その宝石ください




ああ、嫌いだ。
通算200回目の言葉を心でひとり呟く。

2月3日は節分という邪を払う日であると同時に、嫌いな同級生の誕生日だ。よりによってそんな日は朝から晴天を極めている。
朝日にきらりきらりと反射する光は君を照らしていた。今日が誕生日でお祝いの言葉に輝いて、周囲に祝われるだけの君が本当に憎くて嫌いでどうしようもないのだ。奇跡の代の出来損ないである私は歯を食いしばって日々を過ごしている。

君は特級、才能人。比べて私は死ぬのを待つだけの三級平凡人。隣の芝が青く見えるなんて言葉があるが、それは違うのだ。青く見えている時点で隣の芝はやっぱり青いのだ。青く瑞々しい葉が生い茂り、花を咲かせていく。それに対して自分は動物もいない痩せこけた枯れ地にいて、茶色くなった最後の雑草が風に吹かれている。それを卑屈だのなんだのと言う奴がいるが、ただの事実でしかない。

そんな醜い私が君の黒曜石のような瞳に映ることの滑稽さを、君は知らない。だのに、今日だって誕生日を祝う人達を縫って私の前に立つのだ。キリッとつりあがった眉を緩い楕円に下げて微笑んでいる。急いで目を逸らして手元に集中した。

「報告書、後でいいんじゃないかな。右手怪我しているんだろ」

その言葉でじんじんとした鈍い痛みが鋭く変わる。補助監督に巻かれた包帯が窓からの日光に照らされて白く浮き上がると、指先にこびり付いた血が黒く沈んだ。それがまた惨めで、返事をしないまま無理矢理握ったシャープペンシルの先を動かした。紙面を動きづらそうにしているペン先に舌打ちをして左手で支えようとすると、私の二回りは大きい手が被さる。

「私が書くよ。貸して」
「別にいい。夏油は五条のところに戻ればいいじゃん」
「えーっと、同行した二級呪術師の名前か。名前は?」
「自分で書くから!」

思わず手で机を叩く。左手で叩いたものの、左手の手のひらからバン、という音が骨を伝って頭蓋骨まで届いた。何かがズレたような痛みに思わずじわりと汗が滲む。浅い息が苦しそうに口から漏れだし、背筋は冷たい空気に冷やされるようだ。私の滑稽な姿を夏油はただ静かに見つめていた。

「硝子、まだ戻らないらしいね。あと1時間は掛かるって」

奥歯をぎしりと噛み締めて壁掛け時計を見やる。かちかちと秒針が流れていく。時刻は怪我を負ってから1時間は経過しており、痛みは増していく一方だ。硝子に会えればと思って急いで高専に戻ってきたものの、硝子は別の任務に駆り出されていた。思わず溜息をこぼした私にまだ新人の補助監督は懸命に処置をしてくれたが、決してそれが最善ではなかった。

深く呼吸をすると響く痛みに目を閉じ、身体の動きを最小限にしながらゆっくりと呼吸を繰り返す。次に目を開くと、やっぱり夏油は黙って私を見つめていた。

「……なに」
「呪術師の名前だよ。痛いなら無理はしない方がいい」
「たかだか二級の任務で怪我してすみませんね」
「君は三級だし、そんなものじゃないかな」

雑魚だと言っていた五条の声が鮮やかに蘇り、夏油の声に重なって聞こえる。分かっている。事実私は雑魚で、事実五条と夏油は特級だ。硝子だって貴重な人材で、いくらでも替えのきく私とは大きく違う。術式を勉強しても五条ほどは覚えられず、鍛えても夏油ほど筋肉はつかず、術式を生かそうとしても硝子ほど貴重性はない。平々凡々とした私の価値は萎んだ風船のように惨めで情けなく、それを指摘する人もいれば、黙ってはいるものの可哀想だと目で語る人もいる。その目が嫌いだ。特にその目が嫌いだ。一等、私の様子を窺う夏油の目が特別に嫌いだ。

もう腕が痛んでいるのか、私のほんの小さなプライドが痛んでいるのか分からなかった。ぎしぎしと軋む心から油が漏れ出して、動けなくなってしまう。


目の前で私のペンを奪った君に比べて、私はもう何年も誕生日を祝ってもらっていない。夏油の光が強すぎて、実は私も今日が誕生日だなんて言えずに1年生を終えようとしている。夏油の誕生日を知ってから、誰にも決して言わずにきた320日ほど。きらきらとした陽の光が眩しくて、目が熱い。

「……かなた、君、私が嫌いだろ」
「嫌い」
「だろうね。うん、知ってた。特に私の目が気に食わないんだろ」
「嫌い」
「うん。知ってる。毎日ランニングをしながら通り過ぎる時、君の殺意のこもった視線に気付いてたよ。だから目、あげようか」
「は、?」

直前まで大人しく聞いていたが、最後の言葉に驚いて顔を上げてしまった。交わる視線は陽の光のように温かい。君の黒曜石はしっとりと潤んで、酷い顔の私を映している。

「なに、言ってんの」
「眼球だよ。手は使わないで。舌先で眼球を舐めて、上瞼と眼球の間に舌を入れるんだ。君は舌が長いから、眼球の丸みに沿って舌を入れられるだろ。私は下瞼を自分で抑えておくから、舌で眼球を取り出すんだ。最後に神経を歯で噛み切ってくれたらいいよ」

脳が痛い。頭蓋骨の内側で警鐘のような痛みが全身に大量の血液を流している。気付けば眩しいほどの陽の光も翳り、それは血潮のように赤く染まり始めていた。沈みゆく太陽が赤く、そして2人きりの教室に強い影を落とす。ひんやりとしたブルーグレーの影が夏油の綺麗な顔にかかっていた。

「かなた、実は今日誕生日なんだろ。前に学生証で見たよ」
「なん、で」
「君の嫌いなこの目をあげるよ。さあ、」

固まって動けない私に夏油が覆い被さる。黒い瞳に赤い夕陽が燃えていた。逃げようと足に力を入れても、夏油に太ももを上から押さえつけられていて動けない。大きな手が私の顎を掴み、強引に舌を引きずり出されてしまう。力いっぱい頭を振る。びくともしない。1ミリも動けない。夏油は机と私の身体の間に身体を捩じ込み、机に腰掛けた。報告書がぐちゃりと歪む音がして、ぎしりと机が軋む。夏油の太ももが私の太ももの上に乗り身体で押さえつけられる。左手で自分の左目下瞼を押し、ぐわりと飛び出す眼球を私の口に捩じ込もうと動く。強く掴まれた顎、重い太もも、怪我をした右手どれもが痛い。ぽたりぽたりと唾液なのか涙なのか、とにかく液体状のものが私の顔から漏れ出していった。

「ごめ、なさ」
「謝る必要はないんだ。私は、君が高専に入ってからずっと1人で努力してきたのを見ていたよ。ずっとこの目で。だから、君の誕生日に君の嫌いなこの目をあげようと思えたんだ」

強い影でもはや夏油の表情は分からない。恐怖で舌を口の中に収めようとするが、夏油の指がそれを許さない。太い人差し指と親指が掴んだ顎の中から私の舌を取り出し、そして黒曜石のような瞳に這わせた。

カツンとした少し硬い眼球の表面はやっぱりしっとりと濡れていて、私の舌先がぬるりと上瞼の内側に滑り入っていった時は私の正気もすっかりなりを潜めてしまっていた。

「お誕生日おめでとう、かなた」




ぶちん、




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