トマトスープ



「強くなるの!」
「強く?」
「うん!美々子も菜々子も夏油様のお役に立つの」

小さな身体が朗らかに笑った。
その小さな身体にはところどころ傷があり、そこを追求した際に宣言された言葉だった。
訓練をしているのだと言う。
その小さな身体で。
傑くんに同じだと言われていることで、年齢が一回り違うにしても彼女たちから私は同等に扱われ、まるで姉妹のようだと傑くんは笑った。
それが12月25日のクリスマスだった。

クリスマス、傑くんは私に美々子ちゃんと菜々子ちゃんを託して雪がちらつくイルミネーションへと消えた。可愛い姉妹が言うには、呪術師はこういった人の思いが集まりやすい行事ごとの際には忙しくなるらしい。
なるほど、分からないでもなかった。


煌びやかなイルミネーション、浮き足立つカップルに賑やかな家族。プレゼントなんてテレビでしか知らない都市伝説のようなものだった私も、幼少期にはそれなりに思ったような記憶がある。『普通の家に生まれていれば』なんて無意味な願いを。
クリスマスなんてものは両親がお洒落をしてバラバラに出掛け、数日戻ってこない恒例行事のある日というイメージしかない。当時は居なくなる日。今思えば外に恋人がいるのだからそこで乳くりあう愛の溢れた日だったのだろう。

たまに食料が用意されないことがあった。純粋に私を忘れていたのだろうが、残念ながら親の頭に私は居ずとも私は存在していた。ひもじくてかじった玉ねぎの辛さに吐いたのは6歳の頃だった。



呪霊。人の負の感情が集まり、次の負を産む呪いが蓄積し形を得たもの。その中に私のあの日の気持ちの一片くらいは含まれているのだろう。傑くんはその呪霊を祓う呪術師なのだという。傑くんは何も言わなかったが、美々子ちゃんと菜々子ちゃん曰く『すごい呪術師』らしい。息を巻いてそのすごさを語る2人と共に初めてのクリスマスケーキにフォークを刺した。メニューはシンプル。チキンバーレルにクリスマスケーキ。
これが正式な祝い方なのだと傑くんは言っていたが、きっと適当吐いてるのは流石の私にだって分かっている。それでも傑くんが笑うものだから、私も笑って美々子ちゃんと菜々子ちゃんを抱き締めた。


1つ足りないオセロの石。
曲がってしまって、どれがどれか分かってしまうトランプ。
剣が妙に多い黒ひげ危機一髪。
傑くんが美々子ちゃんと菜々子ちゃんと共に私に託したおもちゃはどれも使い込まれていて、姉妹は楽しそうに遊ぶ。年季の入ったおもちゃは、きっと傑くんの物なのだろうが、誰と遊んでいたものなのだろう。

傑くんがおもちゃで遊ぶ姿があまり想像がつかなかった。低空飛行の黒ひげに文句を垂れる姉妹の向こう側でちらつく雪。もう夜になる。時折風が窓に雪を叩きつけているのを見て、私はカーテンを閉めた。
クリスマスカラーの片棒を背負う深緑のカーテン。クリスマスツリーはないけれど、午前中に3人で折り紙を折ってカーテンに飾った。まるでツリーみたいだね、と笑って初めて人と一緒に写真を撮った。すかさず3人で撮った写真を待ち受けにする。出来れば傑くんも一緒に4人の写真に変えたい。
でも満面の笑みの姉妹に挟まれて困ったようなむず痒いような笑みの私を見るのは初めてだった。自分なのに自分じゃないみたい。

「かなた!夏油様いつ戻ってくるかな」
「どうかなぁ……夕飯食べる?」
「夏油様待つ!ね、美々子」
「うん。かなたはお腹すいた?」
「ケーキ食べたから大丈夫だよ」

姉妹と会っているのはこれで2回目。
しかし、私が食べるのが好きだという認識を持たれているらしい。
姉妹は普段、東京呪術高等専門学校の寮で保護されているのだという。生活もそこそこ管理されているようで、月に2回傑くんに会うという目的のみでの外出を許されている。傑くんが大好きな2人に不満が無いわけではないらしいが、強くなればきっと環境は変わる。そう信じて日々を過ごす幼い2人。
もう充分強いよ、と伝えたら2人は笑った。

果たして、こんな2人と私が似ているのだろうか。ねえねえ、次はオセロやろうよ!と私の腕を引っ張るこの子たちみたいに、私にもっと可愛げがあって健気だったら、もっと変わっていたのだろうか。
脳内にちらつくは赤。
部屋を埋め尽くす赤、燃えて眼球を染める赤。
怒号はもう飛ばない。
私を責めているのは私だ。
バン、と風が窓を叩く。しっかりしろ、と言われているような気がした。


これからなればいい。
これから強くなっていけばいい。
眩しい傑くんと、この姉妹と、私は並びたい。一緒にいたい。

「かなた?」
「大丈夫?」

丸くて小さい綺麗な目が私を覗く。
安心させるように2人の頭を撫でると2人は目を細くして緩やかに口角を上げた。

「うーん、スープ作ろうかな。スープなら食べる?」

食べる!2人の元気な声が返ってきた。

「でもオセロは?」
「……ごめん。あの、やっぱりお腹すいちゃって……」

けらけらと2人が笑う。
かなたは仕方ないなぁ!と、なんて温かい笑いなのだろう。上も下もない、隣から聞こえる笑い声が擽ったくて私も笑った。
温度高めの暖房で顔が僅かに赤らむ2人の頭をがしがしと撫でて、キッチンに立った。
チキンバーレルは傑くんが帰ってくるまでの待機。合わせて食べられるものにしよう。

キッチンに立って唸っていると、僅かに上着を引かれる感覚。
美々子ちゃんと菜々子ちゃんが私にバーレルのパックを差し出していた。

「どうしたの?」
「かなたお腹空いてるなら、1個なら内緒ね」
「秘密」

恥ずかしい。
バーレルを受け取ると、腹の底をくすぐる魅惑的な匂い。私は控えめに1個だけ受け取って、決めた。

「このチキン、スープにしよう!」


今回は美々子ちゃんと菜々子ちゃんが来るのが分かっていたので事前に買い物をした。塩コショウも。かと言ってアレンジレシピなんて私はしたことが無い。
冷たいフローリングにいちいち驚きながら冷蔵庫を覗く。
玉ねぎ、にんにく、キャベツ。
ふと、先日のタイムセールを思い出した。65円のトマト缶。
トマトスープ。いいんじゃないだろうか。

チキンは荒く肉をほぐして、にんにくをみじん切り。キャベツは1枚めくって適当にちぎる。小鍋でチキンを煮て、アクを取ってからにんにくを投入。弱火にしてから、姉妹と7ならべをして負ける。3回戦までしっかり負けてから玉ねぎとキャベツを加えて、トマト缶の3分の1を入れる。また少し煮てから塩コショウで味を整える。
しかし、今日の私はここで終わらない。
傑くんから分けてもらった武器を投入する。
……粉チーズだ。美味しい。これは美味しい。
私が粉チーズのフィルムを剥がしていると姉妹が小鍋を覗き込んできた。
美味しそうだね、ね、と囁き合う2人に私は少ししたり顔だ。

粉チーズがぐつぐつ上下し始めてから火を止めて、マグカップに注ぐ。酸味が先に来て、その後チキンの油の匂い。
傑くんの分が少し少ない気もするけどそこはごめんね、と心で謝ってから姉妹にスープの入ったマグカップを渡した。
マグカップを置いてから、わいわいと謎の踊りで喜ぶ2人。私もそれに合わせてゆらゆら揺れながら3人でテレビの前に座った。
ふーふーと冷ます吐息が三重奏。

うーん、美味しい。

初めてにしては上出来なのではないだろうか。私が喜ぶことを知った姉妹は私に賞賛の拍手を鳴らす。賞賛に賞賛で返した。
美味しく食べてくれてありがとう。
傑くんもこんな気持ちなのだろうか。
少しずつでも、私も頑張るね。



シャワーを浴びて天井に上る湯気が3つ。うとうとし始めている姉妹は懸命に目を開けるが、未だに傑くんが帰ってくる気配はない。
傑くんにいつ戻れるのかうかがうメッセージを送って、傾斜がなだらかになって崩れていく2人を受け止めた。
1人ずつ抱えて布団に並べる。2人が向き合っていつでもその手を握り合えるようにそっと横たわらせる。
小さな右手と左手を重ねさせて、顔のぎりぎりまで布団をかけて。
早く帰ってきてね、傑くん。




ガチャガチャ

硬質なドアノブの音で意識が浮上した。
姉妹の手に重なるように眠っていたせいで腰が痛い。傑くんは鍵を持っていない。寒い中急いで室内に入ろうとしているのだろう。
早く温かい室内に迎え入れなければ。
腰を擦りながら立ち上がり、玄関に向かうと玄関の扉が開いた。

温かい部屋に雪が舞い込む。強い風に一瞬で目が乾いて目が開けられない。しかし、その一瞬で見えた姿は傑くんではなかった。
刺すような寒気が温度を奪う。
次の瞬間、強く髪を引っ張られて頭皮を剥がされるような痛みで目を開けた。

「あの女どこ行った」

痛みが頭皮から全身に渡って痛いと口から漏れる前にみぞおちに強い衝撃。内臓が口から溢れ出そうな圧迫感。痛い。怖い。
ぼろぼろと溢れる涙で視界が歪む。
私の視界で揺れるその姿は父親などと名乗る生き物だった。

「あの女は?お前のとこに行ったきり戻ってこないぞ」

母親のことだろう。
ゆっくりと閉まる玄関の扉。懐かしい感覚だ。痛くて冷たくて苦しい。
途端に込み上げる胃酸が食道を通って口から溢れる。折角作ったトマトスープ。美味しいと言ってもらえた言葉。受け取った温度が冷たいフローリングに逃げていく。
父親は汚いとそれを罵って私の頭を掴んだまま部屋を進んだ。やめて、やめてよ。
美々子ちゃんと菜々子ちゃんが起きちゃう。

「おい!クソ女!家のことくらいしろ!」

いない。もうあの人はいない、と言いたいのに声が出ない。出さなきゃ。私は美々子ちゃんと菜々子ちゃんよりお姉ちゃんなんだから。傑くんに2人を任されたんだから。

頭を掴む父親の手に爪を立てて引っ掻く。すぐに罵倒と共に私の身体はテーブルへと飛んだ。ガシャンともバタンとも聞こえる騒音。
目の前に皆で食べるためのチキンが転げ落ちた。テーブルの脚が私の腰と左腕に直撃して鈍く痺れる。鼻から溢れた血と口の中の胃酸が混ざって口の中が気持ち悪い。その味の悪さに嗚咽が止まらない。

「……誰だこのガキ」
「やめ、て」
「おい起きろクソガキ」

父親の足が姉妹に振り下ろされる。
やめてよ。やめてよ。

強くなるの。
美々子ちゃんと、
菜々子ちゃんと、
私の3人。

傑くんに助けてもらって、だから。






強くなるの。






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