伝えられない言葉




学生時代に国語をよく勉強しておくべきだったと思う。

高専時代には一般科目よりも訓練や任務ばかりに意識がいっていたが、やはり学生時代にしか出来ないことはしっかりやっておくべきだったのだろう。そう感じるようになった私は、それ相応に年齢を重ねた。



夏は酷暑を過ぎ、蝉はすっかり鈴虫へ仕事を引き継いでいた。木々が緑色から黄色や赤へと変貌していく日も近い。

この時期の呪霊は水を得た魚のようにうじゃうじゃと蠢き、件数だけでなく等級が格段に上がる季節だ。ゆえに、生傷の絶えない職場である東京呪術専門学校には頻繁に死体が運ばれる。道端に転がる踏み潰された蝉の死骸のように、それは足元に転がっていた。
元より、喪服のような格好で過ごす私たちには相応しくも思える夏の終わり。

非術師はまだいい。しかし、急速な呪霊の成長により等級変更の伝達不足、或いは人手不足による調査不足などで貴重な呪術師を失うことも珍しくはない。最強であり、反転術式を併せ持つ五条悟以外の呪術師はこの季節にピリリとした緊張感を持って日々を過ごす。
それは、最強でない私も同様だ。

人はいずれ死ぬ。

それに向けて準備を怠らないことは人としての礼儀なような気がしていた。少なくともこんなことを仕事にしている、私たちは。
私が今日、この瞬間に死んでも簡単に片付けが済むように。
仲間の手を煩わせることがないように。
彼女が、いつまでも私の荷物を掴んで離さないなんてことがないように。
「お前、そんなの書いてんの」と悟に嫌な顔をされたが、それでも私はインクの掠れたボールペンを握る。元の持ち手の色は黄色だっただろうか。既にその様子が見て取れないボロボロのボールペンには可愛らしい桜のシールが貼られている。それは日に焼けて変色したセロハンテープで補強されていた。握りすぎて少しヒビの入った本体もそろそろ補強が必要だろう。慣れた手つきでインクを変える。インクを多く買っていつかの為のストックにしていた分の物のせいなのか、つきが悪い。
たった三百円かそこらのボールペンを酷使するようになったのは高専の学生であった頃からである。ボールペンを貰ったのは彼女と知り合った最初の誕生日で、酷使するようになったのは灰原が死んだ後からだった。

「夏油も、私を置いていくのかな」

そんなわけないだろ。
私はそう伝えたはずだが、彼女は下唇を噛んで俯いた。「五条さんだけでいい」と言った七海と同じ顔をしていた。きっと、ほんの一年前の私であれば大丈夫だと笑って彼女を抱き締め、頭を撫でて背中を叩いたのだろう。



雨が降っている。ザァーっと窓を叩く。秋雨前線が猛威を奮っている。雷鳴轟く曇天の薄暗さが部屋を包んでいた。どれだけ明かりをつけても薄暗い部屋の中で真っ白な紙と向き合い、逡巡するペン先を紙につけた。……いつも言葉が見つからない。言いたいことは決して多くない。しかし、理由はそこではなかった。
こんな私に手紙という形で告白される彼女の横顔をいつも考えるからだ。
俯き、噛んだ下唇をあの綺麗な髪で隠すのだろう。彼女に読ませないことを伊地知にでも伝えておくことも考えたが、それでもこの手紙を開くのは私の中で大きな存在の小さな手が良かった。触れればいつだって熱いくらい温かい彼女の手が良い。
それを思えば思うほど、やはり何を綴れば良いのか最適解が見つからない。

毎年この時期に更新する───────遺書。
私のこの思いは、呪いだ。

危険なことを続けないでほしい。
二人の写真で埋め尽くされている私のアルバムは見ないで捨ててほしい。
……私を置いて、幸せにならないでくれ。

「いや、逆だろ……」

自嘲するとペンがみしりと鳴った。
毎年更新したところで書くことにあまり変化はない。書き出してしまえば、手慣れたものだ。数少ない変化を言うなら、ここ数年の遺書には『好き』という二文字は書かれていない。そんな言葉はいけない。おそらく、この世にそれ以上の呪いはないからだ。
それでも彼女に何か思いを伝えたいという気持ちが薄れることはなかった。十年薄れることのない思いは全く風化されず、立派でもないが大人になっても校内で会えば会うほど気持ちは膨れ上がる。その度に爪が食い込むほど強く拳を握った。揺れる髪に手を伸ばしたくても、
「絶対に君を置いていかない」と断言できない私にはその資格がない。

だとするなら、やはり私は国語の勉強をしておくべきだった。彼女に伝わらないようにこっそり思いを残しておくような手段を見つけなければならないのだ。悟が以前、勉強は大事だと言っていたがアラサーにもなって痛感するとは思ってもみなかった。だが、学生時代から私は感想文は苦手であったし、相手に「こう応えて欲しいのだろう」と合わせるのが得意で、自分の気持ちを文字にするのは苦手だった。

毎年書き直しているこの遺書は、前年の物を焼き捨ててから書いている。
一年目は非術師への恨み言、
二年目は周囲への感謝、
三年目はどうしようもない彼女への告白。
確かその年は便箋を八枚も使った。そんなことがよくも今まで続いたものだと思う。
彼女への思いも含めてだ。
きっと今書いているこの遺書とラブレターの中間のようなものは来年の私が焼き捨ててくれる。毎年そうであるように。

でも。もし、万が一。
万が一が起きて、君ともう並んで歩くことが出来なくなることが来るなら。
私が地獄へ堕ちていくというのなら。
彼女が他の男に慰められてしまうのなら。

もし、遺書を書かなかった世界線があったとしよう。
そしてその世界線の私が今の私のように彼女への思いを伝えることなく、また、断ち切ることさえ出来ずに死んだとしよう。そんな私が最期に思うのは、やっぱり君のことで。
だめだ、呪ってしまう。どうしても。

止まっていたペン先が、一度書かないと決めた言葉を付け加える。新品なのに掠れたペン先が薄く文字として紙に乗った。

机の一番上の引き出しに遺書をしまいこんだ。鍵をしっかりと掛けてから、その鍵を合皮のコインケースに入れた。安物のコインケースには高専時代に四人で撮ったプリクラが乱雑に貼られている。悟と硝子に挟まれて顔が近い私と彼女の笑顔はぎこちない。
顔を互いに赤らめた青い春。
思いも遺書も鍵も全部全部小さなコインケースにしまいこんだ。
コインケースをポケットの奥にしまいこみながらこの後の予定を考える。

この後の任務は特級案件が続くらしい。悟だけでは純粋に頭数がたりないのだそうだ。帰ったらシャワーを浴びて、久しぶりに彼女を食事に誘おう。偶然を装って、自然に。
ああ。どうか。
今年もこの遺書という名のラブレターを君が開くことがありませんように。









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