浅草発地獄行き



今朝届いた茶封筒を握りしめながら私は電車に揺られていた。昼前の地下鉄銀座線は黒スーツの海に沈んでいる。
誰も彼もが無関心な顔をして揺られている箱の中で、こっそり呪霊を祓ってホームへ流れ出た。日本語が分からないのであろう外国人観光客に何度もすれ違いながら改札を出る。浅草はいつも賑やかだ。

陽射しで焼けるような道を進み、開けた場所は船着場。並ぶ屋形船を確かめながら握り締めていた茶封筒を揺らした。カサカサと中で紙が動く。
出航準備をしている屋形船の前に着き、茶封筒を遠慮なく破く。
乗り場に立つ女性に茶封筒から取り出したチケットを渡して名前を伝えた。

「夏油です」

にこりと微笑みで返された私は恐る恐る船上へと足を踏み入れた。
30人は乗り込みそうな屋形船の内部に人はいない。クーラーの効いた船内でずらりと並んだテーブルのど真ん中を陣取る。
ギラリギラリと水面が僅かに揺れる度、光がうねるように反射していた。
白く反射していた光が小刻みになり始めたかと思えば、エンジン音が船内を揺らす。

戻ってくるのに大体2時間といったところか。
カバンから取り出した手鏡で化粧を直している頃に船は周囲に何も無い穏やかな場所を漂っていた。屋形船は非現実な体験が出来ると謳い文句があったことを思い出す。
確かに呪霊のいない都内というのは珍しいものがある。

その時、がくん、と僅かに船が沈んだ。
車の助手席に誰かが乗ったような重みを感じる数cm。

「やあ」

船首に通じる扉からひょっこり顔を出したのは犯罪者の同級生だった。
ヤツは貼り付けたような笑みをたたえながらたった2人の船内を進む。
何も言わない私だって何処吹く風だ。

「久しぶりだね、髪伸びた?」
「傑は痩せたんじゃない」

着込まれた五条袈裟から出ている手足は以前に比べて細い。そんな私の指摘にもヤツは微笑みで返してきた。

「スレンダーだろ?」

一般的に『やつれた』部類の男が手を挙げると、ヤツが入ってきた扉とは反対の方から料理が運ばれてくる。配膳する男は呪詛師のリストで見たことのある男。

「私のこと殺すの?」

並べられる新鮮そうな刺身と揚げたての天ぷら、おひつに入れられた炊き込みご飯がテーブルに並べられる。小皿とお箸は1人分だ。
夏油傑は手をつけない。

「殺されるために君はおめかしをして屋形船に乗ってるのかい?いい趣味だね」

水分をたっぷり含んだ声は妙に耳にまとわりついた。ヤツは袂に手を引っ込めたまま、何も置かれていないテーブルに着く。痩せても大きな身体は相変わらずで、置かれている座布団をいっぱいいっぱい使っている。
さっきまで穏やかに漂っていた屋形船は明らかに何かの意図を持って進み始めていた。
ヤツが口角を上げる度にぐらりと揺れる。

「私はただ、恋人に会いに来ただけさ」
「自然消滅って言葉知ってる?」
「それを言うならしっかり別れ話をしようか?今なら目の前にいるよ」

袂から大きな手を出し、よく拭かれたテーブルの上で手を組む。ぐい、と近付けてきた顔に思わず腰が引けた。ついでに触れていた箸もテーブルからこぼれ落ち、ころりころりと私たちから距離を取っていく。

「傑」
「なんだい」
「……戻ってきて」

本音だった。今更、戻ってきたところでただヤツは殺されるだけだろうけども。
傑の考えが分からないからなのか、それともこのまま血の海を進んで猫のようにひっそりと何処かで死んでしまうのが怖いのか。
それは分からないが、なんだかとても声が震えた。
私の震えを見たヤツは狐のように細めていた目を少しだけ開いた。小さな黒い双眸に水面の光が反射して揺らめく。

「あそこは戻る場所じゃない」

じゃあ、傑にとってあの場所は何なの。
反射的に言いかけて、飲み込んだ。
もう私たちはいい歳で、子どもじゃない。
生きる道は自分たちで決めるのだ。
過去のことを振りかざして罪悪感を打ち付けるだけの関係じゃない。

「高専は戻る場所じゃない。でも、かなたの場所になら戻ってもいい」

とっくに別れたつもりのヤツは微笑みを捨てて、真顔でハッキリと言った。
ざぶん、と船が揺れる。
ヤツ越しに見える景色は速度を上げている。屋形船のスピードでは、ない。

「何言ってんの」
「君は死体が運転する屋形船に乗っただけだよ。行き先は私と落ちる地獄だ」

もう一度、ぐらりと揺れた船の中で傑は私の左手の小指を噛んだ。私の運命を全て噛みちぎってしまうような男はどこを探してもコイツだけ。

夏油傑、コイツだけ。

ぼちゃりと落とされた船頭の死体が隅田川を赤く染める。地獄への片道切符は切られた。




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