まなみと 一緒に帰ろう



玄関を出てすぐの段差に腰掛けながら、さっきまでまなみの袖口を掴んでいた手をぼんやりと眺めていた。なんだか心なしかいつもより赤い気がするんだけど、気のせいだろうか。あと、これは気のせいなんかじゃないんだけど、手汗の量がいつもの倍くらいで本当に引いた。まなみの袖口ベロンベロンになってたらどうしよう。
後悔に頭を抱えていると、誰かが下駄箱を開ける音がする。まなみだ、と思った私はよく確認もせずに座ったまま振り返って「袖口大丈夫だった?!」と叫んで固まる。

まなみじゃなかった。

そこにいたのはまなみじゃなくて、ダルそうにズボンのポケットに手を突っ込んだ、自転車部の目つきの鋭い先輩だった。目つきの鋭い先輩はハア?と怪訝そうに顔を歪めるから、こわくてまなみの袖口のことなんか一気に頭から吹っ飛んだ。

「ご、ごめんなさい!あの、間違えました!」

急いで立ち上がってこの場を去りたいのに、目つきの鋭い先輩がなんでか私をジロジロと見てくるから立ち去るに立ち去れない。こわい。蛇に睨まれた蛙ってこういう気持ちなのか。こわい。もう一度謝って、走って職員室まで行こうとした瞬間目つきの鋭い先輩の目が、ぐわっと開かれる。こわいよ!

「あー、あー思い出したわ」
「な、何がでしょうか…あの、本当にごめんなさい…」
「何謝ってんのォ?」
「いえ…あの……スイマセン…」
「今日は真波と一緒じゃねぇの?」
「えっ?」
「真波、ウチの不思議系クライマー」
「あ、えと、まなみなら今職員室に…」
「ふうん」

自分から聞いたわりにどうでもよさそうな返事を返した先輩は、未だ誰の気配もしない校内に目を向ける。釣られて目を向けたらちょうど玄関に蛍光灯が灯って、なんとなくこの先輩の一睨みで明かりがついたんじゃ、なんて考えてしまって慌てて頭を振った。そんなこと、あるはずない。たぶん。

「今日さァ」
「はっはい!」
「資料室から見てただろ、真波と」
「ぅえっ!」
「ああいうの、けっこう目立つぜ」

気を付けたほうがいい、ニヤリと笑う先輩にあの時のことをまた思い出して、一気に顔が熱くなる。絶対バレてないと思ったのにあっさり見つかってたのも、鋭すぎる先輩の目つきも、さっき先輩が目を向けてすぐに蛍光灯が灯ったのも、あるかもしれない、動転しすぎてたのかもしれない。

「あのっ!あの、あの時抱きしめられてたのは事故で!事故っていうか見つからないようにしててくれただけでっていうか、あの、だから、事故だけど、あの、でも、好きです!」

うまく弁解できたという充足感も束の間、先輩のおもいっきり素っ頓狂なハア?という叫びに完全なる失言だったとわかる。見えたって、そうだよ、先輩たちがサッカーしてるのカーテンの隙間から見てたところだよ、それ以外のところなんか見えるはずがない…あまりの勘違いに両手で顔を覆う。そうしたって何が変わるわけでもないけど、恥ずかしすぎる。

ハア?と叫んだきり何も言葉を発さない先輩を、顔を覆った指の隙間から見ると何故か意外にも思案顔で、顎に手を当てて何かを考え込んでいる。ブツブツと呟かれる中には真波という単語が聞こえた。

「真波とさァ、付き合ってんの?」
「は、あの、いや…ハイ…」
「ふうん」
「あの…?」

意外にもまったく興味のなさそうな返事。後輩の恋愛事情なんて、どうでもいいのかな。顔を覆っていた手をおろして、まだ何か考えているらしい先輩の次の言葉を待つ。まだ顔も頭もカッカしてる。熱い。

「真波に貸しをつくるのもいいか…」
「あの、ええと、先輩?」

先輩はまた校内をチラリと振り返って、私に向き直る。微かに私の名前を呼ぶ声が聞こえた。毎日聞いてるその声は間違えようがない。まなみだ。

「あいつ、あんたの名前叫びながらこっち来てるんだけどォ…」
「はい…聞こえます…」
「あのさ、真波に会ったらこう言ってやれよ」
「なんですか?」
「山岳」
「え?」
「山岳、真波の名前。あいつ、ちょっと前に言ってたし」
「言って…?」
「チサちゃん、オレの名前知らないのかなって」
「えっそんなことない!」
「珍しくションボリしてたな、まあその日の練習が山じゃなかったってのもあるけど」

バタバタと廊下を走る音と「チサちゃんごめんー!」と焦った声がさっきよりもずっとはっきり聞こえる。きっと、そう間を置かずに下駄箱から飛び出て来るんだろう。まなみに気を取られているうちに、先輩はもう歩き出している。まるくなった猫背の背中に「ありがとうございます!」と声をかければ振り返って睨まれた。やっぱりこわい。


「チサちゃんお待たせ!」
「あ、うん、ていうか鍵ありがとう」
「いーよ、帰ろ」
「うん!」
「ねー、誰かといたの?」
「ほら、あの目つきの鋭い自転車部の」
「荒北さん?」
「あ、そうそう」
「えー、大丈夫だった?」
「良い先輩だね?こわいけど」
「荒北さん良い人だよ、こわいけど」


「帰ろ、チサちゃん」
「うん、帰ろっか、えーと、んー、だからね、ええと、山岳、くん」




真波ってすごくかわいい名字だなあと思ってた。響きがころんころんとしてて呼びやすくて、仲良くなった当初は意味もなく呼んで迷惑そうな顔をよくされた。
女の子の名前によくある名字だから、まなみは事ある毎になんか違うとか言い方が〜とか言ってたけど、小学校から友達の真奈美より、同じクラスの愛美ちゃんより、まなみのことを呼ぶのが好きだった。今思えば、すでに特別だったのかもしれない。








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