ケンカする


「ほら、ちょっとあんた、もう遅いしいい加減帰って下さいよ〜」

俺深海先輩に怒られるの嫌なんですけど、と本当に心の底から嫌そうな顔をしている翠くんを無視して、野菜スティックを齧る。突然押しかけたにも関わらず、さすが八百屋さんの息子なだけあっておいしい野菜常備してるし、お茶請けに野菜スティックが出てくるのもなんだかオシャレで好き。意外にあう。でも、夜だし本音を言えばビールが飲みたい。

外はとっぷりと日が暮れて、星も出ていないし家の明かりだってもうまばらにしかついていない。そんな時間。カーテンの隙間からチラリと外を見ると、人の家のリビングで、机にぺたりと顎をつけて野菜スティックをくわえる自分の姿が映っていた。翠くんが、「だからのど詰まらせて死にますって」とやっぱり心の底から嫌そうな顔をして、私に小言を言っている。それにしても、その小言さっきから十秒に一回は聞いている気がする。

「ねえねえ、紅茶にいちばん合うスティックどれ〜?」
「え、紅茶スか……?無難ににんじんとかじゃないっすか?」
「ブー、セロリだよ〜」
「いや、わかってんなら聞かないで下さいよ…」
「あと、わたしはにんじんそんなに好きじゃない〜」
「思いっきり主観じゃないっスか!にんじん美味いし!」
「にんじんは甘いからなあ」

憤慨したとばかりに翠くんがにんじんのおいしさを訥々と語っているのを、右から左に聞き流す。そういえば奏汰くんもにんじん嫌いだよなあ。奏汰くんは魚以外のものはみんな嫌いなんだけど。嫌いっていうか、興味がないっていうか。

そう、彼の興味の内に残るのは簡単なようでいて難しい。ふとしたことで相手の存在や痕跡の全てを自分の中から消してしまう。うん、だからきっと、私は今日あの瞬間から奏汰くんの興味の外に出てしまったんだとおもう。そうだ、きっと、そう。

「か、かなたくん…」

取り返しがつかないことをした、と急にどうしようもなく悲しくなって、気付いたら前が見えないくらいなみなみと涙がたまっていた。急に泣き出した私に、ギョッとした顔の翠くんが、慌てて近くにあった台拭きで私の顔を乱暴に擦ってくれた。なんだか、しょうゆの匂いがする…かなたくん……

「わ、わたし実はかなたくんとケンカした…」
「いや、うちに来た瞬間からわかってましたよ」
「うう、いつもごめんね翠くん」
「名前さん来たときに一応連絡したし、まあ、もうすぐ迎えに来る頃だと思いますけどね」
「来ないよ!」
「あんた前もおんなじ事言ってたじゃないスか」
「今回はほんとのほんとに来ないよ…」
「何したんだよ…」
「……魚、もうやだって言った」
「はあ?」
「今日奏汰くん休みだったから朝からご飯作ってくれたんだけど、魚が夜まで続くと、なんだかどうしても食べようって思えなくて……」
「そんなことか………」
「いやいや、奏汰くんすっごい無の表情になってたから!奏汰くんと暮らすってことは魚と同居するってことだから」
「あんたよく自分の彼氏のことそこまで言えるな?」

昨日の夜は私もお魚をいっしょに食べたし、実質四食魚料理だったわけだけど。でも、今思えば毎日三食魚料理だろうが、デートは専ら水族館だろうが、魚の本が本棚を圧迫していようが、隣に奏汰くんがいるのといないのじゃ大違いなのだ。まさか別れる原因が魚なんて、あんまりだ。それに、最後にかけた言葉が「奏汰くんなんて一生一人で魚料理食べてればいいじゃん!」なんて、後半はその通りだけど前半はひどすぎた。簡単にひとりになってしまえる彼に、なんてことを言ってしまったんだろうか。謝りたい。また溢れてきた涙を翠くんが慌てて擦る。いたいよ、

おとなしく顔を擦られていると、ピンポーンとチャイムが鳴って、「みどり〜名前迎えにきました〜」と場違いなほどのんびりした声がリビングに響いた。毎日聞いている、大好きな声。
か、かなたくんだ!途端に嬉しくなって、家主より先に走って玄関に向かう。勢いよく扉を開けると、少し驚いたような顔をした奏汰くんが、立っていた。

「名前、みどりはどうしたんですか?」

いえのぬしよりさきにあけちゃだめですよ、子供に言い聞かせるようにゆっくりと注意するのを頭半分で聞き流しながら、奏汰くんに飛び付いた。大きい、温かい体。胸にぎゅうと顔を押し付けながら、「ひどいこと言ってごめんなさい」と謝れば黙ってよしよしと頭を撫でてくれる。

「あの〜そういうことは家でやってもらえませんかね」

少し離れたところから、うんざりとしたような声がかけられてはっと我にかえった。そうだ、人ん家の玄関先だった。慌てて奏汰くんからは離れるたけど、手は頭の上に乗っけていてくれるのがなんだか嬉しい。

「みどり、名前がいつもごめんなさい」
「あ〜まあこうして先輩にも会えるし、ちょっと邪魔でしたけど…」
「さいきんひとりひとりのお仕事も、ありますからね」
「そうっスね…まあ、結構な頻度で一緒ですけどね…」
「あしたはみんなべつべつですね」
「はい、俺は休みですけど」
「そうですか、やすみのまえに、名前がめいわくかけました〜」
「翠くん、ごめんなさい!」

奏汰くんがペコリと頭を下げたのを見て、わたしも慌てて腰を90度曲げる。あわあわと慌てた翠くんに、頭を下げたままふたりでくすりと笑った。






「奏汰くん、今日星がいっこもないねえ」
「てんきがよくないですからね〜」
「まっくらだね」
「おそいですから、こんなじかんまで、だめですよ」
「うん」
「帰ってごはん、食べますか?」
「食べる!わたしが飛び出る前、なんの魚焼いてたっけ?」
「さわらですけど、無理しなくていいんですよ?」
「奏汰くんの魚料理、おいしいから食べたいの」

そうですか、といつもの調子で呟かれた言葉だけど、目尻が柔らかく垂れている。
隣で揺れていた腕にぎゅうとしがみつく。

「一生こうしてる」
「こまります〜じゃまです」
「もう、何があっても……死んでも絶対に離さない…」
「きょうふです」
「奏汰くん、ごめんね」
「…いなくなったほうが、名前はしあわせなのかなあとおもったんですけど」
「毎日魚料理でも、離れたほうが嫌だから一生この体勢のままでいたい」
「それはぼくがふこうです〜」

いやいや、と振られた腕にはしかし、大した力も込められてはいない。









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