真波と隣の席


真波山岳くんという、少しかわった名前の男のがわたしの隣の席にいる。おんなのこ顔負けの可愛い顔とふんわりした雰囲気で女の子のファンもちらほらいるのだが、正直わたしにはあまり興味がなかった。わたしの好みはがっちりしていて、鍛えられた筋肉をもったいかにも包容力のありそうな男の子なのだ。席替え終了時に聞こえた「チサちゃんいいな…」という声に少し申し訳ないなと思いつつも、窓際最後列というベストポジションを変わってあげようとは思わなかった。「隣、岡本さんかぁ、よろしくね」とへらっとした笑顔で笑いかけてくる真波くんは、ふんわりただよう春の雲みたいだと思った。


実際隣でしばらく過ごしてみると、真波くんはとてもふわふわとした子だった。いつもぼーっと窓の外を見ているか、寝ているかのどちらかだった。わたしたちはお互いがあまり喋るタイプではないので、席が隣でもほとんど会話らしい会話をしたことがない。挨拶や、課題に対する話題が多かった。そして真波くんはだいたいの課題をやってきていなくて、写す?と言っても「面倒だからいいや」と言っちゃうような子だった。ただでさえ授業態度もよくないのに課題もやらない、そもそも遅刻ばかり、という不良のような素行なのに、真波はしょうがないというこの空気は真波くんのふんわり特典だと思う。真波くんがへらっと笑って首を傾げたらなんだってゆるされちゃいそうで、うらやましい。隣を見ると、なぜかこちらを見ていた真波くんと目があった。真波くんは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにニコリと笑いかけてくれたので、わたしも小さく会釈を返した。「今日天気いいね」と嬉しそうに言う真波くんの柔らかそうな髪の毛を、風がふんわりと揺らした。 




数学の教科書を机の上に出しているときに視線を感じて、隣を見ると真波くんが大きな目をさらに大きく見開いてわたしの教科書を凝視していた。アイメイクもせずにこんなに綺麗なめもとなんて、なんだかずるい。

「真波くんどうしたの?目落ちちゃいそうだよ?」

冗談ぽく言うと真波くんは長い睫毛を震わせながら数回瞬きを繰り返して、数学の用意全部忘れた、とへらっと笑った。岡本さん教科書見せて、と机をくっつけだす真波くんにため息が出る。2時間続きの数学の教科書を忘れるなんて、前日にどれだけ適当に準備したんだろうか。わたしのため息をまったく気にした風でもなく、2時間よろしくねと笑顔を向けてくる真波くんに悪い意味で目眩がした。

よろしくねと言った真波くんは、始まって30分くらいはわたしたちの間に置かれた数学の教科書を真剣に見つめていたのだけれど、だんだんと髪の毛をくるくると指に巻き付けたり器用に親指の上でペンをまわしたりしてごそごそし出した。たまに、完全に数学のことなんて考えていないだろ、というような目でわたしをじっと見たり時計を見たりと、正直ものすごく気が散る。わたしだって数学なんか好きじゃないけど、苦手だからこそ授業をしっかり聞かなければいけないのだ。おとなしくしてもらおうと小声で真波くん、と呼ぶと、きょとんとした顔の真波くんが顔を寄せてきてもともと近い距離だったのがさらに縮まった。きっと真波くんのファンの女の子だったら失神しちゃうくらい近い距離、すごくがんばったら真波くんの睫毛の根元まで見えちゃうんじゃないかっていう距離だけど、おあいにく様、わたしは真波くんのファンでもないしどちらかというと女の子みたいだなあと思っているから失神なんかしないし、ちゃんと注意もできる。まっすぐ真波くんの目を見返して「集中できないからおとなしくしてて」と囁けば、不規則に3回瞬きを繰り返して首を傾げた。なんで首を傾げる、ちょっとむっとしてまた口を開こうとした瞬間、

「ねえ、岡本さんってさ意外に目おっきいね」

とまったくとんちんかんなことを言いながらさらに顔を近づけてくる。がんばらなくたって睫毛の根元も見られるし、もしかしたら毛穴まで見えてしまうかもしれない。特に見たいと思わないけど、

「意外にってなに、失礼だよ、あと顔近いよ」
「わー睫毛がくるっとしてる!」

聞いてる?と真波くんの大きな目にうつるわたしの顔が不機嫌に歪んでいくのに対し、真波くんはいたって楽しそうだ。いったい何が楽しいのかわたしにはさっぱりわからないし、若干失礼でもあると思う。そりゃあ、真波くんみたいに可愛かったらわたしだって毎朝睫毛をカールさせたり、夜寝る前に顔をひきしめるマッサージを真剣にやらなくたっていいんだろうけど。わたしは真波くんみたいに可愛いわけじゃないから、日頃の努力が欠かせないんだ!ああ、可愛い顔の天然系男子って本当に、腹立つ!

「わたし真波くんみたいに可愛くないもん」

イライラにまかせて呟いた言葉は本当に可愛くなかった。真波くんの目にうつってるだろう自分はきっと、わたしの性格と同じで可愛くない顔をしてるんだろうなと思ったら目なんて合わせられない。逸らした先の、書きかけの数式がさらにわたしの心を波立たせて惨めにさせた。きっと授業ではもうこの数式の答えなんて消しちゃったんだろうな、もう消そう、書きかけのまま残しておくより消してなかったことにしよう、書きかけの数式を見る度に惨めな思い出しなんかしたくないもん、と消しゴムをとろうとしたがそれは叶わなかった。呆れて、わたしに構うのなんかやめたとばかり思っていた真波くんの手が、わたしの手首をしっかりと掴んでいた。びっくりして振り払おうとしたら手をふることすら叶わなくて、慌てて真波くんを見るとすごく真剣な表情で私のことを見ていた。こんな真波くんは知らない、いつもふわふわして女の子みたいに柔らかく笑って、女の子より可愛い真波くんしか、わたしは知らない、

「岡本さんは、かわいいよ」

真波くんの目の中のわたしがおもいっきり口を開けていた。は?とか、え?だとか言葉になりきらない言葉が喉の奥をくすぐって、反応に困ってわたしの手首を掴んでいる真波くんの手を見た。すると、その行為を諌めるように真波くんの手に少し力が加わってまたわたしは真波くんの目を見ることになる

「岡本さんはかわいいよ、オレ、知ってるよ。あったかい日に窓の外見ながらちょっと笑ってるのとか、古文の授業中に眠そうに目擦ってるのとか、鳥がベランダに来たらちょっと驚いたあとニコニコしてるのとか」

なんでそんなこと知ってるんだとか、なんでこっちを見ているんだとか、なんで真波くんはこんなに真剣な目なんだとかなんで真剣にこんなこと言われてるんだとか、無数のなんで?がわたしの頭の中を駆け巡る。頭の中に収まりきらなかった疑問が口をついたけど、信じられないくらいに擦れた声だった。

「なんで、なんでそんな…なんでそんな見て..」
「わかんない、もう覚えてないけど、最初はたぶんなんとなく。でも、オレ岡本さん見るたびに可愛いなあって思って、もっと見てたくなるよ」

にっこり笑った真波くんのその言葉に、一瞬頭をがんと殴られたみたいな感覚がした。脳がぐわんぐわん揺れて、首筋からじわじわと熱が上ってくるのがわかった。なんだこれ、なんだこれは、いったいどういう状況なんだ、いったいどういう意味なんだ、いったいなんでわたしは真波くんに対して顔を真っ赤にさせて、目を涙目にさせて掴まれた手に汗をかいているんだっけ?なんだっけ?そういえばさっきの数式消したっけ?滲み始めた視界で数式を見れば、かきかけのまま止まっている数式が目に入ったと同時に、ほんのりと赤みがかったわたしの腕が目に入ってわたしを余計に慌てさせた。

「もう、見るのやめて、恥ずかしい、真波くんのほうがかわいい」

ああ、やっぱりわたしはどこまでも可愛くないな。こんなに真波くんが肯定的に捉えてくれているのに、わたしはなおも真波くんのほうが可愛いと言い張る。だって本当に真波くんのほうが可愛いのだし、性格も素直だし、自分の思った感情を曲げずに人に伝えることができるんだから。本格的にわけがわからなくなっているのと、惨めな気持ちが両方一気に押し寄せてきて視界をさらに滲ませた。滲んだ視界にぼんやりうつった真波くんがついに顔を顰めさせていて、呆れさせちゃったなあと、悪いな、と下を向いたら鼻水まで出てきた。ほら、ほんとうに可愛くない!

「あのさ岡本さん、オレ男だって知ってる?」

ず、と鼻をすすって真波くんの問いに頷くと、ほんとのほんとにわかってる?と真波くんにしては珍しく念をおしてきた。

「わ、かってるよそれくらい、いくら真波くんがかわいくても性別くらい知ってるよ」

だからさあ、と呆れたようにため息を吐いた真波くんは何かを閃いた子供のようにニヤリとして、さっきから掴みっぱなしのわたしの腕を突然自分のほうに引き寄せる。びっくりして引き戻そうとしたけどやっぱり叶わなくて、わたしの手は今真波くんのお腹を制服の上から触れている、華奢だとばかり思っていたお腹は固くて、生々しい壁みたいだと思った、わたしの手の熱が伝播して、手の触れている部分が暖かくなる。

「ね、オレけっこう鍛えてるんだよ」

ほんとは胸のほうがもっとわかりやすいんだろうけど、今授業中だし、と続けられた言葉が衝撃的すぎてわたしは馬鹿みたいに首を振った。いくら首をふっても顔の熱は引かなくて、それどころか真波くんの固いお腹や、意識しだした途端に骨張った感触の増した大きな手が、さらにわたしの熱を煽った。


「かわいいより、かっこいいって言って、で、オレのこともっと見たいなって思って」

ようやく離された腕で顔を隠すと、隙間から見えた真波くんがにっこりと笑っていた。にっこりと笑っているはずなのに、やわらかさなんてどこにもなくて、女の子みたいにかわいいのに全然かわいくなくて、真波くんはただの男の子で、かわいいよりかっこいいっていう言葉が似合って、お腹も手も固かった。わたしだって本気で真波くんを女の子だと思っていた訳じゃない、でも男の子だと意識したこともない、だけど、だけど、と思い出す感触は全部まぎれもない男の子のものだ。にこにこと笑ったまま真波くんがまた顔を近づけてきて、慌てて仰け反ると顔の前に掲げたままの腕を掴まれる、やっぱり骨張ってて固くて、大きくて、女の子なんかじゃなくて、

「あのさ、数学の教科書ほんとは持ってるってのも知ってる?」

わたしの手首をいとも簡単につかんだ男の子は、わたしが思っていたよりずっとずっとしたたかだ!


















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