渇き




もうずっと喉が渇いている。
その喉の渇きに気が付いたのは、高専1年の終わりの頃だった。
高専では珍しく雪が降り、うっすらと白んでいた時だ。前日の雨の水溜まりが凍り、かなたと任務終わりの傑を待ちながら氷を踏んでいた。ぱきぱきと割れる氷に楽しそうなかなたの表情を見ていると、冬の終わりかけの陽射しは暑すぎるくらいだった。かなたは急いで外に出て来たらしく、真っ赤な頬をそのままにしており、傑の帰りを待っている。

特別な意味は無い。
ただ寒そうにしていたから自分が巻いていたマフラーを貸してやったのだ。体温が移った男物のマフラーに顔を埋め、温かいと綻ぶ。高鳴る心臓に冷水を掛けられたのはその直後だった。

「私、実は夏油が好きなんだよね」

友人としての意味ではない。それは顔を見ていればすぐに分かった。内緒だと、その可愛らしい笑顔で俺に小指を差し出す。冷水を掛けられた心臓はたちまち止まる。そして無性に喉が渇いた。張り付いた喉からは言葉が出て来ず、ハリボテの「へぇー」という言葉だけがこぼれた。

夏油傑は凄いやつだ。
強くて、面白くて、信念があり、これほど真っ直ぐな人間を俺は見たことがなかった。 呪術界という歪み澱んだ世界で、アイツは弱者生存≠ネんてものを掲げていた。眩しい、典型的な善人だ。だからこそ、かなたの目に俺と同じく「光」に映っていたことに全く抵抗は無い。

ああ、そうだろうな。

と納得をしたくらいだった。


「悟、悩みでもあるのかい」

傑がそう声を掛けたのは夏の初め頃。世間では夏休みなんていう浮かれた行事のせいで、俺たち呪術師の任務が増え始めた頃だった。轟く蝉時雨に項垂れていると、傑は蝉時雨に消える程度の声量で俺に声を掛ける。

「は?何でだよ」
「何でもさ。心ここに在らずの時があるだろ」
「ねぇよ」
「あるね」

親友を舐めないでくれよ、と俺と違って少し薄めのかさついた唇が言った。それを言われると俺はどうしようもなく、何でも口にしてしまいそうになる。アイツのことも、なんなら生理現象の詳細まで。しかし言ってどうする、という気持ちがスポーツカーのように駆け抜けた。

「べっつに」
「ふーん?まあ、言いたくないならいいさ」

言えねぇんだよ、ばーか。と心の中で毒づく。でもいい。任務が増えようと同級生と集まって花火をする約束があった。みんなでマリカーをする約束があった。アイツと一緒に飯を食いに行く約束があった。傑とゲーセンに行って取りたい菓子のファミリーパックがあった。

喉の渇きはいくらでも誤魔化せる。
誤魔化して、誤魔化して、だから。

3年の秋、夜蛾センの報告を受けて動揺する俺と泣きじゃくるアイツは高専の入口に立っていた。朝から立ち続け、昼、夕方、夜、深夜になって足が疲労で震え始めてもそれでも泣きじゃくるかなたの横に立ち続けた。喉が砂漠のように渇き、どんな思い出もどんな気持ちも砂に消えた。言葉はなかった。

硝子と俺に会った傑は、どうやらかなたの前に姿を現さなかったようだった。
それが何を意味するのか俺には分からず、ただ10年、遠い目でどこかを見つめるかなたの横に立ち続けた。

「僕って損な役回りだねー」
「教師なんだからしっかりしなよ」

目の前の彼女は女子から女性へと変わった。髪は随分伸び、そのふわりとした香りを撒き散らしながら一括りの髪を揺らす。
誰のせいだよ、とは口にしない。あの日から僕の喉は異様に渇いて、思った言葉ほど口から出なくなっている。言わずが花というが、花が咲いたところで花を摘むのは僕ではない。そもそも、君の涙で喉が渇くなんて。

「詩人かっつーの」





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