案外不器用なのかもしれない。何がって、オレが。
焦げて黒くなった鍋とボウルを眺め、今日何度目かの溜め息を吐いた。チョコレートの湯煎ひとつもまともに出来ないとは自分でも驚く程。
溜め息を吐くと幸せが逃げるなんてことは頭の隅に追いやって、もう一度深い溜め息を吐いて焦がした鍋とボウルを水に浸ける。暫く浸けておいて、後できちんと洗おう。だからと言って焦げを落とす自信はないけれど。
そもそも何故オレがこんな慣れないことをしているのかというと、それは本日が2月14日、つまりバレンタインデーであることに大きく関係している。いや、寧ろそれ以外に関係していることはない。
そこでオレは祐希に、そう、恋人の。チョコレートでも作ってあげようと思ったのだ。一度も作ったことがないのに、我ながらチャレンジャーだと思う。
本当は春に教えてもらおうとしたけれど、まさかそれを祐希にあげるなんて言えるわけもなく。まぁ春のことだからしつこく訊いてきたりもしないだろうけど、何だか気まずい。
だから仕方なくひとりで作ることになった。ちなみに今、両親は仕事やら買い物やらで、祐希は本屋に行っている。祐希に、本屋はひとりで行ってくれと説得するのにどれだけ時間がかかったか。
また別の鍋を棚から取り出して水を入れた。ポットのお湯はさっきので切れてしまったから一から沸かすしかない。
鍋を火にかけている間に板チョコを割る。割るのに失敗したことはない、というか失敗のしようがないと思う。
なるべく細かく割った板チョコをボウルに入れ、鍋の中に投入した。直後じわじわと溶け出すチョコレート。ここからが、重要なのだ。先程から何回も失敗してきたこの行程が。
緊張感に身を包んだら、玄関の方から鍵を開ける音がして聞き慣れた声でただいま、なんて聞こえるものだから一気に緊張感もなくなってしまう。
あぁ、祐希が帰ってきた。そういえばもう長いことこの作業を繰り返していたっけ。
「悠太?」
「あ、おかえり」
ひょこりと顔を覗かせた祐希は一瞬不思議そうな表情をしたものの、さほど気にすることもないと言ったふうに後ろから抱きついてきた。
「ちょ、っと焦がしてしまうので離してください」
「ん、湯煎?」
「……うん」
祐希は、やっぱり悠太珍しいね、なんて言いながらまだ背負ったままだったリュックを床に置き、ついでにコートも脱いでから手を洗った。
ボウルに入った板チョコたちはまだ形が残っていて、焦げていないことに安堵した。もうトラウマかもしれない。
祐希はオレの隣に立つと、先程点けたばかりの火を消した。
「もう消すの?」
ボウルの中にはまだ半分くらい、形のはっきりとしたチョコレート。
「火、点けてなくてもちゃんと混ぜてれば溶けるよ」
そう言って祐希はどこから取り出したのか、柄の部分がピンク色のゴムべらでチョコレートをかき混ぜた。
すると、まだ固形だったチョコレートも液体(と呼ぶのかわからないが)と混ざって跡形もなくなり、とろりとゴムべらの先から溢れ落ちる。
まさにオレが、求めていた物だった。
「ごめん悠太、全部やっちゃった」
つい、と言って祐希は、少しだけ申し訳なさそうにゴムべらのピンク色をこちらに差し出した。
思わず受け取る、ありがとう、いや、そうではない。
「祐希……こういうのも出来る……んだね?」
本当に、びっくりした。
そりゃあ祐希はやらないだけで、やれば何でも出来てしまうなんてことは知っていた。けど、まさか料理に関しても同じことが言えるとは思っても見なかった。
「うーん……それよりオレは、悠太が出来ないことのがびっくり?っていうか……うん」
ちらりと先程浸けた鍋とボウルを横目で見てから、祐希は「違うよ、悠太ってなんでも出来そうだったから……」と言った。何が違うのかは、なんとなくだけどわかってしまった。
「ふふ、オレだって出来ないこといっぱいあるよ?」
「そんなこと言ったらオレのほうがいっぱいあるよ」
こんなことで張り合ってくるものだからすこし驚いた。思えばさっきから、祐希には驚かされてばかりだ。もしかしたら、オレの知らないところでとても成長してきているのかもしれない。かも、ではなく実際そうか。あぁまさかこういう場面で弟の成長を感じさせられるなんて。
「……これ、祐希にあげるんだから作り方教えてよ?」
一瞬目を見張った祐希を見逃すわけがない。
「もちろん、ありがと悠太」
わからないくらい小さく笑った祐希に、今度は前から抱きつかれた。
あーあ、こんなに大きくなっちゃって。
頭を撫でればすり寄ってきてくれるところは、ずっと変わらないでいて欲しいなぁ、なんて。