一緒に拾ってくれる。横に置いたかごにタオルを放り込む。驚いて顔を上げれば、一氏くんは真っすぐにわたしの目を見ていた。


「自分、すごいわ。」


一氏くんは、わたしから目を離さない。少しもそらさないで、本当にずるい。


「俺は今まで、早苗への告白を邪魔したり出来ひんかった。嫌いなやつは嫌いで、相手からも嫌われるんが当たり前で、ほんま、おまえみたいなやつありえへん。白石かっこいい思わんとか、早苗と友達になりたいとか、白石の誘い断るとか。自分のこと嫌い嫌い言うような俺がかっこいい?おかしいやろ。」


褒めてるのかけなしているのか分からない、一氏くんらしい、とげのある言葉。それに、どうして一氏くんがそんなことを知っているのか分からないってことも。かっこいい、とか、本人には言ってないのに…。すごく恥ずかしいのに、一氏くんの視線が真っすぐすぎてそらせないし、どうすればいいのか分からない。身体中の熱が顔に集まっている気がする。


「自分やって、もう十分言いたいこと言うてるやろ?友達になりたい、自分が大嫌い、変わりたい。普通や言えへんようなこと、もう、言うてるやろ?」


わたしはばっと下を向いた。今の顔を見られたくなくて。一氏くんの言葉は、涙腺に響く。もう、言えてる?わたし、ちゃんと思ったこと、伝えられてる?一氏くんがあまりにも強く、言い切るように言うから、そうなんじゃないかって思っちゃう。変われたんじゃないかって調子に乗っちゃう。ぜんぶぜんぶ、一氏くんのせいだよ…


タオルを全部かごに戻すと、一氏くんは立ち上がった。でもわたしは泣きそうな顔を見られたくないから、そのまま動けずにいた。そしたら、不意に頭に感じた重力。一氏くんの足が視界に入って、わたしを影で覆った。ツッコミのときの叩くような手じゃなくて、すごく優しくて心地良いあたたかさだった。すぐに手は離れて行って、一氏くんはわたしのすぐ横を通りすぎてテニスコートに戻って行く。砂利を踏む音がだんだん離れていくと同時に、ついにわたしの涙は流れ落ちた。


一氏くんは、本当にずるい。普段は冷たいくせに、たまに優しくする。彼はわたしを嫌いだと言うけど、自己紹介のときの拍手だって、早苗ちゃんの告白を邪魔したときだって、それからライブのときだって、わたしを助けてくれる。たくさんたくさん優しさとか心遣いをくれる。一氏くんのことになると、我慢した涙もすぐに出てきて、菊丸くんとの約束が果たせない。


ただ、頭に触れたぬくもりには、部長のときとは比べものにならないくらい、どきどきした。


――――――――――――


ハッピーバレンタイン!

2012.02.14


[ 21/56 ]

[] []