籠鳥檻猿の笑み




彼女の葬儀は しめやかに行われた。
棺桶のないひっそりとした葬儀に参列した人は同級生と先生くらいなものだが、手向けられた仏花の量はそこそこに多い。それは簡単に彼女の人望を表していると言ってもいいだろう。
あまり感情の起伏がない硝子ですら、パイプ椅子に座りながら震えた手で膝を掴んでいた。右足の膝小僧が砕けてしまうんじゃないかと心配するほどだ。

「遺体のない葬式は本当に実感が湧かないよな」

そう言ったのは悟だった。
暗澹たる空気を裂くようなサッパリとした声音に硝子が眉を顰める。私は悟側でも硝子側でもなく、ただ彼女の遺影を見つめていた。

彼女が日々の化粧で使う鏡のような大きな黒縁。その中で彼女はこれでもかと目を細めて、小さな口を目一杯開いて笑っている。それは1年の時に初めて4人で行った任務の後だ。帰りに行ったラーメン屋で撮った1枚の写真。提供は硝子だと思う。
彼女の人柄がよく撮れている。
最近の彼女の笑顔はぎこちないものだったから、余計にだ。

空っぽの骨壷に立て掛けられた遺影を受け取ったのは硝子で、私はその硝子から空っぽの骨壷を受け取った。
なぜ私に渡すのか聞くのか悩む。
思えば、私が彼女を目で追っていることに気付いている人間がいても何ら不思議ではないのだ。
黙って空気のように軽い白い箱を受け取った。


最近の彼女を心配していたのは私と硝子くらいだったかもしれない。

笑顔で巧妙に隠された彼女の苦悩は、彼女が可愛がっていた後輩が死んでから始まっていた。呪術師が死ぬことは特に珍しくない。だが、幸いにも私たちの代は才に恵まれたお陰で3年の夏に至るまで同級生が欠けたことはない。それが余計に悪かったのかもしれなかった。


2年の秋、夏の痕跡がまだ残る頃だった。

陽が落ちる時間は早まり、夏の終わりを感じていた。積乱雲を乱暴にちぎったようなうろこ雲が風に流されていく。
昼頃は未だ残暑を感じることはあっても、夕方から朝方にかけては涼しくて過ごしやすい。湿度を含まないカラリとした風はどうしても秋を感じさせた。
高専に繋がる道の木々は緑から黄色に変わりつつあった。

その日、彼女は珍しくグラウンドのベンチに座っていた。
灯りのないベンチは夕方6時には真っ暗になり、鈴虫の鳴き声に包まれる。任務帰りの私は部屋に戻る気になれず、高専内を歩き回っている時にどんよりと闇に溶けた彼女を見つけた。彼女がそこまで落ち込んでいる様子は見たことがない。
悟の嫌味も笑って流してしまうような、世界の事象は全て面白く感じてしまうような彼女なのだ。明らかにそれは異常だった。

「かなた」
「あ、夏油だ。お疲れ様!」

パッとスイッチが切り替わった彼女に思わず渋い顔をしてしまった。それが彼女に伝わったらしい。すぐに彼女の笑顔はぎこちないものに変わった。あはは、とぎこちなく笑い続ける彼女の横に座る。
ベンチはぎしりと鳴いて、しきりに鳴いていた鈴虫までもその音に少しの間黙り込んだ。
5秒ほど黙り込んだ鈴虫は恐る恐る再び鳴き出す。

「何かあっただろ」
「うーん、あったよ。聞いてないの?」

心当たりはない。暗闇で元々見えにくかった彼女の顔は隣に座ることで完全に見えなくなっていた。ベンチに深く座り直した彼女は膝を抱えるくらいに身体を前方に倒す。

「葵ちゃんが死んだんだって」

葵ちゃんというのは、つい3ヶ月ほど前に七海と灰原の学年に転入してきた女の子だった。術式の相性もあってかなたが面倒を見ていることを知っている。仲良さそうに2人で走り込みをするような姿もよく見掛けた。

「……任務でかい」
「うん。私、ちょうど近くで任務があったから迎えに行ってたんだよね。そしたらさ、死んだって聞いて」
「うん」

うん、と私は相槌を打ったが彼女の言葉はそこで途絶えた。つい1ヶ月前の出来事を思い出してしまう。グラウンドにいないはずの女子中学生の姿がぼんやりと浮かぶ。見つめると2秒後に破顔して、同時に弾けるような音と共に彼女は倒れる。その映像が永遠にリフレインする。

「夏油?」
「あーいや、すまない」
「疲れてるなら部屋戻った方がいいよ」

彼女のいつも通りの優しい声音は鈴虫の鳴き声と妙に相性がいい。溶けて消えてしまいそうだと、変な想像をした。

「葵ちゃんが死んだだけじゃないんだろ」
「……うん」
「教えてくれよ。別に、誰が怒ったとしても私は怒らないよ」

彼女の身体がふるりと震えて、それに合わせてベンチが鳴いた。その内側で彼女が息を荒らげる。悲哀なのか怒りなのか分からない荒い息は言葉を紡ぐ。タバコの煙のように軽やかに天に昇るかと思われた声は、ずしりとマントルにまで落ちた。

「アイツら、葵ちゃんに助けてもらったくせに文句を言って。その上、唯一残った葵ちゃんの左腕を踏みつけてたんだよ」

アイツらというのが誰なのか、きっと夏を迎える前の私なら言ったことだろう。しかし、今の私なら分かってしまう。怒りをもって、明確にその姿が目に浮かんだ。

ブレるな、と脳内で繰り返し自分に言い聞かせる。しかし、自分に言い聞かせている時点で自分がどこへ向かっているのか自覚していた。

「かなた」
「なに」
「逃げたくなったら言ってくれ。私が」
「夏油が?」

「君を逃がすよ」

その日初めて涙の海を揺蕩う彼女の瞳を見た。いつから泣いていたのか鼻の頭まで真っ赤だ。悲しみだけの涙だったら、まだ良かったのだろう。

「……変なこと言うね、夏油って」

誤魔化そうと放たれた言葉はずいぶんか細い。そんなもので怒りを塗りつぶせるはずがない。何度だって飲み込んできたのだろう感情が真っ赤に唇から垂れていった。じわりじわりと丸く現れては涙のように流れる怒りの赤を舌で舐めとった。

その日、私とかなたは抱き合って眠った。
何度だってキスをした。
何度だって手を繋いで身を寄せあった。

しかし、転がり落ちる石は加速していく。
坂道は角度を上げて、加速する石は削れていった。跳ねて、削れていく彼女の心のトドメを刺したのは灰原の死だった。
またもや、失いたくはない可愛い後輩だった。


硝子から受け取った骨壷をテーブルの上に置く。どれだけ見つめたとしてもそれはただの空っぽの箱であり、そこに彼女はいない。
その箱の中に形式ばった感謝を告げる紙を1枚だけ入れた。荷物は多くない。

遺体のない彼女が死んだことになり、葬儀が執り行われることになったのには理由があった。1つは2週間帰ってきていないこと。そしてもう1つ、彼女の血まみれの毛髪が見つかったからだった。遺体が残らないことも多い呪術師であれば、それが死亡認定に至るのには充分すぎる理由である。

「まさか、私が彼女を監禁してるだなんて誰も思わないんだろうなぁ」

近頃掃除をしていない荒れ放題の部屋にこれは反響しない。脱ぎ散らかしたままの制服を踏みつけて部屋を出た。

2週間前、もう嫌だと泣き崩れた彼女は目隠しをされて手錠で繋がれ、足を椅子に固定された状態で今日も笑っている。




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