マネージャー東堂

「あれっ」

私の斜め後ろをダラダラと歩いていた新開が、何かに気付いたようにピタリと立ち止まった。なんだろう、ここら辺に食べ物関係の教室はないはずだけど。調理室は一階だし、購買は別棟だし自販機もないし。新開が立ち止まる要素なんて皆無のはずだ。不思議に思って振り向けば、新開はやたら達筆な掛け軸をまじまじと見ていた。

「どうしたの?」

チサ、ちょっとこれ。これ見てみろよ。ちょいちょいと手招きをされ、渋々ながら掛け軸の前へ移動する。やたら角ばった字が八文字ほど、そこには書かれていた。いや、まあ確かに美しいけど。美しいけど…これは美しいのか?書道なんて選択でもとっていないからよくわからない。パソコンのフォントのほうがよっぽど綺麗だと思う。新開はやたら感心したように見ているけど、選択英語じゃなかったっけ?先生が色っぽいからっていう理由が理由なだけによく覚えている。いつから書道に目覚めたんだろう。

「いや、まあ。すごいよね」

熱心に見ている新開の気を悪くしないように、当たり障りのない感想を言うが返事がない、感情が籠らなさすぎたのかもしれない。そんなことより私は喉がかわいて仕方ない。

「ねえ、教室戻る前にお茶買いたいから行こうよ」

自販機寄ろうよ、と言えば案の定あっさりそうだな、と掛け軸の前を離れた。芸術より食い気。新開はやはり新開だ。

「しかし、すごかったなあ。よく書くよな」
「新開が書道に興味あるなんて初耳」
「いや、書道は興味ないけどさ。尽八すごいなあって」
「えっ?」
「え?あれ書いたの尽八だぞ」

すぐさま掛け軸の前へ戻る。左の隅を見れば、そこには同じように角ばった字で「箱根学園三年 東堂尽八」と確かに書かれていた。全然気がつかなかった!

「うっそ!ほんとに東堂が書いてる!」
「なんだ。おめさん見てなかったのかよ」
「なんでこんな隅っこに名前書くの!わかんないよ!」

あきれた、とばかりのため息もまったく気にならない。なんだかよくわからないこの角ばった字も、知り合いが書いたというだけで素晴らしいもののように思えてくるから不思議だ。それに、よくよく見てみればとてもバランスがよくセンスに溢れているような気がする。こんなに画数の多い字を筆で書くというのもすごいし。それによく知らないけど、きちんと掛け軸なんかにしてもらえてるってことは、偉い人に認められたものに違いないんじゃないか。すごい。東堂すごい!


「ん?新開に岡本か?」

何してるんだ?と二つ向こうの教室から顔を出したのは、まさに渦中の人物、東堂だった。






「ああ、これなあ」

たまたま見つけたのだ、と掛け軸を指差し二人ですごいすごいとはしゃぐも、東堂の反応は意外なものだった。苦々しく顔を顰め、あまり良い出来ではないのだが、と作品を見つめる目は厳しい。

「賞をとったので装丁してもらって飾ってあるだけだ」

ううん、と納得いかなさそうに顎に手を当てる東堂はなんとも意外だった。てっきり、そうだろうすごいだろうワッハッハと鬱陶しいくらい調子に乗ると思ってたのに。意外すぎてどうすればいいのかわからない。新開を見ると、同じことを思っているのだろう。すでにわたしのほうを見ていた。

「でもさあ、じゅうぶんすごいよ!わたしこんなの書けないもん!すごいよ東堂」
「岡本は字が下手そうだな」
「う、いや、まあもちろんこんなに上手くはないけど。そこまで下手でもないと思うけど…」
「じゃあ今度部内で書道大会でもするか」
「馬鹿にしてるでしょ?!絶対わたしのこと馬鹿にしてるでしょ!」

ワハハ、と笑う東堂に拳を振りあげれば、新開にどうどうと宥められた。止めてくれるな新開よ。気を使ってみればこの結果だ、一発くらい殴ったっていいはずだ。

「いや、褒めてくれたのは素直に嬉しいんだ。ありがとう」

新開といっしょになってわたしを宥める東堂になんだか違和感を感じる。なに?いつもの鬱陶しい東堂はどこいったの?まさかあんまり触れてはいけないことだった?
東堂の家は大きな老舗旅館だ。きっと、私たちには理解しがたい悩みとかしがらみがあるんだろう。書道もそれに関係しているのかもしれない。ただ単純に東堂すごい!とはしゃいでしまった自分が恥ずかしくなる。

「あー、尽八。あんまりあれに触れないほうがよかったかな?」

新開がわたしのかわりに気を遣って聞いてくれる。頭に乗せられた手がじんわり温かい。東堂ごめん。予想以上にしんみりとした雰囲気はさながらお通夜だ。東堂も慌ててたように新開の手の上から私の頭をバスンバスンと叩く。わたしと新開の、痛!という声がハモった。

「いや、そうではない、そうではないのだ!たぶん新開たちが考えているような深刻な理由ではなくてだなあ!」

新開の手とわたしの頭を叩くのをやめ、掛け軸を振り返る。その目はやっぱり厳しいものだったけど、頬はほんの少しだけ赤らんでいる。

「その、俺の字の先生は厳しくてな!滅多に褒めないのだ。これも散々な言われようだったし、だから、お前たちみたいに素直に褒められるとその、なんだ」

さっきまでの暗い空気はどこへ行ったのか。私たちは、だんだんいやらしく釣り上がる口元をなんとか隠そうと必死だ。東堂は、そんな私たちがわかっているのだろう。頑なにこちらを見ようとはしない。掛け軸をほとんど睨みつけるようにして見ている。

「褒められるとなんだって?尽八」

やけに芝居がかった真面目面で、新開が東堂の正面へと回り込む。新開の真面目面が徐々に緩んでいくのを見るうちにわたしも我慢ができなくなって、ついに大きく吹き出してしまった。なんだ!照れてただけなのか!本当に紛らわしいな東堂は。呆れた。

「なっ、わ、笑わなくともいいだろう!」
「だってやけに神妙な顔してお礼言うから!東堂家の闇を見たかと思っちゃったじゃん!」
「俺もビビったぜ、尽八」
「うちの闇とはなんだ!そんなものあるわけなかろう!」

耳まで真っ赤になった東堂を、二人で紛らわしい紛らわしいと笑えば怒ったのか、先に戻る!と階段のほうへ向かってしまう。
その背中に向かって、

「ねー!ほんとにすごいと思ったよ!自信もってまたなにか書いてー!」

叫べば一瞬だけこちらを振り向いて走り去って行った。振り向いた時の顔は、何かを必死に堪えているようなこわいものだったけど、その色は茹で蛸よりもさらに真っ赤だった。







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