オムライス






僅かに赤が残るシーツを洗濯機から救い出して抱いた。視界の輪郭が赤く縁取られて責める声が埋めていく。私が直接殺していないとしたとして、だとして、という話なのだ。もう茶色く変色した赤が視神経を通って鮮やかな赤に脳内変換される。後頭部が酷く痛む。

早朝、朝、昼、昼過ぎ、夕方、夜、真夜中。
ぐるぐるぐるぐる世界は回り続けていて、何事も無かったかのような世界が憎い。
手を伸ばせば触れられそうな青の先の白が憎い。青を遮る優しい緑が憎い。
世界を回し続ける自分が、憎い。

変われる気がしていた。この小さなアパートの一室で私の世界は変わっていくと確信していた。その先に毎日底辺の泥水を啜るような日々が変革されるような事がある、と。
傑くんを見ていればきっとそうなる、と。
でもそうはならない。


傑くんと顔を合わせずに2週間が経とうとしていた。冬休み目前、試験期間だ。顔を合わせないようにすると案外簡単で、あの優しい微笑みは随分記憶の引き出しの奥に仕舞われている。埃まみれのその記憶に触れるのが怖い。当事者である私でさえ、ノロイの存在が信じ難いというのも正直ある。
分からないことだらけで何度も頭を抱えているうちに朝を迎える。そんな日々だ。

そんな心情なのに隣の部屋からの物音を聞くのがどうしても出来なくて付けっぱなしのぼろぼろのイヤホン。傑くんと初めて会った日から付けていなかった。所詮私は変われていない。


少しだけイヤホンを外して、洗面台と向き合う。鏡と向き合う自分は隈も酷ければ目も半分くらいしか開いていない。顔色は悪く、なんだか唇は血色がなかった。みすぼらしい姿だ。
いつものように桶に水を溜めて顔を洗う。

ふと、桶に顔をつけたままにしたらどうなるのだろう、と思った。黄色い小さな桶いっぱいいっぱいに顔をつける。10秒を超えた辺りで私は思い切り身体を跳ねあげるように洗面台から離れて思い切り壁に腰を打ち付けた。いくら咳き込んでも情けなさが私の口から出ていってはくれなかった。
傑くんだったら何て言うだろう。
『暗いね』
そう言って笑うのだろうか。


────ピンポーン


久しぶりに鳴るベル。

いつもの宗教勧誘か?と思いながらドアスコープを覗く。姿がない。悪戯かと思った瞬間、もう一度鳴るベル。どうやらドアスコープで覗けない場所に相手はいるらしい。
もうどうでもよくて鍵すら掛けていないドアを開けた。4つの目と目が合った。

「お姉さんがかなた?」
「菜々子、挨拶」
「あ、こんにちは」
「……こんにちは」

小さな女の子だった。2人とも肩につく位の赤褐色の髪。1人は肩掛けのカバンを、もう1人はゆるいぬいぐるみを抱いていた。
何故この子たちが私の名前を?そもそもこの子たちは?と疑問が尽きない。

「夏油様いないの。あがって待っててもいい?」
「お外、寒い」
「え、あ、うん!あがって!」

子どもの寒い、という言葉につい2人を迎え入れてしまった。私はなんだか昔から小さな子どもに弱い。子どもは靴をしっかり揃えて置いてから部屋に足を進めた。

「部屋の中寒い?エアコンの温度上げようかな……あ、電気ストーブの前座っていいよ」

小さなありがとうが重なって帰ってくる。
リモコンでエアコンの設定温度をここまで上げるのは初めてだ。ピピピとたっぷり28度。しかし子どもの世話なんて全くしたことがない為に戸惑いは消えない。というより落ち着かない。

「あのね、私菜々子」
「私は美々子」
「菜々子ちゃんと美々子ちゃんか……」
「うん、夏油様に会いに来たの」
「……夏油様って、その、傑くんだよね?」

2人が頷く。傑くんの妹だろうか?しかしその割に似ていない。まぁ兄妹なんてそんな……いや、待て。

「菜々子ちゃん、美々子ちゃん苗字は?」
「……」
「……」

沈黙。

「えーっと……傑くんとはどういう関係かな?」
「夏油様は私たちを救ってくれたの」
「神様みたいな」

神様。なんて大袈裟な、なんて思うと同時に、下手に親が違う兄妹と言われるより納得してしまった。私だって大概変わりのないものだ。頼りきって、望んで、そして勝手に突き放して随分なノータリンだ。

2人は身体が温まってくると少し元気が出てきたのか、夏油様いつ帰ってくるのかな?10秒後かな?なんてきゃっきゃと話し始める。私も傍から見るとこう見えていたのだろうか。実年齢と精神年齢の齟齬があるのは私自身自覚がある。泣いて喚いて、ご飯を食べれば機嫌をなおして、何も出来ない。

そういえばご飯、最後に食べたのいつだっけ。と思うのと、小さな身体から空腹を訴える大きな音がしたのはほぼ同時だった。私がそれを見ていると気付くと2人は顔を赤くしながらすぐにお腹を押さえた。可愛らしい。2人はわたわたする、のかと思いきや私に空腹がバレたのなら仕方ないと開き直ったのかお腹すいたー!と騒ぎ始めた。

そう言われてもなぁ、と思っても空腹の子どもをそのままにしてはおけない。悩みながら冷蔵庫を覗く。
常備されているたまご。ふと期限を見ると消費期限が今日。これだ。
あとはこれまた消費期限が今日のウィンナーと、玉ねぎ1つ。ケチャップ……はある。決まりだ。

「ねえ、菜々子ちゃん、美々子ちゃん」
「なぁに?」
「ご飯あるの?」

まずった。ご飯あったっけ。ご飯を今から炊くのは時間掛かるし……と思いつつ、冷凍庫を覗く。少量の冷凍ご飯。マッキーで書かれた日付はそんなに古くない。これを使うか。しかし物足りない。
正直悩む。悩む、が、2人が目を丸くしながら私を見ている。今更ご飯は1時間後かなーと言うのには抵抗がある。というか言えない。悩んだ末に非常食を引っ張り出した。
大学に行く時に使うカバンの底に忍ばせてあるチンご飯。傑くんからおかずを分けてもらってご飯にしようという下心入り。

「オムライスにします」

2人は喜んで手を叩いた。

私がキッチンに立つと2人は私の背後に立って熱い視線を送ってくる。やりづらい。非常にやりづらいが、正直私もお腹がすいた。あんなに無かった食欲が嘘のようにこみあげてくる。
気合いを入れてキッチンに立った。

ウィンナーは薄切り、玉ねぎはみじん切り。
玉ねぎって本当に料理の敵だ。
玉ねぎと奮闘する私に美々子ちゃんがハンカチを貸してくれた。
けろけろけろっぴなんだね。お姉さんちょっと意外だよ。

その間に冷凍ご飯とチンご飯をレンジにぶち込んでおく。レンジがチン、と高い音を知らせてくれる前にフライパンに火をかける。
私は未だにこのフライパンの温まったら、というものの程度が分からない。勿論我が家にバターなんて上等なものがあるはずも無い。えいっとサラダ油を投入。しゅわしゅわと音がしてきたのと同時にレンジが私を呼んだ。菜々子ちゃんと美々子ちゃんが私の足に着いてくるのをむず痒く感じながら3人でぞろぞろと右から左、左から右へ。
温まったフライパンにウィンナーと玉ねぎを投入。少し弾ける玉ねぎが苦手。炒めて塩コショウ……はきれてた。無いよりはマシだろうと塩コショウのパッケージを逆さまにして限界まで叩き出す。ぱらぱらとなんとなく、なんとなく出た気がする。
そこにケチャップ投入。落ち着いてから熱々のご飯をケチャップの海に大胆に飛び込ませる。どうかびちゃびちゃになりませんようにーと願いながら炒める。美味しく出来ますように、と私が口にしていたのか、足元の菜々子ちゃんと美々子ちゃんも「美味しく出来ますようにー!」と祈ってくれた。

我が家にフライパンがそう何個もあるわけがない。一度フライパンの中のケチャップライスを皿によけて、たまご作りだ。
残りのたまごは4つ。3つオムライスを作るには心もとない……が、仕方ない。
全て割り入れて、塩コショウの蓋を取ってスプーンでこそぎ落として入れる。我ながらみなんてすぼらしいんだ。そして水をほんの少し。そして必殺、マヨネーズ!これがあればなんとかなるだろうという頼りっぷり。

そうして出来たオムライスはやっぱりたまごが足りなくてケチャップライス丸見えという、頭隠して尻隠さずオムライスだった。
ごめんね、と言って2人にお皿を差し出したが2人は目をきらきらとさせて熱々のオムライスをすぐに口に運んだ。

「おいしい!」

にこにこという効果音が2人から溢れる。
こんな貧乏オムライスでもどうやら喜んで貰えたらしい。2人より小さい自分のオムライスも口に運ぶ。うーん、塩気が足りない。
自分のオムライスに不満を感じながらも空腹には勝てない。あっという間に私がたいらげた後も2人は小さな口で一生懸命食べていた。そんな2人を見る私の視線に気付いた菜々子ちゃんがスプーンを私に差し出す。

「あーん」
「え、いいよいいよ」
「あーん!」
「……あ、あーん」

子どもからご飯を巻き上げるなんて、と思いつつ菜々子ちゃんの後に美々子ちゃんがしてくれたあーんにも素直に従ってしまった。

「優しいね、2人とも……」
「かなたは私たちと同じだもんねー」
「うん、同じ」

同じ。そういえばこの2人は何故私の名前を知ってるのだろう。順当に考えれば傑くんが教えていたとしか思えないが。

「夏油様がね、私たちと同じようにいっぱいいっぱい頑張った子がお隣に住んでるんだって教えてくれてたの」
「だから会ったら仲良くしようねって2人でお話してた」

え?漏れそうになった声は玄関からのベルの音に飲み込まれた。
私は跳ねるように立ち上がってドアスコープを全く見ることもなくドアを開けた。

「やあ」
「傑、くん」
「美々子と菜々子がお邪魔してないかな」
「あー、オムライス食べてるよ」
「いいね」

夏油くんの久しぶりの笑顔が涙腺を焼く。
私を子どもたちになんて伝えていたの。
ねえ、傑くん。

傑くんは勝手知ったるかと私の部屋にあがって、夏油様!!と声を浴びていた。今にも飛びつきたいのだろうが、そこはしっかりオムライスを食べきってから傑くんに抱きついていた。

「お邪魔したね」

その言葉に美々子ちゃんと菜々子ちゃんがありがとうございました!と元気に言う。
そしてまた遊ぼうね、と言ってくれた。

「傑くん」

傑くんが私を振り向く。

「私、変われるかな」
「どうかな。でも、うん、きっと」

美々子ちゃんと菜々子ちゃんの頭を撫でた大きな手が私の頭を撫でる。大きくて温かくて優しくて。大きな背中と大きな手、優しい笑った顔。

「かなたは変われるよ」

私は元気に返事をしたつもりだったけど、また菜々子ちゃんからハンカチを差し出されてしまった。









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