ただいま優しい男


「ねえ、今日はずいぶんのんびりしてるけど、なにか作ったりしないの?」
「は、はい…今日は注文もないですし、閉店までお店番、です」
「そうなんだ。じゃあ俺がここで名前ちゃんを見てても問題ないよね?」
「えっいや、あの、問題はないですけど店番しにくいというか、羽鳥さんが退屈なのでは…」
「気にしないで。俺はとっても楽しいよ」

カウンターに肘をついてにっこり微笑む羽鳥さんは確かに楽しそうではあるけど、わたしとしては店番しにくいというほうを取り上げてほしかった。朝の言葉通り、とっぷりと日が暮れてから羽鳥さんは来てくれた。最初は珍しそうに花を手に取ったりしてみてたけど、それもつかの間、さっきからこうやってカウンターに肘をついては私に話しかけてくれる。暇だからいいんだけど、緊張する。
閉店まであと三十分。オフィスビルからは明かりが消え、道を行く人たちはみんな急ぎ足で花屋なんかには目もくれない。掃除も雑務も全部終わっている。これから三十分こんな整った顔のイケメンに微笑まれながら過ごすのかと思うと、干からびてなくなりそう。すでに手汗がやばい。ピカピカに磨いてあるけど年季の入ったテーブルに、じわりと手の形が滲んでしまったのをなんとか羽鳥さんに気づかれないよう消そうとしているけど、無理だった。こんなに近くにいるのに無理に決まってる。

「緊張してるの?」

わざとらしく首を傾げてるけど、確信を持ってるような目をしてる。わかってて、聞いてるな羽鳥さん。

「し、してません」
「え〜声震えてるし、顔も赤いよ?」
「赤くないです」
「首、赤いよ」
「赤くないです」
「熱くなってない?」
「なってないです」
「ほんと?」

カウンターについていた肘を伸ばして、おもむろに、羽鳥さんの手がわたしの首筋に当てられる。ささくれなんてどこにもない、なめらかな少し冷たい手。そのままものすごく自然にわたしの首筋をなぞりだすから、なんかもう、恥ずかしさが我慢の限界だった。

「は、はとりさん!」
「ねえ、やっぱりすごく熱いよ」
「花屋なので、ここは花屋なので花を!買ってください!花を、花を買ってくれないなら、か、帰ってください!」

まだわたしの首筋に寄り添っていた手を、「すみません!」と軽くはたき落として羽鳥さんをせいいっぱい睨みつける。こんなに荒ぶったのはいつぶりなんだろうっていうくらい久しぶりだったから、膝が震えるし目にはうっすら涙が滲んでいるし鼻息も荒い。
羽鳥さんは少しだけ目を丸くしてなにか考えるように口をつぐんだと思ったら、「うん、じゃあ花束作って」とニコリと微笑んだ。まだ鼻息すら整わないわたしはあまりの変わりっぷりに正直ついていけないけど、条件反射のように注文票とボールペンを取り出す。

「あ、ありがとうございます…どのような花束に致しましょうか?」
「おまかせで」
「ご予算はのほうは」
「おまかせで」
「花束のお渡しはいつがよろしいですか?今からですと少々お時間頂きます」
「おまかせで」
「おまかせですね……え?」

受け渡し日の項目を書き込む手がぴたりととまる。聞き間違いかと思って羽鳥さんの訂正を待ってみたけど、ただにこにこと微笑んでいるだけだった。受け渡し日が決まらなければ花束がつくれない。こんなこと、今まで聞いたこともない…

「あの、いつまでに用意すれば…」
「いつでもいいよ。でも、俺にぴったり似合う花束を作ってほしいな」
「羽鳥さんにぴったり…?」
「うん。神楽に渡してたあの花束、神楽が持ったときすごいしっくりきたんだよね。あ〜やっぱり神楽のために作ったんだなって」
「亜貴のためって…あれは贈答用だから、亜貴が考える万人受けって考えで…」

亜貴のためってなったらもっと違う花を選んだと思う。そうだなあ、あんなにふわふわした花ばかりじゃなくて百合を基本に凛とした花束をつくるかも。葉物だって、鋭くて瑞々しいリキュウソウを使いたい。でもトゲトゲした印象にしたくないから小花は柔らかくまとめたい。いつも背筋が伸びていて、仕事には妥協しないけど、プライベートのときはなんだかんだ言って最終的に折れてくれるから優しいんだと思うし…

「…羽鳥さんをイメージした花束ってことですか?」
「うん。名前ちゃんが俺をどう思うのか興味あるな」
「いや、どうもなにも…すごく……まあ、華やかというか」
「俺はね、いろんな顔があるんだ」

まあそれはなんとなく言われなくてもわかるけど、ここで頷いてもいいんだろうか。失礼な気がする。羽鳥さんは知れば知るほどわけがわからなくなりそうだから、正直イメージの固まってる今この場で作っちゃいたい。よく咲いたブラックバカラをふんだんに使ってワインレッドのカラーをアクセントに小花も真っ赤なスプレー薔薇…大人っぽくの指定があるときによく使う組み合わせだけど、でも、それじゃあなんか納得してくれなさそう…

「ええと、難しそうですがお受け致します…」
「うん、じゃあ注文票の控えちょうだい」
「はい。こちらになります」

ヒラヒラと頼りない、なんともふざけた内容の注文票を羽鳥さんに渡す。ざっと目を通した羽鳥さんはものすごくスッキリした顔で、「じゃあ、今から俺たち付き合おうか」と本当になんでもないことのように言って、注文票をスーツの内ポケットにしまった。
えっ。…え?

「え?」
「俺たち、付き合おうか」
「え…だれとだれが……どこに?」
「どこにじゃなくて、俺と名前ちゃんが、男女のお付き合いをしようか」
「わたしと、はとりさんが」
「うん、そう」
「おつきあい……」

予想外すぎる出来事になにを考えればいいのかもよくわからない。単語は入ってきたけど文章として理解できない。
あまりに理解できなくて、ただただ羽鳥さんの高そうなスーツをポカンと見つめていると羽鳥さんの手がわたしの頬に伸びる。ざんねん、今はまだぜんぜん熱くなんかないですから。それどころじゃないんですから。

「さっきも言ったけど、俺にはいろんな顔がある。名前ちゃんが想像もできないようなことだってしてるし、神楽だって俺のこと全部わかってるわけじゃない…まあ、神楽は俺に興味ないだろうけど」
「つ、つきあわなくてもいいのでは?」

目尻をなぞる羽鳥さんの手がわたしの耳に移動する。耳の形を確かめるようにして撫でるからくすぐったくてなんだか変に意識してしまう。くすぐったいし、触り方がなんか怪しくなってきたし、これはちょっと恥ずかしくないか?いや、でも今はそれどころでは…

「俺のことどうやって知る気?」
「それは…あの、こうして羽鳥さんが来店されたときに…」
「俺はそうそう花を贈ったりしないし、何も買わないのに来たらさっきみたいに名前ちゃん怒るでしょ」
「う、いや、あれは恥ずかしくて」
「付き合ってもいない女の子に割くような時間もないんだよね」
「いや、だから、ていうか羽鳥さん耳、あの、耳くすぐったくて」
「わざとだからね」

まったく悪びれた様子もなく言い放った羽鳥さんに、なんかもう我慢していた恥ずかしさとかもろもろのものが一気に爆発した。耳も首回り顔も目も全部すでに熱い!なにがそれどころじゃないんだ…!それどころだよ!大問題だよ!
限界をこえた恥ずかしさからか、熱くなりすぎた目元のせいか、うっすらと涙が滲んでくる。でも羽鳥さんの手はまだ耳を撫でていて、それがだんだん内側を撫でるように移動してきている。

「泣くほど、俺のこと嫌い?」
「だからっ、嫌いとかじゃなくて」
「じゃあ好き?」
「わかんない…」
「どっちかと言えば?」
「ど、どっちかと言えば…?どっちかと言えば、たぶん、そりゃあ好きなんだと」
「うん、じゃあ付き合おう」

即座にわたしの耳から離れていく羽鳥さんの手を滲む視界で追いかけると、わたしの目元に戻ってきて今度は優しく少しだけ溢れた涙を拭ってくれる。なんかもうなにも言う気になれない。めちゃくちゃ疲れた。
どうやらわたしはこの大谷羽鳥さんと付き合うことになったらしい。

「とりあえず食事でも、って言いたいんだけど
今日は今から先約があってね」
「はあ…」
「ああ、男だから大丈夫だよ」
「はあ…」
「ほんとだって」
「いや、そうでなくて…あの、ほんとに付き合った…んですか?わたしたち」
「俺のこと好きでしょ?俺も名前ちゃんのことは好きだし、まあ、俺の事よく知ってみて、びっくりするような花束作れたら別れてくれて構わないよ」

言ってることよく考えたらめちゃくちゃひどいんじゃないか、それ、と頭の片隅で反射的に思うんだけど、よく考える間もなく羽鳥さんが顔を寄せてくる。今日の朝みたいに、髪の毛がくっつきそうなくらい近いところ。いや、それよりももしかしたらもっと近いのかもしれない。息が、耳にかかる。今度は肩も掴まれて、後ろになんて逃げられない。

「俺のことよく知ったら名前ちゃんはどんなイメージするんだろうね、楽しみにしてる…」

柔らかい感触の何かが耳に押し当てられる。ほんの一瞬のことだったけど、離れぎわにわざとらしくリップ音を立てていったのが羽鳥さんの唇なんだって気付いた頃には、もう夜の闇に紛れていく後ろ姿しか見えなかった。









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