海 子供だからと


子供だからと愛を受け入れ

08
なんとなく、ぎこちなくなっていく山岳のことをわかっていた。
山岳と付き合うことになったとき、散々自転車部の友達からあいつは空気読めないとか、甘えたの末っ子気質だとか言われたけど、そんなことはない。突拍子のないことを言ったりはしたけど、私のことを考えようとしてくれていたのがよくわかった。
一番初めに指をそっと絡めてみたとき、ものすごくびっくりされて、目をまんまるくしてショートしたみたいに固まっていた。あ、だとか、わ、だとか口をもごもごさせていたのが、最近じゃだんだんと目尻を柔らかく下げて握り返してくれるようになったのが、嬉しかった。
ひとつとししたなのを気にしているのも知ってたし、子ども扱いされるとムッとするのも知っていた。

痛い、いやだ。あのとき掴まれた手首は痛くもなんともなかった。いつだったか、保健室で、私の手をクリームパンと同じように扱うくらいだ。掴まれたという感触すら、長くは残らないほど、そっとだったのに。

09
「あの、真波山岳くんはいますか?」

教室が、少しざわめく。上級生があまり訪ねてこないクラスなんだろうか、好奇の目に晒されるのが少しつらい。
視線を避けるように教室から出て、廊下で待っているとほどなくしてまだ幼さの残るおんなのこが、申し訳なさそうに「まだ来ていない」と教えてくれた。来たら私のところに来るよう伝えて欲しいと、言伝をして去るよりしょうがない。山岳が来てくれるとは、全く思わないけど。

自分のクラスへ帰る道すがら、駄目元で山岳にメールを打ってみる。あの日からもう何通送っているんだろうか。メールだって一通送るのにお金かかるんだよ、山岳くん、知らないと思うけど。
会いたいです、と変換を選んでいる瞬間「あっ!」と、ものすごくマズイことをやらかした!っていうときにあげるような声が聞こえた。顔を上げると、口を抑える山岳がいて、なんとなくいつもの調子で手を振ると山岳は回れ右して走り出す。自転車に乗っていたからだろうか、中途半端なところで折り返されたズボンが片方だけずり落ちる。かっこ悪い。

「山岳、待って!」
「やだ!」
「なんで!」
「やだから!」
「待ってってば!」

下級生の廊下でやだやだ叫んでる年下の男の子を追い回すわたしを見て、いったいだれがおとななんて思うんだろうか。なんだなんだと教室から出てくる下級生たちのように、山岳も私を見てみればいいのに。

山岳は運動部だし、もともと距離も開いてたし、わたしは運動らしい運動なんて全然してないこともあって差はすぐに広がった。あ、だめだ、もう息がおかしくなってきてる。ヒイヒイ言いだした喉が休んで欲しいと軋み出す。下級生の廊下を抜けて、めちゃくちゃに走る山岳を追いかけたからかこの廊下に人気はない。その山岳も、バテバテの私に気付くことなく一人この廊下を駆け抜けていった。

「もうだめ、むり、しんじゃう、山岳の馬鹿」

壁に手を付いて、誰もいないのをいいことに山岳への思いつく限りの悪口を言いまくる。馬鹿、くせっ毛、寝癖、馬鹿、あほう、山岳の馬鹿。はあはあひいひい、大袈裟なくらい酸素を求める体がついに立ちくらみまで引き起こす。グラグラと回る視界に思わず座り込んだ。こんなときドラマとか漫画だと、何やってんの馬鹿なんて嫌そうにしながらも体を支えてくれるもんだけど、現実はそうはいかない。ペタリと手を付いた床は冷たかった。肌を擦るとリノリウムの床が音を立てる。こんな些細なことで鳴るんだ。山岳も、床のこと気にしてたっけ。廊下じゃなくて、そう、図書室の、板張りの床。

「チサさん?」

山岳が走り去った廊下の曲がり角から、伺うような声と飛び出たアホ毛がひょこりと覗く。おっそい、馬鹿、山岳の馬鹿、早く出てきて手貸してよ山岳の馬鹿。

10
「いくらなんでも、運動不足すぎじゃない?」

座り込んだわたしの目線に合わせるように、山岳もしゃがみこむ。中途半端に差し出された手は、辺りをふらふらと彷徨えど、決して私に触れようとしない。その原因を作ったのが自分だということが、ひどく悔しかった。

「こんなんじゃ、坂のてっぺん着く前にやっぱり死んじゃうよ」

独り言のように呟かれたその台詞に、そういえばそんな話をしたことがあった、と思い出す。静かな場所が好きだと言ったら、坂の登りきったところはすごく静かなんだよって、本当に嬉しそうに教えてくれた。たぶん、山岳の思う静かな場所と私のそれとでは少し違ったかもしれない。でも、山岳がそんなに嬉しそうにする場所だったら、私だって行きたい。
あれから一向に行く気配がないと思ったら、そうか、気を遣ってくれてたんだ。

「わたし、筋トレする」
「チサさんは、マラソンとかもしたほうがいいよ」
「マラソン」
「グランド十周くらいから」
「スタートが十周から?」

グランド一周もむり、持久走の散々なタイムを思い出して思わず顔を覆う。これは覆わずにはいられない。スタートラインにつくのが何十年先になるんだろうか。
顔に埃つくよ、山岳がしょうがないなあというふうにわたしの顔を覗き込んでくる。指の隙間から見た山岳は、目元がやわらかく垂れて、私が指を絡めたときに見せる、その優しい表情。

「さんがく」
「ん?」
「さっき逃げたの悲しかったよ」
「ん、うん。ごめん」
「だから、とししたなんだよ」
「うん、ほんとだね」
「でも、私だってとしうえのくせに山岳より体力ない」
「全然ね」

やばいよ、そんなこと真顔で言わないで。自分の健康が不安になるから。

「ねえ、いつまで座ってるの」
「立てない」
「嘘だろ」
「嘘じゃない、もうむり」
「顔が笑ってるよ」
「走ったら疲れたからもうむり」

しょうがないな、と困ったように笑う山岳が手を差し出してくれる。私なんかよりずっと大きくて、しっかりしていて、添えるように絡めると遠慮がちに握り返してくれる山岳の手。
顔の前に差し出された手に、頬を寄せてみた。途端に山岳から素っ頓狂な悲鳴が上がって、すぐさま手を引っ込めてしまう。猛獣か何かに、手を噛まれそうにでもなったときの対応じゃない?それって。ひどい。
顔を赤くして、信じられないように口を開け閉めする山岳が、かわいい。ようやく何か言えるようになった山岳が真っ赤な顔はそのままに、子ども扱いしないで、と睨み付けてくるから「ただ山岳が好きなだけだよ」そう返すと今度は首まで真っ赤になって、そっぽを向いてしまった。







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