海 あの人にあげる


あの人のためにあげる全部を綺麗じゃないものにしたい

03
雨が降っているというのに、開け放たれた部屋の窓には理由がある。小さな小瓶みたいなものをたくさん並べて、チサさんは今から足の爪に色を塗るらしい。その作業をする時は、よく換気をしないといけないとのことだ。
部屋が湿気るよ、忠告するも、全く意に介していないような返事が部屋の主からされたならもうしょうがない。女の人らしい、シンプルな格子柄のカーテンが非難めいなようにサワサワと揺れる。
チサさんが、薄ピンク色をした小瓶を開ける。特に匂いはしないけど、と思っていたら、余程不思議そうな顔をしていたのか、締め切るとやばいの、ニヤリと笑いながら教えてくれた。

ショートパンツからすっと伸びた足を曲げて、小さな刷毛に薄ピンク色を含ませて爪に落としていく。部内でこの長さの爪だったら、怒られるかも、俺の爪より幾分か長いところで切りそろえられた爪にどんどん色が乗せられていく。親指、お母さん指、真ん中の指、お姉さん指、どんどん小さくなるから難しそうだ。ふと、小指の上でチサさんの動きが止まる。どうしたのかと思えば、気まずそうな顔をしたチサさんと目が合った。

「あのさ、やりにくいんだけど」
「気にしなくていいよ、けっこうおもしろいから」
「おもしろくないよ、ゲームやってなよ。持ってるでしょ?」
「持ってるけど後でやる」
「今からやりなよ」
「いい」

もう、憤ったように息を吐いたチサさんは小指の爪に刷毛を滑らせる。塗ったか塗ってないのかわからないほど控えめに色づいた爪に、満足そうに足の指をパラパラと動かしていた。光沢を増した爪が、部屋の明かりでツヤを見せる。

「ねえ、次は違う色にしてよ」
「違う色って?何色?」

たくさんある小瓶に向けられた目を追って、視線を移す。パッと目を引く鮮やかな色から、小さな星がたくさん入ってる透明なものや、チサさんが好きそうな淡い色まで種類は様々だ。こんなにある中から毎度色を選ぶなんて、正直に言って面倒くさそう。なんとなく目に付いた赤い小瓶をチサさんに渡す。赤ってこうだよね、っていうほど真っ赤。チサさんは気乗りしなさそうに小瓶を受け取って、すぐさま突き返してきた。口がへの字に歪んでいる。

「それは、だめ」
「なんで?わかりやすいよ」
「わかりやすすぎて、だめ」

わかりやすくてダメなんてこと、あるんだろうか?自転車は保護色よりパッとした見た目の自転車のほうがかっこいいしサイクルウェアだって自然に紛れる迷彩柄なんて、見たことない。山が強い、平坦が速い、リーダーシップがある。わかりやすいほうがいいのに、そうじゃないほうがいいなんて女の人ってよくわからない。

「あのね、よーく見たら爪に色がついてるっていうほうが、かわいくない?」
「そうかな、オレ、気づける自信ないや」
「じゃあその時は言う」
「わざわざ教えてくれるの?」
「うん、見て見てっていう」
「そんなの面倒だよ」
「そんなことない」

曲げていた足をさらに自身にくっつけて、チサさんは器用に起き上がる。薄く色づいた爪に力がかかって、周りがほんのりと赤くなる。

「山岳とのことで面倒なことなんて、いっこもない」

ふふ、喉の奥で転がるような、空気をほんの少し揺らすだけの幸せそうなチサさんの声。いつの間にかへの字になった俺の口もとに、手があてがわれる。温かくもないし、冷たくもない。ただただひたすらに柔らかいだけの指が、俺の頬で遊ぶかのように指をバラバラに沈める。やめて、思いっきり嫌そうな声を出したつもりなのに、全く伝わらなかった。チサさんの手が、増えただけだ。両方から頬を弄られる。

「わかりやすい色のほうがいい」
「うん」
「オレ、今の色嫌いだな」
「うん」
「やり直してよ」
「うん」
「似合わない」
「ひっどい」

じゃあ、なんでそんなに嬉しそうにするの。









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