メビウス
甚爾くんは煙草を吸う。
情事後の少し蒸気した頬と白煙のコントラストで目に痛い。
柔らかくて張りのある胸筋がすぅ、とゆっくり膨らんで、萎みながら体内を流れた煙は情事の熱と共に流れ出た。蜂蜜よりも甘い吐息がほんのりと苦く天井に上る。
1時間54分の情事は金曜ロードショーで始まり、金曜ロードショーで幕を閉じた。私はどうやら金曜日担当の女らしい。馬鹿女らしく、3回目の呼び出しでそのことに気付いたのだった。
息絶え絶えの私なんか無視して、慣れた手つきで私のスカートのポケットから攫われた
タールは1mg。破れたタイツは甚爾くんの左足の下敷きだ。大好きなお気に入りの紐パンはタイツとぐちゃぐちゃに絡み合って情事を続けている。
「甚爾くんさ」
「あァ?」
「その煙草、美味しい?」
聞いた瞬間、薄く開いた唇と鼻の穴から白煙が漏れた。スッキリとしたメンソール100パーセントの煙草は、ほんのりベリーの風味さえ感じる女向けの煙草だ。それを決まって情事後3本はキッチリ灰に変える。
身体のだるい私と違って、ハッキリとした意識の視線がぱちりと合った。
「んー、そうだなァ。お前の味はするよな」
それって結局どっちなの? と聞く前に勝気に口角をぐい、と右に上げたものだからつい私は黙り込んだ。
悔しくてふわふわの白い枕をぶつけても、大きな手はそれを軽く制す。煙草を持たない手が近付いて、関節が太いゴツゴツとした人差し指が私の丸い額を軽く弾いた。そんなことで高揚する私の気持ちなんて無視して、甚爾くんは再び煙草の煙を目で追う。
暖房の効いた部屋でも汗でびしょ濡れのベッドシーツはほんのりと冷たい。甚爾くんも肌に触れて温めてくれるわけではない。もう一度録画した金曜ロードショーでも流せば、彼の気持ちは変わるのだろうか。
そんなわけはないので、私は興味なさげに意味もなく「ふーん」と呟いた。
甚爾くんも煙たい中から「おう」と返してくる。金曜ロードショーが終わった後の夜のニュースではお天気キャスターが天気を伝えている。男ウケしそうな細くて可愛い女が明後日のクリスマスは雪が降るのだと喜びの声を上げていた。
「……次、いつ会える?」
「さァな。競馬に買ったらすぐ呼ぶわ」
2本目の煙草はもう命が短い。ともすれば、あと煙草1本分だけ。私は彼の逞しい身体が好きだが、なまじ肺活量があるせいで煙草1本がすぐに燃え尽きてしまうことだけは彼の嫌いなところだった。
「と、甚爾くん」
「んー?」
「……ク、クリスマ」
「ス」の言葉は甚爾くんに飲み込まれていた。
薄めの唇はとろけるように柔らかく、その唇からは毒が流れ込む。漏れ出た毒は唾液に溶けて、甚爾くんの長い舌で無理矢理嚥下させられる。
すかさず入り込む太い右手親指が強引に喉を開いた。喉の奥に甚爾くんの指が触れて、唾液が流れて、毒の白煙が流れ込んで。
なぜか明滅する頭上の白熱電球が熱く感じた。
焼けそうな熱は冬にそぐわない夏の陽射しに似ている。毒が全身にまわって身体が痺れ、もう情事のことしか考えられなくなって涙さえ溢れた。
情事の度に甚爾くんに強引に残された私の細い腰を掴む痣のような手形。決まって噛む私の下腹部に残る歯型。
「ん、美味い」
甚爾くんが何を考えているか分からない。
それでも何度だって私はきっと騙されて、何度だって誤魔化されて、何度だってこの身体に私は利用されるのだ。
あと何回、それが許されるのだろう。
ねえ、甚爾くん。
シケモクを拾うのは私のメビウスだけにして。
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