夜の隙間
都心に近い場所に立ち並ぶマンションの中に俺と傑は住んでいた。
漫才師としてテレビに出て3年ほど経つが、ブレイク芸人としてなかなかに今も忙しい日々を過ごしている。ライブをやればドッカンドッカン笑いを取り、バラエティに呼ばれれば大御所にもびびらずツッコミまくっていた。まあ、実力もさることながら俺ってばグッドルッキングガイだし?傑もそこそこイケてるし?最強じゃね?と日々仕事に奮闘していたが、人間疲れる時は疲れるわけで。
「じゃあ明日のオフはゆっくり過ごしなよ、悟」
「…おー、オツカレ」
仕事終わりにそれぞれの部屋の前で挨拶をし、ドアを開けたお互いの顔は死んでいる。ちなみに引っ越し時にじゃんけんで勝った傑は角部屋、その隣が俺の部屋だ。
バタンと重いドアを閉めれば、がらんとした部屋が迎える。あまりモノに執着しない質なので最低限の家具しかないそこは声や音が響きやすい。落とした荷物の音がこだまする。そのまま疲れた身体を引きずりリビングへ向かい、なんとなく奥のガラス戸を開けてベランダへ出た。
…本当に今日は忙しい1日だった。
身体を張るバラエティにお笑い番組の収録とかハードすぎるだろ。しかも最後はウッゼェ先輩ヅラした大御所が司会やるとかさぁ。伊地知のスケジュール管理どうなってんだよ。
「あいつ人でなしか?マジで次こんな組み方したら許さねー。菩薩も霞む寛大な心を持ったこの五条悟ですら堪忍袋はあるんだよ…マジビンタどころじゃすまねーなタイキックに処してやる…」
「…ブフッ、」
「?」
独り言にしてはまあまあな声量で呟いた愚痴に、ベランダの境目越しの聞き手がいたらしい。日付が変わった後の時間のはずなのに、それは随分と軽やかな笑い声だった。
「…えーと、すみません?」
「ふふ、っ、あはは…!!」
「えーなにめちゃくちゃウケてるじゃん…」
笑い声からして女の人のようだけど。隣人とか気にしてなかったからどんな奴か全く知らない。とりあえず外行の言葉遣いで対応する。
「…はーっ、すみません…急にツボっちゃって…」
「いえいえ、笑ってもらえたなら本望です。僕、お笑い芸人なので」
「存じてます、祓ったれ本舗の五条悟さん」
「あ、知ってます?いやーほんと僕ってば有名人なんだよね!んで、そういう君も実は同じだったり?」
セキュリティに強いこのマンションはベランダの仕切りもしっかりしているため、覗けるような隙間もなかった。そのため芸能人も割と住んでいると聞いた気がする。
話し方だけだが相手への好感度は高い。ただそれだけで誰か判断できるほど、自分は人脈が少ないので無駄に知り合いの多い相方なら分かったかもしれないな。
「それはどうでしょう」
「えー、教えてくれないの?」
「というか、知ってると思ってたんですけど」
「へ?なんで」
「五条さんが引っ越してきた日、相方の夏油さんとマネージャーの方が挨拶をしに来てくださったので」
は?いやあいつら俺の知らないとこで何してんの?なんで仲間外れ?
「いや聞いてないわ」
「…実は仲悪いんですか?」
「ゼンッゼン!!さっきもドアの前でそれはもうあつぅい挨拶をしてきたばっかりだからね!」
「あはは!それはそれで怪しい!」
夜風が心地よく吹く中、ポンポンと軽い調子の会話が続き、それは相手のスマホが鳴るまで途切れる事はなかった。
「…あ、すみません。ちょっと電話かかってきたのでお暇しますね」
「こんな遅くになんて、男かな?」
「男と言えばそうですね」
「うわやり手かよ!」
「ふふ、それではまた明日」
もしもしという声に続きガラス戸を閉める音がして、そして何も聞こえなくなった。実質30分も話していないだろうに、先ほどまでの心地よい空気が忘れられない。
「えー…これってもしかしてやばいんじゃない…?」
ぽつりとでた言葉を拾うものは今度はなかった。
あんまり恋愛とかで振り回されたくなくて、遊びたい時に遊ぶのが1番気楽なはずなのに。今まで出会った女には感じたことのない安心感に、フッと息をつく。
この妙な高揚感を誤魔化すために、とりあえず明日は伊地知をいじめ、傑を1.5割増しでツッコむことにする。
というか、彼女、また明日って言わなかった?
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