音楽科と斎宮宗


音楽科に通っているなんて言うと、みんな「音楽が好きなんだね」と羨ましそうに笑ってくれる。わたしは、そんなあなたたちが羨ましいのに。放課後になったらみんなでカフェに行って、気になる男の子の話をして、帰ったら勉強をして、ラインをしながら寝落ちする。朝になったら、終わっていない宿題に焦る。登校中、昨日咲いていなかった花を見つけて、嬉しくなりたい。お昼ご飯を、友だちと中庭で食べてみたい。
音楽が、昔は好きだった。両親が真剣な顔をして、子供心にもとても素晴らしいものなんだとわかるヴァイオリンを買ってくれたとき、一生弾き続けようと思った。確かに、好きだった。




「名前ー、帰るの?試験の成績発表待たなくていいの?」

放課後、まだほとんどクラスの全員が残っている音楽科を出ようとすると、後ろから友だちに声を掛けられた。信じられない、というように見開かれた目に、どこか非難めいたものを感じるのは、私がいまいち音楽科に馴染んでいないからなんだろうか。
音楽科は成績だけが全てのシビアな場所だ。特にクラシック系の楽器にもなれば、成績の良し悪しで将来が変わる。成績が気にならないなんてあってはいけないのだ。友だちが声を掛けたことで、一人教室から出ていこうとする私に視線が集まる。窮屈な場所だ。

「いやあ、ここにいると緊張するから、練習室こもろうかなって!試験の成績出たら教えて!」

思いきり眉を下げてはにかめば、途端空気が和やかなものになる。こんなことで緊張するなんて名前はしょうがないんだから、と言わんばかりの友だちにばいばいと手を振ってヴァイオリンケースを肩に担いだ。カタカタと中で揺れるヴァイオリンは、いつでも私に纏わりつく呪いみたいだと思った。これがある限り、きっとどこにいたって窮屈だ。



練習室の並ぶ練習棟は、ガランとしていて楽器の音なんかどこからも聞こえなかった。試験終わったばかりだし、みんな教室で結果が出るの待ってるからかなあ。みんなもよくやるよ、半ば呆れながらもらった鍵を練習室のドアに差し込もうとした瞬間、また後ろから声を掛けられた。よく声を掛けられる日だなあ、なんて思いながら振り返ると、見たことのない男の人が腕を組みながら私を見下ろしていた。

「君、すまないが音楽科の生徒か?」
「はい、そうですけど…?」
「この学校の音楽科は優秀だと聞いたのだが、ほとんど音が聴こえないな」

眉間に皺を寄せて辺りを見回すこの男の人は、とても真面目な性格なんだろうか。なんか、音楽科の人みたいなこと言ってるけど、たぶん音楽科じゃないよなあ。少数編成だから先輩後輩、全員知ってるけどこんな目立つ人いたら覚えるし。
私の窺うような表情に気付いたのか、眉間に皺を寄せたままの顔で「アイドル科の斎宮宗だ」と自己紹介をしてくれた。

「はあ…ええと、アイドル科の方がなんのご用で…?」
「斎宮宗だと言っただろう、そうして一括りにするのは不愉快だ」
「え、あ、すいません…?」

ますます深くなる斎宮さんの眉間の皺をポカンと口を開けて見ていると、ひときわ眉間に力が入ったのがわかった。逡巡するように唇を噛んだ斎宮さんは、諦めたようにため息をひとつ吐く。私のヴァイオリンケースに目をやって、ヴァイオリニストかと聞くから小さく頷いた。

「僕は、今度のライブでヴァイオリンの伴奏が欲しくて音楽科に頼みにきた。先生方にはその旨もう伝えてある」

はあ、つまり物色に来たわけか、この斎宮さんは。アイドル科が何の用だと思ったけど、シンセサイザーやエレキギターが主流のこの時代にクラッシック生バンドをやろうなんて個性的でおもしろい。ちょっと興味ある。
でも、来た日が悪かった。試験の結果が出るまでみんなは教室で待ってるだろうし、結果が出たら出たでピリピリと非常に空気が悪い。言っちゃ悪いけど、ライブの伴奏なんてみんな話も聞かないだろう。

「ええと、斎宮さん、今日はうち試験終わったばかりでみんなピリピリしてるので、日を改めたほうが…」
「時間の無駄だ。上手ければ君でもいい、ちょうどヴァイオリンを探していたしな」
「えっ、わ、わたし?!」
「君はヴァイオリニストではないのか?」
「そうだけど…」
「とりあえず聴きたい」
「え、今?ここで?あなたが?私の演奏を?」
「他に誰が聴くんだ」

こんな問答無駄だと言わんばかりに、斎宮さんは私から鍵を奪って勝手に練習室の中へ入っていってしまった。状況がわからなくてまたポカンと口を開けた私を、眉間に皺を寄せた斎宮さんが「早く聴かせてくれないか」とせっつく。いやいや、試験官みたいに座ってるけどこれなんなの?なんのオーディションなの?受かっちゃったらどうなんの?

「今日試験があったと言ったな?」
「え、はい」
「その曲なら今弾けるだろう」
「弾けますけど…今?ここで、ほんとに弾くの?」
「だから、そうだと言っているだろう」

くどい、とついに一喝されしぶしぶヴァイオリンケースを開く。さっきまでその弦を震わせていた、私の大切なヴァイオリン。
なんで私は見ず知らずのアイドル科の生徒に怒られて弾かされているんだろうか、と思わなくもないけど、ヴァイオリンを構えれば自然と心がシンとする。

「曲は?」
「バッハの、ヴァイオリンソナタの2番、知ってる?」
「ああ」

一番好きな2楽章を弾こうと決めて、もう半ばヤケクソになって弦に弓を走らせる。ほんとに、なんなんだこの状況?ただでさえあんまり音楽となんか関わっていたくないのに、なんでこんな望んでもいないオーディション受けさせられているんだ?
ハ短調の、厳しい曲。葛藤とか、苦しさとかそういうものが詰まったような曲。だけど、そんなふうに弾くのは底が浅いことなんだって、先生が言ってた。でも、私は今はそう思えない。でも、でも、試験のためにはいう通りにしないといけない。なんかもう、全てが本当に窮屈だ。
最後の和音を弾いたとき、憤りすぎて弦を切るかと思った。こんなの試験でやったら呼び出しものだ。どうせ通りすがりの人だからどうでもいいか、と斎宮さんの様子を窺うとその顔は予想に反して嬉しそうな微笑をたたえていた。

「素晴らしいじゃないか!」
「ええっ、いやいやいや、えっ?」
「なんで弾き惜しみなんかしたんだね!実に心に響く演奏だった」
「いや…あんなバッハだめでしょう……音も綺麗じゃないし、解釈だって底が浅いし、音がすべってるし、やりたいようにやっただけ…」

自分で言ってて辛くなってきた。これ絶対今日の講評で聞くやつだ。でも斎宮さんは、どこがどう良かったのかということを、大きく手を動かしながら伝えてくれる。その感想はもちろん専門的なことじゃなかったけど、ただ単純に褒められて嬉しい、と久しぶりに思えた。お腹のあたりがじわりと温かくなる。

「あ、ありがとうございます、そんなに気に入ってくれて嬉しい」
「ああ、僕も良い伴奏が見つかって嬉しい。よろしく頼む」
「えっ」
「楽譜はまた後日渡そう」
「え、待って待って、伴奏?わたしが?」
「君はなんのために弾いたと思ってるんだ」
「ライブの伴奏、のためだけど、え、いや、私はやりませんよ」

さっきまであんなに嬉しそうだった斎宮さんの眉間に、また皺が寄る。「何故だね」と、今度はほとんど睨むようにして私を見つめるもんだから、う、と息が詰まった。綺麗な人の眼力はこわい。だけど、私だって理由がある。

「あの、わたし、音楽好きじゃないので、いやです」

しばらく間があって、ぐしゃりと斎宮さんの顔が歪む。これは、とても怒っているのかな。そういえば、アイドル科だけあって美人なのに私は笑ったところは一瞬しか見ていないなあ、もったいない。

「嫌いなのになんで音楽科なんかにいるんだ!」
「そんなこと言われても…入ったからには出なきゃ」
「考えられない!」
「そう?そんなものなんじゃない?」
「君は、さっき私が感動したと言ったのを忘れたのか?」
「嬉しいけど、もう極力音楽と関わりたくないし」
「逃げるな!弾け!」

大きな身振りで、ついには声を荒げ出した斎宮さんに、なんだか私もふつふつと怒りが沸いてくる。逃げずに弾き続けた結果、こんな窮屈な場所に辿り着いてしまった。それでもこれしか知らない人生で、今さら逃げることなんてできないのは、私が一番知っている。

「なんでアイドル科にそんなこと言われなきゃいけないの?!」
「だから、そうやって一括りにするのをやめろと言っている!」
「知らないよ、もう!人の気持ちも知らないで、勝手なことばっかりいわないで!」
「できる者は最大限の努力をすべきだと言っているんだ」
「やってるよ!やってるけど、アイドル科と音楽科じゃ違うんだよ…もう、ほっといてよ」

自由がいちばん尊重されるロック、作曲家の個性を汲み取るクラシック。根本的にまったく違う音楽なのだ。わかりあえるはずなんかないか、そう思えばあれだけカッカしていた熱もスッと冷めていく。この諦め癖はいつからついたのか、わからないけど生きていくことは楽だ。まだ言い足りなさそうな斎宮さんは、よく疲れないなあとか感心すらする。

「明日になったら音楽科も落ち着くし、ライブとか興味ある子もいるし、上手な子はそれこそたくさんいるよ」
「断る。君が僕のライブでヴァイオリンを弾くんだ」
「え〜、だから私より上手い子なんてたくさんいるってば」
「練習は毎日しているんだな?」
「それは、まあ、一応だけど」
「ふん、そこはさすがに夢ノ咲の音楽科か。じゃあ、問題ない」
「えっ、なにが?すごく問題ありそうだけど」
「明日アイドル科の手芸部に来い、楽譜を渡す」

なにがどうしてそうなった?一度も前向きな発言をしていなかったけど、なんで私が伴奏することになったの…?混乱してまた口をポカンと開けていると、斎宮さんが「仮にも女子ならその間抜けな顔はやめまえ」と懐から綺麗なハンカチを取り出して自分の手に当てる。そのまま私の顎をぐいと上に持ち上げると、カチンと私の歯がくっついた。奥歯が骨が響く。
間抜けな顔じゃなくなった私に、斎宮さんは少し満足げに口を吊り上げた。

「楽しくなくたって、僕のいう通りに弾ければそれでいいんだ」

音楽科にとったら、どんな悪役より悪役みたいな台詞を吐いて斎宮さんは練習室から出て行った。いや、それ全音楽科を敵に回してるからね!みんなに聞かれなくてよかったね!ようやく腹が立ち始めたけど、もう何もかもが遅かった。







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