にんじんのきんぴら





キッチンが寒いので小さなファンヒーターを延長コードで伸ばして足元に置いた。
おじさんが買った少し大きめのファンヒーターは位置に気を付けないとふくらはぎの膨らみだけじりじりと焼ける感覚がするので、微調整をして冷蔵庫に向かう。

にんじん、糸こんにゃく、小松菜、きゃべつ。にんじんは先日の残りで半分にカットされた物を使う。傑くんにオススメされて買った百均のピーラーでにんじんをむいていく。本当はゴボウもあったら良かったのだが、にんじん三本85円に釣られて買っただけなので仕方ない。

赤くない部屋を一瞥してから、にんじんに視線を戻した。にんじんをピーラーで薄く剥いたものを包丁で食べやすいサイズに切る。
糸こんにゃくも水を切って食べやすいサイズに切る。……何か忘れている気がする。
にんじんのきんぴらは傑くんが教えてくれたメニューだ。私は延長コードに足を引っ掛けないようにしながらテーブルの上のメモに手を伸ばした。汚い私の文字と違って、綺麗な羅列の文字たち。にんじんを切る項目の前後に目をやると、こんにゃくを下茹でする、とあった。なるほど。
急いでケトルに水を注ぐ。触れる水が冷たいこと冷たいこと。カチッとスイッチを入れて、お湯が沸くのを待つ。きっと傑くんはもっと手際よくやるのだろうけど、私にはなかなかそれが出来ない。女性の方がマルチタスクらしいが、私にはあらゆる女性らしさというのが欠けていた。

きんぴらの次は小松菜とキャベツを適当に切る。それからしまってあったツナ缶の登場。


あの日から1週間が経過していた。
私はそれからなんとなくお肉を避けていて、野菜か缶詰に頼っている。あとは救世主たまご。煮てよし、焼いてよし、勿論そのままでもよし。まさかたまごがこんな優秀な食材だとは思ってもいなかった。

ツナ缶の缶詰を洗って捨てようとした瞬間、ピリッと右手人差し指に痛みが走る。赤い一筋が真っ直ぐ伸びている。幸い、大した怪我ではないが母親の裂けた腹部とリンクする。開いた人差し指から臓器がまろみでるような気さえする。
忘れたくて目を閉じるが、その度により鮮明に母親のカタチが黒の中で赤く浮かび上がり、私にのしかかってくる。声は聞こえない。

そりゃそうだ、死んでるもん。

私は冷蔵庫の中のご飯をレンジでチンして朝食にし、昨日お弁当に詰めたご飯の横におかずを詰めて大学に向かった。



秋は冬へと姿を変えつつあるのを感じる。
風に吹かれてあちらこちらへ彷徨う枯葉が乾いた音をたてているのを見ると、なんだか寂しくなった。

『秋深き 隣は何を する人ぞ』
なんて句に共感してしまう。しかし、それはまた別の意味で今の私と共通している。
隣、つまり傑くんを今日は調べる日なのだ。

あの日のことを全く無かったことにしてしまう彼が一体何者なのか。

薮蛇かもしれない。例えば彼が反社会的勢力の人間などだとしたら、私の行為はかなり危険だ。だとしても知りたい。知らなければ私の気はおさまらない。
そうでないと私はおちおちお肉を食べられないような気がするのだ。私があの赤い部屋と向き合うには、夏油傑という人物が必須だった。

少し早足で大学への道を進むと、目線の先に黒いMA-1とオーバーサイズのデニムを着たハーフアップの背中が見えた。傑くんだ。彼の大きな足は迷わず大学へと進んでいる。私は一定の距離を保ってそのハーフアップの髪が風で揺らめいているのを見守る。

知る、というのは案外難しい話で、傑くんがお肉が好きで、カジュアルな服装が好きで、倫理の授業が気に入らなかったことは知っている。知っている面、知らない面。人間は多面的過ぎて相手を知るにしても何から知ればいいのか全く分からない。
とりあえず尾行という考えに至った私も、尾行して彼が分かるのかと聞かれたら確証も何も無かった。



1講目の講義、に彼は出ない。
大講義室を通り過ぎた先にあるテラスの端の席で何か本を読んでいる。テキストかもしれないし、雑誌かもしれない。流石に本の中身までは分からなかったが、たっぷり80分彼はそこでコーヒーを飲みながら過ごした。あと10分もすれば講義が終わってテラスに人が増えるだろう。その前に彼は動き出してテラスを後にした。自然に私もテラスを出る。
階段やエスカレーターを使って南棟へ。南棟の三階、普通の教室だ。
今度こそ講義、かと思いきや人気は皆無。彼はそこでずっと携帯を弄り、誰と口をきくこともなく過ごした。
3講目、4講目は参加していたが、あの微笑みが繰り出されることはない。

勝手に、あの優しい微笑みはコミュケーション能力の高さを語っており、友人関係は潤沢なものと思っていた。
しかし、彼は誰とも口をきかない。
おそらく、ずっとだ。誰も彼に声を掛けないところを見るとそうなのだろう。

4講目終わりの直後、講堂の1番後ろに座っていた私の携帯が僅かに震えた。傑くんだ。

傑くんからはちゃんとお昼食べた?との内容だ。そういえば彼がお昼にカツカレーを食べるところも尾行に夢中でお弁当を開いていなかった。もしかして。

携帯から顔を上げると、最前列に座っている傑くんが小さく手を上げた。僅かにゆらゆら揺れるその右手は「分かってるよ」と言いたげだった。


「理由は?」
「えーーーっと」

傑くんが何者か知りたくて、というのは言ってもいいものなのか。
私が憂慮していると、傑くんの大きな手が私の頭に乗った。じんわりと熱が伝わる。

「帰ろう。今日は鍋の気分なんだ」

一緒にどうだい?という言葉に私は迷わず頷いた。私の勢いに傑くんは思わず笑って、お腹を抱える代わりに左手に持っていたカバンを落とした。私が謝罪しながら拾うと、彼も謝罪しながら受け取った。

落としたカバンから溢れ出た赤。
私は見ないふりをした。
でも分からない。分からなかった。
なぜ傑くんのカバンから。


赤い。






赤い、血にまみれた私の服が。




×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -