まなみと エスケープ


「まなみ、次の授業なに?」
「さあ」
「ええ、覚えてないの」
「そういうチサちゃんだって」
「私はあの、たまたま」
「じゃあ俺もたまたま」
「うっそだー」

くだらないことを言い合っているうちに五時間目開始の鐘が鳴ったのを聞いて、二人で顔を見合わせて笑った。狭い資料室は埃っぽくて笑うと噎せそうになるけど、なかなか居心地がいい。そこら中に本が山積みだったり、よくわからない巻物みたいなものが飛び出てたりでまなみは窮屈そうだけど。

「あ、ねえねえ、ここグラウンド見えるよ」
「あんまり顔出すと見つかるよ、チサちゃん」
「大丈夫大丈夫!」

中途半端に引いてあるカーテンからグラウンドを見ると、先輩たちがサッカーをしていた。まなみも隣からそっと顔を出す。

「ね、誰か知ってる人いる?」
「んー、あ、キーパー主将だ」
「あの金髪の人?」
「うん、福富さん」
「なんか、すっごくボール取るのうまそう」
「ガタイ良いからね、あ、今ドリブルしてるの東堂さんだ」
「ねえねえ、その東堂さんにずっとくっついてる人が新開さん?」
「ええと、うん。よくわかったね」
「や、なんか女の子みたいに髪の毛縛ってない?」
「前髪邪魔なんじゃないかなあ、あと、福富さんの側に荒北さんいるよ」
「あの、ポケットに手突っ込んで立ってる人?」
「そうそう」
「サッカーしないのかな?」
「キーパーの前で止める係じゃない?」
「ああ…私だったら絶対止まるな」
「適役だよね」

しばらく二人で三年生のサッカーを見ていたけど「荒北さん、勘が良いから見つかるよ」とまなみがカーテンを閉めてしまった。確かに、まなみの言うとおりすごく勘は良さそうだし、いきなりこっち見てきそうでこわい。少しだけ隙間をあけて再度荒北さんを見たけど、こっちに気付いた様子はなかったので安心した。「大丈夫だった!」息を潜めて報告すると、まなみも声を潜めて笑ったちょうどその瞬間、ガラリとやけに近いところで扉の開いた音がした。グラウンドよりもっともっと近くて、音を遮る壁なんかないところ。すごく、近いところ。

「チサちゃん!」

まなみの慌てた声を聞いたと思ったら、腕を引っ張られてぎゅうぎゅうと何かに顔を押し付けられた。肌触りはサラサラしてるんだけど、妙にゴツゴツと痛い。これ、前女の子同士でふざけて抱きしめあったときのに、すっごく似てる。唯一違うのは、あのときはこんなに鼻が痛くならなかったことくらい、

「はっ?!」

驚いて声をあげたら、静かにしてとばかりにさらに顔を押し付けられた。
「本棚の影から出ないでね」抱きしめられているからか、まなみの声が耳の本当にすぐそばで聞こえるしくすぐったいのは、たぶん、まなみの息だ。背筋が小さく震えた。耳があついし、どうしよう。

「ねえ、今声しなかった?」
「聞こえなかったけど…怖いこと言わないでよ」

資料どこにあるんだろう、知らない女の子たちはブツブツ文句を言いながらもこっちへ近づいてくる。まなみが落ち着かせるように、私の後頭部を数回叩いた。

「あ、これだ」
「やだあ、重そう!」

少し離れたところで、女の子たちが何かを引っ張り出す音が聞こえる。もうこっちには来ないから大丈夫だとわかっても、まだわたしの心臓は忙しなく動いている。耳も顔も火が出そうなくらい、あつい。まなみは、あつくないんだろうか。私の頭を押さえる手も、肩を抱く手も、わたしが熱いせいでよくわからない。

ガラリと扉が開いて、女の子たちが出ていったのを聞いたらとてもたまらなくなってまなみを押し返した。あれだけぎゅうぎゅうと抱き締めていた手は、あっさりとわたしから離れていく。それはそうだ、もう隠れる必要なんてないんだから。まなみが少しびっくりしたような顔をして私を見るから、どうしたんだろうと数度瞬きをしたら目尻が少しだけ濡れてるからだとわかった。泣いている、とするにはあまりに足りないくらいだけど、まなみにはじゅうぶんだったらしい。そういえば、まなみの前で泣いたことなんて一回もない。

「俺、あの、ごめんチサちゃん」
「や、違う、これは、ちょっとびっくりして」
「でも、泣いてるから」
「泣いてないよ!こんなの、ぜんぜん!」

目尻を指で拭えば、そこはもうすでに乾いていた。涙のあった痕跡すらないのだからあっさりとしたものだ。それでもまだ、まなみはわたしから目を離さない。海の色とおんなじ色をした目を、不安そうに揺らめかせながら決心したように口を開く、

「ねえ、チサちゃん」
「う、うん」

「いやだった?」

何が、と聞くのはあまりにずるいんじゃないかってくらい真剣に、まっすぐに聞いてくるからまた顔がじわじわあつくなる。さっきの感覚を思い出したら余計に。まなみの目の中のわたしは眉ひとつ動かしてなかったけど本当は気絶しそうなくらいあつくて、正直もう考えることも無理で、でも、女の子のものとは違うかたくてペタンペタンの胸も、私と同じくらい早かった心臓の音も、同じくらいあつかった体温も肩と頭にまわされた腕も、力も。

「……や、じゃなかった」

今度こそじわりと滲んできた涙だけどまなみは気づかなかったのか、それとも気づかなかない振りをしたのか「もっかい、いい?」とてんで的外れなことを聞いてくる。

「む、むり」
「え、やっぱりさっきの…」
「ちが、なんか、鼻水出てきた、わたし」
「きったないなあ」

汚い、と笑いながらまなみの腕はわたしの背中に回っていて。さっきの何倍も優しい力で、またまなみの胸に押し付けられる。

「まなみ、鼻水つく…」
「あのさあ、鼻水以外なんかないの?」
「だ、だってシャツ汚れる」
「もういいよ、どうせもうすぐ部活だし」

鼻水どころかさっきからじわじわ出てくる涙も、もしかしたら汗とか、最悪涎とかまでつけてるかもしれないんだけど。

「ねえ、チサちゃんのこと、好きだよ」

胸におでこを寄せる。外から、先輩たちの大きな歓声が、聞こえる。








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