愛のテロ



七海は有言実行タイプだ。
やると言えばやるし、
やらないと言えば意地でもやらない。
だからこそ私は緊張していた。

今夜私は、彼からプロポーズされるからだ。


事の発端は先週の火曜日、七海と任務終わりに街を歩いている時だった。
小さな教会があって、そこでは結婚式が行われていた。きっと殆どが身内の小さな結婚式。

私が思わず足を止めると七海も足を止めた。
ついさっきまで降っていた雨は予定調和のように止まり、雲間からは僅かな光が差している。その光が教会の扉から出てきた2人を照らしていた。

私たち、幸せです。
って顔にも身体にもオーラにも書かれている様子に私は一周回って呆気に取られていた。

つい先程まで人間から生まれた呪霊を祓ったばかりで、呪具を振り回した直後の手で、私は教会の柵を掴んでいた。
親族から祝福されて輝かせている薬指の指輪は天からも祝福されているかのように、照らされた光で瞬いている。

きっと披露宴会場に移動していく様子を最後まで無様に見つめた私に、七海は肩を軽く叩いた。満足しましたか、という問いには答えなかった。何に満足すればいいのか到底私には分からなかったからだ。
呪術師には到底手に入らないだろう、幸せだろうか。周りからの祝福だろうか。連日雨ばかりの鬱々とした中で途端に雨が止み、雲間から2人を光が照らしたことだろうか。

私にとってそれ以上の幸せはないとは思う。
私たち呪術師が流す血で非術師たちはこうして歴史を繋いでいくのだ。
それはいい事だ。やり甲斐だ。なのに。

私は嫉妬していた。
まさに光と闇。とことん私たちは地獄を歩く存在なのだと思い知らされたからだ。

「……怒っているんですか、それとも悲しいのですか」
「多分、両方」

教会の柵を強く握り締めすぎて、跡のついた手を軽く振って七海に向き直る。
帰ろう、と私が言うと七海は開きかけていた口を1度閉じて、そうですね、と言った。

伊地知くんの運転する車に乗り込んでから暫くは無言だった。別に七海は口数が多い方ではないので、私は窓を開けて僅かな晴れ間を楽しむことにした。チカチカ、と車のウィンカーが鳴ったとき、七海はそのウィンカーよりほんの少しだけ小さな声であなたは、と言った。

「ごめん、よく聞こえなかった」
「……月島さんは、結婚願望があるんですか、と聞きました」

結婚願望……。
私だって呪術師の前に1人の女の訳だし、全くないというわけではない。
でも言ってどうする。

「そんなの、五条さんに言ったら笑れそう」
「私は五条さんではありません。笑いませんので、どうぞ正直に」

テレビをつければゼクシィのCMが、
街を歩けば結婚式が。
妙に目につくのは、私に結婚願望があるからなんだろうか。

「……まぁ、あるよ」
「そうですか」

聞いておいて、まるで興味がないかのような返答。まぁ、いいか、と目線を再度外に向けると小雨が落ち始めている頃だった。
もう結婚式の祝福はないらしい。
もしくはお前に受ける権利はない、ということだろうか。
私は少し残念に思いながらウィンドウを上げると、その反対の手を大きくて温かい手が掴んだ。隣には七海しかいない。

「どうしたの?」
「月島さん」
「はい」
「来週の火曜日、夕方から空いていましたよね」
「それが?」
「その日、私はあなたにプロポーズをしますので、その気でいてください」

は?

噎せる伊地知くんの声がどこか遠くに感じられた。


それが1週間前の話である。
とうとう来たる火曜日の夕方。
私は午前と昼の任務を急ぎでこなして帰宅した。
プロポーズの用意って何すればいいんですか。その気で、ってなんですか。
とりあえず念入りにお風呂に入り、念入りに髪をブローし、念入りに化粧をし、念入りに服を選んだ。実感はない。

何故なら、七海と私は付き合っていない。

はず。

かと言って、結婚式をガン見していた女に冗談でプロポーズする、なんて言える畜生は五条さんくらいなものだろう。七海は決してしない。その自信ならある。

この1週間、ある意味地獄だった。
プ、から始まる言葉や、
け、から始まる言葉に異常に反応し、
何より七海の顔が頭から離れないのだ。
勘弁してほしい。

私は高専時代から七海に片思いをしているのだ。それを知ってか知らずか妙に私に甘い七海は私によく世話を焼く。
その極めつけがプロポーズである。

やっぱり呪術師はみんなイカれてる!とブローした髪が乱れない程度に頭を抱えた。
普段は履かない深いスリットの入ったスカートからのぞく生脚に見える生傷。
普通の、非術師の女の子ならきっともっと白くて柔らかい、傷のない脚をしていて。

私は急に恥ずかしくなって着替えようとウエストに指を差し込んだところで、ピンポンが鳴った。七海だ。

着替える暇はない、と急いで玄関に向かう。
はーい、と玄関を開けると、いつもとは違うブルーグレイのジャケットにホワイトシャツ、少し偏光の入ったパープルのネクタイをした七海が立っていた。しかも髪はオールバックだ。私が七海の頭の先から爪先までを眺めるのと同じように、七海も私の頭の先から爪先までを眺めていた。

「綺麗ですね。よくお似合いですよ」
「……それは、どうも」

七海も、という言葉を言うか悩んでいるうちに、七海に行きましょう、と腕を引かれた。
いつもより少し高いパンプスに気が付いているのか、階段を降りる私の腕をとってエスコートをしてくれる。
それだけで私はもう沸騰してしまいそうで。
車は初めて見る車だった。
聞くと、七海の自家用車だそう。
しかも女性を乗せるのは初めてなんだとか。

七海のオードトワレの匂いがする車内に私はもう勘弁してくれ、という気持ちで乗り込んだ。これから一体何が待っているというんだ……。

あ、プロポーズか。

「う゛ぉ゛あ゛」
「おおよそ成人女性の出す声ではありませんよ」

今度は念入りにしたブローなんかに構わず頭を抱えた。
七海の考えていることが分からない!
ちらり、と運転席を見るとオールバックのお陰でよく見え、おまけに今日はサングラスを掛けていない。顔が良すぎるぞ、七海健人。顔がいいことだけを確認して前を向き直る。考えてもきっと七海の考えなんて分かりはしないだろう、という諦めである。

1週間考えに考えた七海像をゆうに越えてきたのだから、キャパオーバーだ。

「……どこに行くの?」

キャパオーバーの頭でなんとか会話を、と思いながら出たのはなんとも普通の質問。それに七海はなんとも歯切れの悪い返事をした。

「さぁ」

さぁ、ってなんですか。

七海の高そうな自家用車は音もなく滑るように道を進んでいく。時折、ワイパーが大粒の雨を退けていく。雨、強いな。

「雨、強いですね」
「え?あぁ、うん」

梅雨ですね、梅雨だね。なんてよく分からない会話でまた会話は途切れた。七海の血管が浮いた大きな手はハンドルをスムーズに動かす。次第に外は暗くなり、見えるのは車のライトに反射する雨粒くらいになった。

でも、ふと気づいた。
先程までザーーッとしていた雨音が止んだのだ。
そしてすぐに車は止まった。
車が止まったのは少し小高い丘で、そこそこ夜景が見える場所だ。

「少し出ましょうか」

七海は先に降りると、助手席のドアを開けて私の手をとった。
七海の顔を避けるように頭上を見上げると、そこは雨雲の裂け目で、僅かながら月光がもれていた。月光と遠い夜景が私たちの表情を照らす。

「太陽のようにはいきませんが、どちらかと言えばあなたには月が似合う」

七海の唇がゆっくり動く。
湿り気を帯びた風がふわりと私たちを包んだ。

七海はゆっくりと高そうなスーツの片膝を地面に付けて私を見上げた。

あ、言われる。

私の全身から妙な汗が吹き出る。
その間に七海はポケットから小さな箱を取り出すものだから、本当に本当に少しだけ私は泣きそうになってしまう。

「私と永遠を誓いませんか」

七海の耳が赤い。
七海のブルーグリーンの瞳が揺れる。

「……1つ、聞いてもいい?」
「はい、何でもどうぞ」
「何で1週間あけたの?」
「簡単な話ですよ。だってそうすればあなた、ずっと私のことしか考えられなくなるでしょう?」

七海の瞳がゆっくり細められて、形のいい唇が口角を上げた。

まるでテロだ。

そう思うのに、月光は七海の味方をしていて、跪いた七海に舞台のライトのように月光が降り注ぐ。

「……もう何年も七海のことしか考えてないんだけどね」
「私もです。それを永遠にする約束です」

交わすでしょう?

と開かれた小さな箱の中身を見てとうとう我慢しきれなかった私は、念入りに選んだ服が汚れることも厭わずに大きな身体に抱き着いたのだった。




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