「へっへっへ」
ふつうに生きていたらまず聞かないような笑い声に、突っ伏していた顔を上げるとチサちゃんが仁王立ちしていた。短めのスカートから見える足に一瞬ドキリとしたものの、目線を上まであげれば高なった心臓もすぐさま落ち着いた。なにそのニヤニヤ顔。
「へっへっへ」
「いきなりなに、チサちゃん」
「えっへっへ」
「ちょ、気持ち悪いんだけど」
「えっへっへっへっへ」
「なに、どうしちゃったの」
「聞きたい?聞きたい?」
絶対ろくなことじゃないからオレとしてはこのまま寝ていたかったけど、チサちゃんはもう話す気満々のようで。空いている前の席に座ってニヤニヤソワソワしているから、仕方なく寝ぼけた頭を起こしたら、休み時間の教室の喧騒がひときわ頭に響く。昨日遅くまでゲームやりすぎたかもしれない。
「ねー、あのね、山岳」
「んー?」
嬉しくてしょうがないというようなチサちゃんに、欠伸を噛み殺しながら先を促す。もったいぶってなかなか話そうとしないチサちゃんはなんとなく犬っぽい。
「すごいことが起こった」
「だから何が?」
「世界レベルの奇跡」
「へー」
「山岳が坂に寄らないで学校来るよりすごい」
「や、俺だってふつうに登校するときくらいあるけど…」
「聞きたい?」
「うーん、まあ」
「聞きたいでしょ?」
「うーん」
本当に心底どうでもいいんだけど、ここでそんなこと言うほど空気が読めないわけじゃない。曖昧な返事でもチサちゃんにはじゅうぶんだったようで、満足そうに笑った彼女はいきなり眼前に4本の指を突き出した。
小指、薬指、中指、人差し指、の4本。
「当ててみてよ」
「え〜…4が関係あんの?」
「うん、すぐわかる!私を見てたらわかる!」
「チサちゃんを?」
「うん、いつもと違うでしょ?」
そう言って立ち上がるチサちゃんをまじまじと見たけど、正直全くわからない。寝起きということを差し引いてもいつもと変わらないように見える。
「あ」
「わかった?わかった?」
「今日の学食のメニューがカレー?」
「……それ、なんで私見てわかるの?」
「いや、嬉しそうだったから…」
「そりゃあカレーは嬉しいけど違う!全然違う!」
立って、と腕を引いて立たされる。
腰に手を当てたチサちゃんが、やけに良い姿勢でオレを見てくるもんだから、なんだかそうしなきゃいけないような気がして真似て背筋を伸ばしてみる。パキパキと背骨が鳴った。こんなにちゃんと立ったのどれくらいぶりだろう。いつもわりと猫背だからか、妙に視線が高い。
視線が、高い?
「あ」
ぱあっと顔を輝かせたチサちゃんに、やっとわかった答えを伝える。
「もしかして、身長伸びたの?」
「うん!うん!」
「4センチ?」
「や、4ミリ!」
「えっ」
「えっ、すごくない?」
「あ、うん」
「ね、びっくりだよね」
「うーん」
「あ、寝てるところごめんね」
「あ、うん、いーけど」
「友達に自慢してくる」
「う、うん」
「真っ先に山岳に言いたかったの」
「そっかあ」
パタパタと友達のもとへ駆けていくチサちゃんの後ろ姿を見る。4ミリ身長が伸びたなんて全然わからない。
伸ばしていた背中を丸めると、途端にまた眠気に襲われる。今日は早く寝よう。