「おまたせ!」
まなみが息を切らしながら、夕陽が差し込む教室に飛び込んできた。部活のジャージのまま鞄だけ慌てて持ってきたのか、閉まりきっていないファスナーから制服の袖がふらふらと揺れている。着替えてから来ればいいのに。あの様子じゃきっと、顔も洗ってないし汗もろくに拭いていない。
「待たせて、ごめんね」
「大丈夫だから汗ふきなよ」
「あ、じゃあついでに着替えてもいい?」
「えっだ、だめ!それはだめ!」
「えーこれベタベタなんだよ」
「じゃ、じゃあ掃除道具入れ!掃除道具入れで着替えて!」
「無茶言わないでよ」
しょうがないなあ、とまなみは教卓の裏へ姿を隠す。どんなに屈んでも背の大きいまなみじゃあんまり隠れ切れなくて、悪いかなあと罪悪感にかられたが、今隣で着替えられでもしたらたぶん気絶できる。今日の昼、つい四時間程前、たった四時間程前、いやというほど抱き締められて、わたしのことが好きだと伝えられたばかりなのだ。
思い出すとまた顔があつくなるので忘れようと頭を振っていると、「何してんの?」と背後から声をかけられたので飛び上がった。
「まなみ、着替えたんなら教えてよ!」
「えー俺何回も言ったんだけど」
「え、ほんと?」
「うん、考え事してたの?」
不思議そうにキョトンとするまなみに、まさかさっきのこと思い出してたなんて言えなくて、なんでもないと誤魔化した。まだ何か言いたそうなまなみに早く帰ろうと促すと、途端に顔を輝かせるから今度はこっちがキョトンとしてしまう。いっしょに帰るなんて、そんなに珍しいっけ?一昨日も、部活ないからっていっしょに帰らなかった?
「うん、帰ろ」
す、と目の前に手が差し出される。
握手を求めるように差し出されたその手は、別に握手を求めるために差し出されたわけじゃないだろうことはわかるけど。でも、え、これは。まさか。
「手繋ぎたいんだけど、だめ?」
途端に手が汗ばむのがわかった。資料室の時の再来のように、また顔が一気に熱を持つ。今度こそ、火が出るんじゃないだろうか。
「いや、あの、まなみ」
「うん」
「わたし、あの」
「だめ?」
「ちが、だめとかじゃなくて」
今さら、「やっぱり良い友達にしか見れない」なんて、言うつもりはない。わたしを気遣ってくれて、守ってくれて、ぎゅうぎゅうまなみに抱き締められて、好きだと言ってくれて、それが終わるどの瞬間にも私ははっきりと「寂しい」と感じた。もっと続けばいいのにって。でも、それまでは、私にとってまなみは本当にただの親友だったから、恥ずかしいというか、そんな急にというか、とにかく恥ずかしいというか、
「ご、ごめん!」
わたしの伸ばした手は、差し出されたまなみの手を手を通り過ぎて、肘当たりでくしゃくしゃと折り曲げられたシャツをぎゅうと掴んだ。これ、あとで皺になったらごめん、手汗の染みなんかがついたら、本当にごめん!
「でもわたし!ちゃんとまなみが好きだよ!」
オレンジ色の教室に、わたしの声が響き渡る。まなみは口をポカンと開けて目をまんまるくしてるし、私に向かって手を差し出してるのに私はそれを受けてないうえに、力いっぱいまなみの袖を握って目をギラギラとさせているし、本当になんなんだろうこれ。意味わかんない。
不意に、まなみが笑い出す。立ってるのもつらいと言うように、お腹を抱えて笑うもんだから驚いてまなみの袖から手を離してしまった。だってこんなに笑うまなみ、初めて見る。今度はわたしがポカンと口を開ける番になってしまった。
「まなみ、笑いすぎだよ」
「ごめん、や、ほんとチサちゃんって」
「もう!笑いすぎ!」
「だって、おもしろくて」
「おもしろくないよ!」
「うん、ごめん」
まだ、おかしそうに肩を震わせながら、まなみは捲っていた袖をくるくると元に戻す。少しだけ大きいシャツは、ひらひらとまなみの手を半分程隠している。
「これならさ、手に近いでしょ?」
「え、まなみこれ暑くない?」
「うん、大丈夫」
「ほんと?」
「ほんとだって」
「あの、わたし、ごめんね」
「俺も、ごめん」
いつもより少しだけ、ほんの少しだけ近くなった距離にもちゃんと顔はあつくなる。緊張しすぎて、涙や鼻水が出るまではもう、夕陽のせいにでもしよ。