馬鹿者たち





先輩、と高専の廊下で響いた声は生意気な後輩の声だった。
雨が激しく降り続けている中もハッキリ聞き取れた声に私は振り向いた。
全身びしょ濡れになって重そうになった制服に身を包んだ後輩は笑顔で立っている。

「……何してんの?」
「月島先輩こそ」

ハンカチハンカチ……とポケットを探ると、幸運にもいつもより厚手なハンドタオルが出てきて、随分大きな後輩の顔を拭ってやった。少し屈んで髪を解いた彼の髪に雫が揺れて、弾ける。果たしてハンドタオルでそこまで拭けるだろうか。

「私は夜蛾センに報告書出したところ。傑は?」
「まぁ、似たようなところなんだけどね。でも先輩がいたから気分が変わって」

小さなハンドタオルで頭をガシガシと拭かれながら後輩はそう言った。その声は雨音にかき消されるような声だったけど、ハッキリと耳には届いた。風邪ひくよ!と私が注意すると、夏風邪は馬鹿しかひかないから大丈夫だよ。と返す。そういうところが生意気なんだぞ、夏油傑よ。

「とりあえず軽く拭いたけど、早く着替えな」

私が傑から手を離すと、その手を大きな傑の手が掴む。いや、包み込むに近い。優しいその力はやっぱり生意気だと思った。

「これ、先輩にあげようと思ってね」

そしたら廊下で会うから。
丁度良かった、なんて傑は左手に持っていた白い何かを私の頭の上に乗せた。ふわりと香るのは花の匂い。爽やかなその匂いは。

「シロツメクサ?」
「の、花冠」

え、もしかして傑が作ったわけじゃないよね?とモロに顔に出ていたのだろう、傑は笑って首を振った。

さっき祓った呪霊から助けた女の子がくれたんだそうだ。あまりにも目をキラキラさせながら渡してくるものだから拒めなかったのだそう。人誑しめ。

「でも私にはあまりにも可愛すぎるだろう?」
「それは私も思う」

思わず私が笑うと、傑は笑みを深くした。

「だから先輩に、と思って」

先輩に、と言われても。
私は傑の2つ上で今年度で高専を卒業する身だ。……そう、シロツメクサの花冠を付けて嬉しいキャッキャウフフする年齢ではないのだ。
傑の意図が分からず、抗議しようと口を開いたが

「うん、似合う。可愛い」

なんて笑いながら言うものだから。
仕方なく。
この生意気な後輩の手を取って私は女子寮に向かった。


「入らないの?」
「うん」

女子寮に着いて、とりあえず傑にバスタオルを、と思い傑に声を掛けたが、部屋の1歩前で立ち止まってしまった。
女の子の部屋だから、遠慮するよ。と頑なに部屋に入ろうとしない後輩を不思議に思いながら私は脱衣場にある、まだ未使用のバスタオルを掴んで急いで部屋の外に出た。変えたばかりの柔軟剤が柔らかく香る。

はい、と渡せば、ありがとうございます先輩、なんて言って制服の水分をぽんぽんと叩いて取っていく。寮に帰ればいいのに、なんて思いながら女子の部屋には足を踏み入れない生意気紳士な後輩の一挙一動を見守る。
伏し目がちの目は睫毛の影が微かに下りて、いつもより少し色の抜けた唇は自然に結ばれている。

「……先輩、視線が痛いよ」
「あ、ごめん」

綺麗だったから思わず、という言葉は急いで飲み込んだ。悟といる時はもっとクソガキ感が強いのに単体となると急に大人びて見えるから本当に生意気な後輩なのだ。
ある程度身体を拭けただろう傑はバスタオルを首に掛けて、どーも、と私に適当にお礼を言った。
それにどーも、と私も適当に返す。
じゃ、と扉を閉めようとすると、大きな音がしてその行動が止められる。
え?と思うと、扉と壁の間に私より大きい傑の足が挟まっている。

「……え、足痛くない?」
「そこかい?」

先輩、今の状況分かってる?
なんて言うが、扉が閉められないという事実しか分からない。

「分かってないみたいだから言うけど、シロツメクサの花言葉知ってる?」
「そんな雅なもんは知らん」
「先輩のそういうとこ好きだよ」

ほーら、人誑し。
なにが好きだよ、だ。
と思いながら、知らんもんは知らんと返すと扉と壁の間に足を挟んだまま傑は顎に手を当てて考えるような仕草を見せた。

「シロツメクサの花言葉は、
“私を思って”だよ」

随分可愛らしい花言葉だ。
私は自分の頭の上に乗ったままの花冠を手に取ってまじまじと見つめた。

「……傑って意外と少女趣味?」

なんて笑うと、傑は少し眉を顰めて
心外だね、と花冠を私から奪った。

「少女趣味は、ないけど。
まぁ、人並みにロマンティストではある自覚ならあるよ」

花冠を少し解いて、傑の大きな手が、指がするすると器用に動く。

そして、花冠より随分小さな輪っかになったそれを私に見せた。
指輪?
目をぱちくりさせてる間に傑は私の左手を取る。す、と迷わず私の薬指におさまったそれを見る。指輪は私には大きくて、シロツメクサの花は不安定にぶらぶらと揺れている。

傑の顔を見ると、あれ、おかしいな。というのが顔に書いてあって思わず吹き出してしまった。

「普通こういうのってピッタリに作るもんじゃないの」
「いや、先輩の指がそんなに細いと思わなかったから……ちょっと貸して」

と指輪を調整しようとする傑の手を避ける。
シロツメクサの花はぶらり、と下を向いて、茎の結び目が上にくる。なんて可愛くない見た目の指輪だろう。

「傑、馬鹿だね」

ケラケラ笑う。いや、込み上げてきて仕方ないのだ。花言葉も、薬指にはめられたゆるゆるの指輪も、全部。

馬鹿だね、と私がもう一度言うと、いつもなら反論が返ってくるはずの傑の口は想定外の言葉を漏らした。

「そうだよ、私は馬鹿な男なんだ。だから、いつまでも。2人が死を分かつ時まで、馬鹿な男だねって笑ってくれないかな」

思わず一瞬で身体が石になったかのように固まる。
今、なんて……?

果たしてその言葉は16歳の男子の台詞だろうか。

「……プロポーズには傑はまだ若すぎるじゃない?」
「そうだね。だからこれは私の我儘なんだけど。かなたには私が高専を卒業するまで待ってて欲しい」

傑の切れ長の目がどこまでも真剣に私を見ている。とっくに雨の音なんて聞こえなくなっていた。

「馬鹿な男だね、傑」

きっと私はいつか死ぬまで、
そう言って笑い続けるんだろう。
馬鹿な男に釣り合う馬鹿な女の私は、何年だって待ちながら。

不格好なシロツメクサの指輪を握り締めながら。




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