ラブソングが十八番です


昨日の天気が嘘みたいに気持ちのいい快晴だというのに、私は寝不足と考えすぎで今にも倒れそうになっている。お店のシャッターを開ける私の側を、昨日よりも幾分晴れやかな顔をした会社員の人が通り過ぎていく。太陽が眩しい。塵になって死にそう。
薄暗い店内は、いつもより少しだけ散らかっていた。昨日、どうやって片付けたのかもよく覚えていない。大谷羽鳥さんが帰ったあとのことがひどく曖昧で、気付いたら閉店時間を大きく過ぎた作業場の机で、薔薇の発注書を何枚も書いていた。しかも、お店ではあんまり売れ行きのよくない、深い色をした大輪の薔薇ばかり。お花の買い付けは現店長である父がやってくれるんだけど、たった一人のために考えた発注書なんて知られたら、なんか嫌だな。
そもそも、大谷羽鳥さんって実在するのかな。夢の中の人みたいだったな。あんなに人をドキドキさせることができるなんて、人間じゃない気がする…
まだ熱に浮かされたみたいにぼうっとする頭で、掃除を終えてお花を外に出す。晴れているから、いつもよりたくさん。今日は売れ行きが良くなりそう。寝不足じゃなかったら忙しいのは嬉しいんだけどなあ。
雑踏の中で、私の後ろでピタリと止まった音がする。まだ開店前ですよ、と伝えようと振り向けば昨日ずっと待っていた夜色の髪の毛を持つ、私が思うに、友人だった。あっきー!
亜貴は、私の顔を見るなり本当に嫌そうに「いつもの数百倍ひどい顔してる」と眉を顰める。あとエプロンにシワが寄ってる、と付け加えられたから、エプロンの裾を引っ張ってみたけどなんの意味もなかった。どうしよ、と助けを求めてみたけど鬱陶しそうにさらに眉を寄せられただけだった。

「そのひっどい顔、羽鳥のせいなわけ?」

羽鳥さん。その名前を聞いただけで、さっきまで怠くて怠くてしょうがなかった頭が、ぐらぐらと沸騰しそうなほど動きだしたのがわかった。羽鳥さんの余裕そうな白い首筋、きれいな指先、だけど意外にゴツゴツと大きい手のひら。からかいを含んだ目。やっぱり夢の中の人なんかじゃなかった。また、もしかしたら、来てくれるかもしれない、現実の人だ。
赤くなった私を見て、亜貴が面倒くさそうに息を吐く。

「からかわれてるだけだから、って一応忠告しといてあげる」
「ともだちだから?」
「この辺では勝手よく使えて無難な花束を作ってくれる店の店員だから」
「またまた〜照れちゃって」
「…昨日の花束取りに来たけどやっぱりやめる」
「うそうそ!ごめんなさい!花束自信作だからぜひ見てください!」

扉を開けて亜貴を招き入れる。さすが現役のデザイナーだけあって、店に入った瞬間からどこかピンと張りつめて周りを見渡している。今日のお花たちに亜貴の好きそうなものはあっただろうか。冷蔵庫を開けると、店内よりさらにヒヤリとした空気が肌に当たって、さっき火照った顔を冷やしてくれる。気持ちいい。昨日作って、手入れをした花束はまだまだいい状態を保っていた。

「お待たせしました。金額内容ともにお任せの花束、二点になります」

カウンターに置くと、無言で手にとって品定めするように亜貴の目が花束を見つめる。顔を寄せたり遠ざけたり、香ってみたり。羽鳥さんの髪の毛には霞んでしまった白桃色のスプレーウィットが、亜貴の夜色の髪の毛の周りでふわふわ跳ねている。寄り添うように優しいコントラストで、やっぱりこの花束は亜貴がいちばん似合う。

「いくら?」
「こちらになります…気に入ってくれた?」
「まあまあね。最初におじいさまが頼んだ花屋よりはちょっとだけマシ」
「贈答用だけど亜貴のお眼鏡にかなうもの、ってちょっと難しかった」
「精進して」

これはアトリエにでも飾る、ぶっきらぼうな声だったけど亜貴の口元は少しだけ笑っている。じわりと胸のあたりが暖かくなって、元気を取り戻した勢いに任せ、ありがとうございました!と頭を下げればうるさいと顔を顰められた。またまたごめんなさい…

「じゃあまた……げ、羽鳥」

ものすごく嫌そうに呟かれたその単語に、勢いよく頭を上げると少し離れたところから羽鳥さんがこちらに向かって手を振っていた。お日様の下で見る羽鳥さんは昨日と少しだけ印象が違って見える。ベルベットみたいな花弁の薔薇が似合うと思ったのに。

「おはよう、名前ちゃん。と、神楽」
「ちょっと、ついでみたいな言い方やめてくれる?」
「え〜そんなつもりないって」

ニコリと人好きのしそうな笑顔に、裏がありそうだなあなんて思ったのに。なんだろう。考えれば考えるほどよくわからないけど、おはようございます、と乗り遅れて呟いたわたしの挨拶に、「うん、おはよう」とわざわざ返してくれるのは嬉しかった。それだけで、心臓が少しだけ喉のほうに移動してきたような気がする。だって、なんか、喉がドキドキしている。

「名前、さっき忠告したからね。泣きついてこないでよね、めんどくさいから」
「なになに、なんの忠告したの?」
「羽鳥は女の子をからかって自分が飽きたら捨てる最低の性格してるから早いうちに縁を切れって忠告」
「うわ、ひどいな神楽」
「ほんとのことでしょ。じゃあ僕もう行くから」
「えっ」

なんの未練もなさそうにくるりと背を向けた亜貴に慌てて手を伸ばしたけど、遅かった。大きな花束を、すでに迎えの車に乗せている。
いやいや、こんな空気のところに置いていくとかひどくない?しかもこんな空気を作った張本人が誰よりも早くいなくなるとか、ひどい。わたしはいったいどうすれば…
伺うように羽鳥さんを見ると、まったく怒ったふうもなく亜貴に手を振ってるから、なおさらわたしはどうすれば……フォローしようにも羽鳥さんのこと知らないし。

「あの花束さ、やっぱり神楽が持つのがしっくりくるね」
「えっ、あ、はい…依頼主ですし」
「ふうん。マニュアル通りに作ってるんじゃないんだね」
「うーん、一応ありますけど、なるべくお客様のこと考えて作りたいなあと思うので…」

へえ、と感心したような顔で頷かれるから、なんだか恥ずかしくなって顔をうつむける。そういえば、今日いつもよ数百倍ひどい顔してるらしいしこのまま顔を上げたくない。あと、さっき神楽が言った羽鳥さんのことも気になって、きっとさらにさらにひどい顔をしているだろうし。
聞いてもいいものなんだろうか。でも、お客様だし亜貴のともだちみたいだし、知りたいような知らないままでいたいような、知らないままでいたほうがいろいろ良好な関係でいられそうな。

「何考えてるか当ててあげようか」

昨日聞いて、ずっと耳の中に残っている少しだけ色のついた声。うつむけていた顔を少しだけ上げると、キラキラと輝いている太陽を背に、それとは正反対に微かに瞬く意地悪そうな目。
羽鳥さんが腰を屈めてわたしの耳元に顔を寄せる。髪の毛と髪の毛がそっと触れるような近い位置。自分が息できてるのかどうかもよくわからない、ここだけ切り離されたように静かで、ただただエプロンを握りしめる感覚だけは鮮明にある。

「神楽が言ったことはだいたい合ってるよ…俺、楽しいことが大好きなんだ。だから、名前ちゃんのことも大好きだよ」

チュ、と耳元でキスされたような音がして、一気に我に返ったわたしは思いっきり後ずさる。エプロンを握りしめていた手を耳に押し当てて、なんか、もう、なにか言いたいけどなんにも言葉が出てこない!
ずっと口を開け閉めするわたしを羽鳥さんはアハハと笑って、何もしていないという風に両手を上げる。

「こんなところで何かするわけないじゃん、そんなに警戒しないでよ」
「いやっ、だっていま、いま耳元で!耳に!」
「音だけだって」
「ほんとに音、だけ…?」
「なに、ちゃんとしてほしかった?」
「そういうわけじゃなくて!」
「俺のこと嫌いになった?」
「嫌いとか、そういうわけでは…」
「じゃあ好き?」
「わ、わかんない…」

満足そうに笑った羽鳥さんは、「また夜に来るよ」と残して颯爽と雑踏の中に消えていった。情報過多で頭から煙でも出そう。さっき、羽鳥さんが好きか嫌いか考えて咄嗟にわかんないって言っちゃったけど、よくよく考えたら羽鳥さんを嫌う要因は多々あれど好きになるような行動はされてない気がする…完全にからかいにきてるし…でも、なんだろうなあ。なんか気になるんだよなあ。好きってこんなにもやもやした気持ちになるもんだっけ。

また夜に来るよ、その言葉を思い出してお店をピカピカにするべく店内に戻る。鏡一枚向こうのことが、もう夢の中のことだったんじゃないかって思えてしまう。夜が、早くきてほしい。でも、あんまりきてほしくない。







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