夜十夜




こんな夢を見た。

ガタンガタン、と電車が揺れている。車内に人はいない。ただ膝の上に大人しく拳を乗せている私と立ったまま微笑んでいる男がいた。男は微笑みながらもう死ぬよと言う。男は長くてしっとりとした艶のある黒髪を一つに束ねて纏め上げていた。車窓からの柔らかな光を反射する黒い制服。ただ一人だけ昔の白黒映画から飛び出してきたかのような色のない男の唇には色がついている。喋れば口内は健康的な赤色であり、濡れた唇はとうてい死にそうには見えない。しかし男は静かな声で、もう死ぬんだとはっきり言った。私も確かにこれは死ぬなと思った。理由は呪術師としての勘とも女の勘とも、はたまた風が吹いたからとも言えた。そこで私は、そうなんだね、死ぬんだね。と下から覗き込むようにして男に聞いた。そうだよ、死ぬよ、と男は答える。ガタン、と車内が揺れれば揺れる黒髪のひと房は前髪だ。ゆらり、ゆらりと揺らしながら男は目を開いた。細くて小さな瞳で、黒々とした睫毛に包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。その真っ黒な瞳の奥に、私の姿が鮮やかに浮かんでいる。

私は澱んでいるようにも、逆にどこまでも透き通っているようにも見えるこの黒い瞳の色艶を眺め続ける。瞳の中で光と影が流れていく。これでも死ぬのか、と思った。そう思いながら男に手を伸ばすと、男は屈みながら私の手のひらの中に顔をおさめた。男が甘えるように顔を私の手のひらにすりつける様子を見ながら私は、本当に死んでしまうの。本当なの、と先程より感情的に聞いた。すると男は目を見張ったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんだよ、仕方ないさ。と言った。
やめてよ、私の顔が見えてるのと思わず声を大きくして聞いてしまう。見えてるの、ってそりゃあさっきから君のことしか目に映っていないのは君も分かってるだろう、と男は眉を下げて笑ってみせた。私は黙って、彼の顔から手を離した。模範的な姿勢を私は崩して、腕を組み考える。どうしても彼は死ぬのかと。

電車が速度を落とす。車輪が金属とぶつかって起きる金属音がして、彼が口を開いた。
「死んだら、私を埋めてくれ。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて欲しい。そうして墓の傍で待っていて欲しい。また君に逢いに来るから」
私はいつ逢いに来てくれるのかと聞いた。
「日が出る。それから日が沈む。それからまた出て、そうしてまた沈むんだ。───────赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、───────君は、待っていられるかい」
私は黙って頷いた。男は静かな調子を一段張り上げて、「百年待ってくれ」と思い切った声で言った。
「百年、私の墓の傍で座って待っていてくれ。きっと逢いに来るから」
私はわかったと言った。ただ待っている、と言葉を付け加えた。すると、黒い瞳の中に鮮やかに見えた私の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、男の目がぱちりと閉じた。
電車が駅に到着する頃には、男は私の膝の上にその頭を乗せて崩れていた。黒い睫毛の間から涙が頬へ垂れた。───────もう死んでいた。

私はそれから彼の身体を引っ張って電車を降りた。気付けば外はすっかりと闇に包まれていた。星の光と雲に包まれている月の僅かな光を頼りに彼の身体を引き摺って進む。駅の前は大海であった。彼の先程の言葉を思い出し、一つ貝を拾う。真珠貝である。荷物と彼を下ろして穴を掘る。真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。土を掬うたび、貝の裏に月の光が差してきらきらとした。潮の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。彼の大きな体躯を包むだけの穴を掘ることは難儀だったが苦ではなかった。男をその中に入れる。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片が落ちたものを拾って来て、軽く掛けた土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。
私は墓のすぐ隣にある岩壁の麓にある石の上に座った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、手を組んで口元に当てながら即席の墓石を眺めていた。そのうちに、男が言っていた通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた男の言った通り、やがて西へ落ちた。赤いままそっと落ちて行った。一つ、と私は数えた。
しばらくするとまた唐紅のお日様がのっそりと上ってきた。そのまま黙って沈んでしまった。二つ、と数えた。
私はこうして一つ二つと数えて行くうちに、赤い日をいくつ見たか分からなくなっていた。数えても、数えても、数え切れないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年はやって来ない。しまいには、私が座り続ける石の端を眺めて、私は男に騙されたのではないだろうかと思い出した。

すると石の下から斜めに私の方を向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなって丁度私の膝小僧ほどに伸びた。と思うと、すらりと揺らぐ茎の頂きに、細い袋が揺れていた。注視すれば、その袋はたちまち膨らみ、花弁を開いた。黄色い水仙の花が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。そこへ遥か頭上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでゆらりゆらりと動いた。
私は首を前に出して冷たい露の滴る、黄色い花弁に口付けを落とした。私が水仙から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時初めて気が付いた。




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