これ何フラグ?


今思えば朝から最悪の日だった。
はとりと休みを合わせて、明日は一日中のんびりしようねって言ってたのに朝起きたらはとりはいないし、探しに部屋を出たときに扉に足の小指をぶつけて朝から泣いたし、はとりの代わりに「急に仕事になったからひとりで過ごしてて」っていうそっけない書き置きを机の上に見つけたし、雨降りそうだし、推してるキャラは先週死んじゃうし、はとりいないし。
じわりと滲みそうになる涙を、眉間に力を入れて堪える。いや、もうこうなったらはとりが帰ってきたときびっくりするくらいのケーキでも焼いてやろうじゃないか!俺も参加したかったなあって悔しがるくらいのかわいいケーキ焼こう!設備はケーキ屋さんなみに整っているわけだし。

ここで気合いを入れ過ぎたのがよくなかったのかもしれない。ケーキのことを考えながら、お水を飲もうと棚からコップを取り出したとき、ふと指を引っ掛けてしまった。はとりが一番大事にしている、お気に入りの綺麗なグラス。ガシャンと大きな音を立てて、グラスは原型を留めないくらいに割れてしまった。破片がキラキラ細かく輝いていて、これは絶対に安物のガラスなんかじゃないことは私にだってわかる。大きめの破片を手にとって、まじまじと見ると、やばい…これクリスタルだ………

☆ミ

「あの、槙さんはおもちゃの会社を経営されていると聞いたので、もしかしたら貴重なおもちゃを買い取ってくれるのではないかと……あ、先日は大変な失礼をしてすみませんでした」
「いや、それはもういいんだけど……何?羽鳥となんかあったのか?」

指定されたおしゃれなカフェに、引っ越しサイズの大きな荷物を持ち込む私に槙さんの顔は明らかに引きつっていた。私も大変な迷惑をかけた槙さんにこれ以上迷惑をかけるのは忍びないけど、国宝?ってくらい値段の張ったあのクリスタルのグラスを買い直すには、もうこれしか思い浮かばなかった。そう、私の大切なグッズを売る。限定フィギュア、限定ポスター、限定ぬいぐるみ、かわいいと思って見かけるたびに買っていた骨董品のようなおもちゃ。かわいいかわいいと愛でてきた大切なグッズたち…

「へ、部屋をすっきりさせたいな〜なんて思ってですね、はとりと何かあったわけでは決してなくて、あの、ラブラブです…?」
「いや、全然そんな風に見えねーんだけど…大丈夫か?羽鳥に追い出されるなんてよっぽどだぞ…」

掃除の度に追い出されますなんて言ったら余計心配されそうだからぐっと言葉を飲み込んだ。
そんなことより、とテーブルの上にいくつか小さい子が好きそうなおもちゃを並べる。途端に槙さんの雰囲気が変わって、ピリリとした空気にごくりと唾を飲み込んだ。手を顎に当ててよく見てみたり、動かしてみたり、「こういうのもうないのか?」と真剣な目でしっかりと見つめられたときは背骨が軋むくらい姿勢を正した。やっぱりはとりの友達なだけあって真剣さが底知れないというか、すごい人なんだよなあ。
オタクグッズ以外をひととおり見た槙さんは満足そうに頷いて、「次の商品の参考にしたいし、そのへんのリサイクルショップに売るよりはいい値段つけられるぞ」と金額を提示してくれた。

「えっ、こんなにいいんですか?あの、はとりの知り合いだからとか、気にしないでくれたら…」
「いや、特に気にしてないけど…これ、きちんと調べないとわかんないけどいくつかはプレミアとかついてると思うぞ、そんなの売って良いのか?」
「はい、それはもういいんです!私の手元にあるより活用されたほうがきっと」
「ふーん……金に困ってんのか?」
「ちょっとどうしても欲しいものがあるので」
「羽鳥に言えば?」
「はとりには言えないものが欲しくて」
「えっ……………?」
「いや、違いますから!違う!はとりのお気に入りのグラスを割ってしまって!それで!買い直したいので!」

紛らわしいだろと少し顔を青くさせた槙さんに、すいませんと小さくなる。いったい何を想像したのかわかんないけど私の言い方も確かに悪かったかもしれない。
今すぐ払うよ、と誰かに電話したかと思えば数分後には分厚い封筒が私の目の前に置かれていた。グラスを買い直すにはまだ足りないから、オタクグッズを売って貯金をおろしたらいけるかもしれない。はとりの休みの日にいっしょに見に行こう。私が悪いんだけど、買い物の予定が少し楽しみだった。

「槙さん、いろいろどうもありがとうございます」
「ああ、こちらこそ。羽鳥によろしくな」
「ところで、オタクグッズには興味ないですよね?限定等身大抱き枕とか、限定ポスターとか」
「ねーよ!ふつうに売ってくれ!」

また顔を青くした槙さんにあははと笑うと、槙さんも引きつった笑みを返してくれた。


☆ミ☆ミ☆ミ


散々だった。ゆっくりするはずだった休日に朝から仕事が入って、それがまたものすごくややこしくなっていて、珍しく仕事で気を遣った。名前のことは正直すっかり忘れていたけど、まあ彼女のことだから起きぬけは怒っていたって今頃は楽しくなにかしてるんだろう。アニメを見ているか、グッズを買いに外に出てるか、ケーキでも焼いて俺への当てつけをチョコペンで書いてる頃だろうか。さっきから携帯を鳴らしても返事がないから、きっと今日はケーキを焼いてるのかな。味はおいしい!ってほどじゃないけど、おもしろいから名前のつくるケーキは好きだ。
外から自分の部屋を見ると、窓から明かりが見えた。名前がいるんだ。どうでもいい愚痴を一生懸命ケーキに書いているところだろうか。馬鹿らしくて口元が自然と緩む。肩の力も抜ける。

「ただいまー、名前、今日はごめ……ん?え、なに、どうしたの?」

玄関を開けると土下座をした名前がまず目に飛び込んできて、話を聞く前になにかをやらかしたんだろうなあとすぐにわかった。名前のことだからどうせどうでもいいことを自分で大きくしてややこしくしてるんだろう。家でも謝罪を延々聞かされるのかと思うと自然と溜め息が出たのはしょうがない。溜め息にビクリと体を震わせた名前は、顔も上げずにその場で岩みたいにくるりと丸まって嗚咽交じりで「ごめんなさい」と謝った。

「ごめんじゃわかんないんだけど。なに、なんかしたの?怒らないから言ってごらんよ」
「はどり、ごめ、ごめんなざい…あの、貯金が、貯金を、この前使ったの、思い出しで、お金足りながっだ…」
「お金がいるの?なんで?いくらいるの?」
「ち、ちがう〜〜〜ごめんはとり、ごめん」
「もう、落ち着いてってば」

ごめんごめんと繰り返すばっかりの名前にまた溜め息を吐いてしまう。追い詰めるだけだとわかっていても、やっと仕事を片付けて名前の馬鹿らしい小言を聞きながら馬鹿らしい癖にやけに鋭い小言が書いてあるケーキを食べて、シャンパンでもあけようと思ってたのに。今日はやっぱり散々だったなあ。なんか疲れた。もう早く寝よう。
まだ丸くなったままの名前の横を通り抜けて、水を飲もうとグラスを取ろうとすると、どこにもない。名前は使わないし、俺はきちんと洗って戻したはずだし。寝室かと思って見に行こうとすると机の上にやけに分厚い封筒が置いてあった。お金っぽいけど、なんでこんなところに。

「名前ー、この封筒どうしたの?」

絶対に返事なんか返ってこないのはわかりきってたけど、それでも聞いてしまう自分が嫌になる。さっきよりは随分棘の少ない溜め息だったけど、それでもやっぱり名前はまたごめんを繰り返す。一言断ってから中を確かめると、やっぱり結構な額だった。

「このお金どうしたの?」
「は、はどりのだけど、足りないの、ごめん」
「俺のお金を盗ったってこと?」
「ちがう!」
「まあ俺だってそんなこと思ってないけどさ。ごめん、でも泣いてばっかりで俺にわかれって、ずるくない?」

ごめん、と呟いた名前がやっと顔を上げる。今まで見たことないくらいぐしゃぐしゃの顔をして、床は小さな池ができていた。細い首が言葉を発しようと震えている。これはもしかして、予想以上に大変なことが起こっているのでは、と、なんとか名前を助けなくてはとイライラしていた気持ちが自然に引いていく。

「はどりの、グラス、わりました…ごめんなざい……」
「え、俺のグラス?」
「いちばん大事にしてる、クリスタルの…」
「ああ、さっきなかったやつ…名前が割ったからか」
「ご、ごめんなさい」
「いやそんなこといいんだけど……あのお金はなんなの?」
「弁償しようと思って、売れるもの売って貯金おろしたけど……おろしたけど、たりなぐっで、ごめ、ごめんなざいいいい」
「売れるものって」
「DVDとか、ポスターとか、ぬいぐるみとか…」
「えっそれ売ったの?」
「うん」
「あんなに大事にしてたのに?」
「だって、はとりがいつもあのグラス見て綺麗だなあって、言ってたから…はとりの大事なグラスだから……」
「確かにそうだけどさ…」

またなみなみと涙を溜め始めた目を指で拭ってやる。拭ってやるたびに後から後から溢れてきて、その行為に全然意味がなくて、馬鹿らしくなって笑ってしまう。さっきまであんなにイライラしてたっていうのに、全部どうでもよくなつてしまった。
俺が情報屋なんてやってるせいで何かに巻き込まれたとか、俺が未だにフラフラしてるせいで他に好きな男ができて浮気してお金を強請られていてとか、そういうことも考えていたのに。俺が何気なく綺麗だなあなんて言ったグラスを、命より大事にしてる抱き枕売ってまで弁償しようとしてくれて、言っちゃ悪いけど滑稽で、馬鹿馬鹿しくて、やっぱりから回ってて、あー本当にかわいいなあと思ってしまう。
涙を拭っていた手を背中に回して、その頼りない体を抱き寄せてやる。簡単に肩に押し付けられた顔から、すぐさま涙がシャツに染み込んでくる。冷たい。

「なんでまず俺に言わないの」
「誰だってお気に入りのグラス割られたらがっかりするじゃん……はとりががっかりするのやだよ…」
「俺はさあ、帰ってきて名前の馬鹿馬鹿しいケーキなかったほうががっかりしたよ」
「ケーキ、作ろうと思ったけど、作ろうと思ったときにグラス割ったから…ごめんなざい」
「泣かなくていいって。あのさ、俺は名前と死ぬまで豪遊するくらいのお金はあるんだから気にしなくていいんだよ」
「やだ!私が割ったんだから私が悪いの!はとりはいいの!」
「まあ、俺としては、名前の家に行くたびに抱き枕と三人で寝るのは嫌だったからいいけどさ」
「えっ、初めてうちに来たときそんなの気にしないよって言ってたのに?!」
「うそだよ」
「うそなの?!」
「でも名前が俺といないとき一人で寝るのはかわいそうだから、買い戻しに行こうか」
「いいの、あれはもう捨てたの」
「じゃあ俺が買っちゃおうかな」
「萌え抱き枕を抱いて寝るはとりなんて見たくないからやめて」

肩から温もりが消える。心底嫌そうに顔を顰めた名前が何を想像しているのかは容易くわかる。俺だって、例え本物じゃなくても男と寝るなんていやだけど。でも自分の好きな女の子がここまでしてくれて、名前は望んでないだろうけど、それに甘えるなんて、俺はやっぱりできないなあ。

「名前の大事なものは買い戻すし、貯金も崩さなくていい。グラスは今度一緒にお揃いのものを買いに行こう。もっと良いものがあるだろうし」
「でも」
「この話は終わり。どうしても俺に何かしたいんだったらパスタかなんか作ってくれない?名前のケーキあると思って食べてきてないし」
「はとり私のパスタうどんみたいだから嫌だって前言ってたじゃん」
「今は食べたい気分」
「うそだ、うやむやにしようとしている…」
「そうだよ」
「そういうのいいよ…」
「俺がそうしたいから」
「私は嫌だよ……」
「ねえ、はやくうどんみたいなパスタ作ってよ」
「じゃあもううどんにするから!いっそうどんにする!かまぼこをごめんの文字にして隙間なく浮かべる!」
「やめて」
「………はとりほんとにごめん」

肩にそっと置かれた小さな頭を撫でる。涙で濡れたシャツが気持ち悪かったみたいで冷たいとかブツブツ言っているのが聞こえるけど俺だって冷たいよ、意地悪するようにぎゅうと押さえつけてやると胸を叩かれた。








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