真波とお昼ご飯

「あれえ、チサさんだ」

ん?と声のしたほうを見ると、目をまんまるにした葦木場くんが、私をその長い手で指差していた。途端に、隣にいた黒田くんが「失礼だろうが」と葦木場くんの手を叩き落とす。あ痛っという声も聞かずに泉田くんがかわりに謝罪の言葉を慌てて叫んでくれた。すごい、いつ見てもコントみたいな子たちだな、ほんと。

大きく手を振ると、ドタバタと足音も荒く近寄ってきて「ちわっす!」と勢い良く頭を下げられた。ち、ちわっす…と後じさりする。実はわたしは、あんまり、こういう典型的な体育会系ノリには慣れていないのだ。福富たちがしっかりしていないというわけではないが、自転車以外のところではわりと淡白というか、深いこだわりはなさそうに思えた。まあ、東堂や新開がわざわざ今みたいな挨拶に来てもゾッとするだけだけど。

「チサさん、なんでここにいるの?」

コテン、と首を傾げた葦木場くんに、他の二人も興味津々といった視線をわたしに向ける。
そう、わたしは今箱根学園男子寮にお邪魔しているのだ。お邪魔していると言っても、クラスの友達に貸した英語の辞書を返しにもらいにきただけなんだけど。なんでなんで?と大きな体をそわそわさせて返事を待つ葦木場くんに悪戯ごころが芽生えた。

「いやさ、来週からここに住むからちょっと見学に来たんだよね」
「ええええええええええええええ?!!!!!」

芝居然とした真面目くさった顔でそう嘯いてみれば、案の定葦木場くんは盛大に驚いた。驚きすぎて後ずさった際に、足がもつれて転びそうになるくらいに驚いていた。

「えっでも、でもチサさん!ここ、男子寮だよ!チサさん男子じゃないから住めないよ!」
「特例で住んでいいんだって!あっ、これ内緒ね、言わないでね」
「うわああ、すごい、チサさん来週からここに住むんだって!すごい!」

すごいすごいとはしゃぎまわる葦木場くんに、ごめん嘘、と舌をだせば泉田くんと黒田くんがため息を吐いた。まあ、葦木場くんの天然っぷりに呆れたんだろう。いや、もしかしたら後輩をからかうわたしの大人気なさに吐いたのかも。わかんない。両方かもな。

「え、うそ?」

葦木場くんは、パチパチと瞬きを繰り返して、まだ混乱を隠し切れていない声で「ユキちゃん…うそなんだって」と、黒田くんの部屋着の背中を引っ張って鳩尾に肘鉄を食らっていた。悶絶する葦木場くんに、怒りすら感じられる声で「ふつーにわかんだろーが!!このド天然!」と怒鳴った。本当におもしろいな。笑っていると、わたしを見つめたまま泉田くんがもう一度ため息を吐いた。

「ごめんごめん。ただ貸してた辞書取りにきただけなの。もう帰るところだよ」
「明日返してもらえばよかったのでは?その、女性が一人で男子寮に来るなんて…その……」
「うーん、そう思ってたんだけど、さっき明日当たること思い出したんだよね。英語、一限目なんだ」
「あー先輩、ちょっと鈍臭いとこありますもんね」
「ユキちゃんしつれー」
「オレはいーんだよ」
「なんで?なんでユキちゃんはいいの?」
「俺と先輩はナカヨシだからいーんだよ」
「えー!ずるい!俺だってチサさんと仲良しだもん!」

ポンポンとすすむ二人の会話についでいけず翻弄されていると、急に葦木場くんがわたしにぎゅうっと抱きついてきた。抱きついてきたと言えば聞こえはいいが、長い手に絡め取られた体はおもいきり葦木場くんの硬い胸板に押し付けられたのだ。完全な事故である。ぶつけた際に鼻を強かに打ち、ふがっという女にあるまじき悲鳴は葦木場くんの胸に吸い込まれていった。

「ちょ、葦木場、く、苦しい!鼻、いた、」
「ちょっ、おい葦木場離せって!先輩窒息しちまうだろーが!」
「俺だってチサさんと仲良しだよ!昔は一緒に洗濯した仲なんだぞ!」
「なんだその仲良いのか悪いのか判断しにくい要素はよ!もっとなんかねーのかよ!」
「もう!ユキも葦木場もそんなこと良いから早く先輩離せって!」
「あ、あるよ!よく上にあがってる備品とってあげてた!」
「パシリじゃねーかよ!てめ!」

パシリ!とこの世の終わりを知った人みたいな声を頭上で聞いて、すぐさま拘束が解かれる。助かったとばかりにおもいっきり息を吸うと肺と背骨が鈍く痛んだ。パシリだなんて、パシリだなんてと頭を抱えて混乱したような葦木場くんを、呼吸を整えながら見守る。この子、こんなに信じやすくてこの先生きていけるのかな…といらぬ心配をしてしまうくらい狼狽えていた。その両脇を挟むようにして、黒田くんと泉田くんが口々に慰めの言葉をかけていく。無駄のないその一連の行為に完成されたコントを見ているような気がした。

「落ち着け葦木場!チサ先輩はパシリだなんて思ってないよ!」
「あーそうそう、きっと手伝ってもらって喜んでるぜ。先輩チビだから」
「こらユキ!そういうこと言うな!」
「ほんとのことじゃん」
「ほんとでもだめだ!」
「だって先輩が上にある備品とってくれたこととか、ねーぜ」
「それは…小柄でいらっしゃるから……」
「そうそう、コガラでいらっしゃるからお前にやってもらって助かってたんじゃねーの!って話だよ!パシリなんて言って悪かったってか、真に受けすぎなんだっての!」
「俺、パシリじゃないかな…仲良しかな……」
「ああ、仲良しに決まってるだろう!」
「仲良し仲良し。な?先輩」


唐突に振られた言葉に、ほとんど反射で頷く。惰性で首を縦に振りながら黒田くんから泉田くん、右から左、左から右と目を泳がせているうちにも、葦木場くんは顔をパアッと綻ばせあとの二人はなにかを慈しむような苦笑を向けていた。

なんなんだろうこれ。
やっぱりコントかな?


良かったよーと少し潤んだ声に、良かったな、良かったと安心させるようなふたつの声、葦木場くんの肩をふたりがポンポンと叩く音。それは確かにとてもあたたかくて、慈しむべき光景なのかもしれないが、言い知れない疲労感に襲われた私はただ一言「あの、帰るね」と声をかけ玄関へ後ずさる。笑い合っていた彼らが、えっ?とわたしに視線を移したと同時に「また明日の朝練でねー!」と逃げるように寮を後にした。可愛い二年生に会えてたくさん話せて楽しかったなあ、相変わらずおもしろかったなあ、と思う反面、暫くは一人であのメンバーとは出会わないようにしようとも、思った。









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