まよなかのサーカス


「こ、困ったなあ…」

わたしの呟きも虚しく、図書カウンターの向こうに座るその人は目を覚ます気配もなかった。カウンターにもたれかかって、すうすうと穏やかな寝息を立てている。お、起こしにくい。さっきから何度か小さく声をかけてるんだけど、そんなことじゃ起きてくれそうにない。あ〜困った。
もう夜も遅い時間だし図書室誰もいないし、寝ちゃうのはとてもわかるけど。でもわたしだって今日中にこの「民族衣装の全て」なんていう、女の子にこんな重い本持たせる?ってくらい分厚い本を日々樹先輩に渡さなければいけないのだ。できなければ、明日何をされるかわからない恐怖。考えただけでしんどい。

「あ、あの〜!本を借りたいんですけど!」

意を決して出した大きな声でもまったく起きる気配がない。この人、たぶんめちゃくちゃ疲れてるんだろうなあ。寝かせておいてあげたいけど、手続きしないで持って行っちゃうのも気が引けるし、なんとしてでも起きてもらわないと…
肩を叩こうと本を抱え直して手を伸ばす。あと数センチというところで、その人の目が薄く開く。焦点の合わない目が眼鏡越しに幾度か瞬いて、私と目が合った瞬間一気に見開かれた。

「ひ、ひゃああああう?!」
「うううううわっ?!ご、ごめんなさい!」
「えっ?な、なんで俺は起きたら女の子に謝られて…?!ご、ごめんなさい!」
「えっ!いや、そんなこちらこそ起こしてごめんなさい!本貸してください!」
「えっ本…?あ、はい…?」

抱えていた本を差し出すと、まだ状況のよく飲み込めていなさそうながらも貸し出し表にサインをしてくれた。ごめんなさいありがとうございます!と半ばひったくるようにして本を受け取って、図書室の扉を勢いよく開ける。あとは演劇部まで猛ダッシュしてこの本を日々樹先輩に届けるだけだ。それで明るい明日は約束される!

いざ走り出そうとしたその瞬間、バサバサととても聞き慣れた音が聞こえた。嫌な予感しかしない。音のしたほうを見ると、日々樹先輩のハトが何かを咥えて私目掛けて一直線に飛んでくる。
ポトリと一枚の紙を落として、何事もなかったかのようにハトはまた戻っていった。おそるおそるその紙を拾い上げてみると『時間切れですね、私はもう帰ります。明日を楽しみにしていて下さい』とだけ書かれていて思わずその場で崩折れた。

「も、もうむりだ……ぜったい明日驚かされすぎて死ぬんだ…物陰という物陰に怯えながら一日を過ごすんだ…」
「ええっ、ちょっといきなりしゃがみこんでどうしちゃったんですか?!」
「わ、わたしあしたを生きて乗り越えられません〜!」
「な、なんで?!何を言ってるのかわからない!若い女の子って恐いです!」
「ショック死…ショック死する……」
「明日いったい何が起こるんですか?!あ、あの、俺でよければ話聞きますけど…?」
「うう、ひ、ひびき先輩が〜」

私に合わせてしゃがみこんでくれたその人が「落ち着いてください、ね?」と優しく目を細めて微笑んでくれた。その穏やかな空気に少しだけ冷静になれる。滲んだ目を擦って鼻を啜った。
あんずと同じくプロデュース科に転校してきたこと、演劇部に用事があって行ったときから日々樹先輩にはからかわれていること、雑務が終わって帰ろうとしたら日々樹先輩に捕まって十分で本を借りてくるように言われたこと、でも先輩はもう帰ってしまったので明日とてもからかわれそうだということ。
目の前のその人が、だんだん申し訳なさそうに眉を下げていく。

「それ…俺のせいですよね」

まあ確かにスムーズに借りて猛ダッシュしてたら間に合ったかもしれないけど。本を探すのにだいぶ手間取ったし、この人の責任ばかりではない。

「いや、そんなことないです…よく考えたら人に頼んでおいて十分しか待たない日々樹先輩がいけないんです…」
「あの、俺のせいだって日々樹くんには伝えますから、元気出してください」
「ひびきくん…?あの、先輩ですか?」
「はい、青葉つむぎです」
「あおばせんぱい……あ、Switchの…」
「はい、つむぎでいいんですよ〜。あんずちゃんと別の転校生って言えば、名字名前ちゃん、ですよね?」
「は、はい…!でも良いんですか?別に先輩のせいってわけでもないのに」
「いいんです。俺のせいですよ、ね?」

安心したらまた視界が滲む。つむぎ先輩が、苦笑しながらポンポンと頭を叩いてくれた。遠慮がちなその行為に、温度を感じることもなかった。








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